「と、いうわけや!」
一気に話し切ると、僕は「ああ〜!」と大声を上げて髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
場所は京橋のカラオケ店。日曜日の夕方だった。マイと言い合ってから5日も経っていた。すぐ聞いてほしかったのに、明日斗が忙しくて、なかなか会えなかった。
カラオケ店を選んだのは、ファミレスなんかでは誰かに聞かれるかもしれなかったからだ。隣の席に、ウチの学校の関係者がいるかもしれない。学生じゃなくても、親や先生かもしれない。誰にも聞かれたくなかった。だからわざわざカラオケ店に入った。
「ふーん」
明日斗は少し驚いたように丸い目をさらに丸くすると、フライドポテトの最後の一本をつまんだ。丁寧に皿の上の明太子マヨネーズをすくって、口に運ぶ。いや、目を丸くしたけど、絶対に興味ないだろ。メガフライドポテト1990円。僕はしゃべるのに夢中だったので、1本も食べていない。気がつけば、全て明日斗の腹に収まっていた。とんでもないボリュームだったのに、どういうことだ。
全部話した。恥をしのんで。
マイが好きだったことに気づいたこと。黒沢に奪われて、気が狂うほど悔しいこと。学校にも、道場にも行けなくなってしまったこと。苦しくて仕方がない現状を、洗いざらいぶちまけた。
「雅史」
明日斗は指先をペロッとなめると、ものすごく素の顔をして「唐揚げも頼んでええか? メガで」と聞いた。
ええよ。なんでも食うてくれ。僕は全く食欲ないけど。
明日斗はインターホンで「すんません、注文お願いします。唐揚げメガで。はい、そうです」と妙に慣れた様子で告げている。受話器を置くと立ち上がってこちらに向き直り「唐揚げが来るまでに1曲、歌ってええか?」と聞いた。
ええよ。好きなもん歌えや。
……あ。
そういえば、明日斗の1曲目は決まっているんだった。あれを今、聞くのは、かなり辛いかもしれない。
RCサクセションの「雨上がりの夜空に」。平成生まれのくせに、明日斗の選曲はまるで昭和だ。父親が音楽が好きで、その影響をモロに受けている。
♪……。
何度も聞かされた。明日斗の声で脳内再生できるくらいに。ダメだ。マイと黒沢の絡み合う姿を思い浮かべてしまう。両手で顔を覆った。例によって不覚にも勃起してしまう。
♪〜
えっ。清志郎じゃない。
顔を上げると、明日斗がマイクをこっちに差し出していた。ニヤッと笑って、立てよとマイクで手招きする。
「締めの曲やけど、今日は最初に歌いたい気分やわ。雅史、CHAGEな。で、俺がASKA」
♪〜
うますぎるASKAのモノマネに、胸が熱くなる。
明日斗と一緒に拳を突き上げて熱唱、いや絶唱した。
「まあ、そうがっかりすんなや。立ち直るのに時間がかかるかもしれへんけど、女はマイだけやないんやから」
場所が変わっていた。駅前のラーメン屋だ。さっきメガフライドポテトと唐揚げメガ盛りを食べたばかりなのに、明日斗はまだ腹が減っていると言って、駅前の天下逸品に入った。こってりラーメン大盛りにライス大を頼んで、ペロリと平らげてしまった。
「俺、どうしたらええんやろ」
明日斗としゃべっている時は、一人称が俺になってしまう。いつもは僕なのに、明日斗の前で僕と言うのは、なぜか恥ずかしかった。
「簡単や。もういっぺん、格闘技やればええ」
明日斗は卓上のキムチ壺の蓋を開けて中身を確認すると「すみませ〜ん、おかわりくださ〜い!」と大きな声を上げた。
「でも、道場、やめてしもたし」
真正館は辞めた。書類は母さんが持っていってくれた。数日後、学校に行かずに家でダラダラしていると、沖名先輩がわざわざ訪ねてきてくれて「いつでも戻ってこいよ」といってくれた。
無理。絶対に戻らない。黒沢がいなくなって、あいつになびいた高校生と中学生が全員いなくならないと無理。
それでも無理だと思う。あそこに戻れば、嫌でも黒沢を思い出す。道場からの帰り道で、マイとセックスしたと言われたことを思い出す。思い出すたびに傷つく。それが何よりも嫌だった。
「道場なんか、あちこちにあるやんか。別のところでやればええやん」
明日斗はキムチが満タンになった壺を受け取ると、それを小皿に出してどんどん口に放り込み出した。まだ食うのか。と、不意に箸を持つ手を止めて、僕を真っ直ぐに見つめた。
「雅史、空手なんかまどろっこしいことやってないで、総合やろうぜ。俺、いま総合のジムにおるねん。一緒にやらへんか?」
え…。
いつも天然の明日斗にしては、真剣な口調だった。
「空手なんか、なんぼやってても金にならへん。キックボクシングもそうや。総合は違う。俺はプロになって、高校卒業したらアメリカに行って、UFCに出るねん」
なんだよ、UFCって。聞いたこともない。
「総合格闘技の団体や。スター選手になったら1回の試合で何千万円も稼げんねん。まさにアメリカン・ドリームや」
たまにLINEで連絡を取っていたので、高校に進学してから総合格闘技を始めたことは知っていた。だが、そこでプロになると聞いたのは初めてだった。
「これや。見てみ」
明日斗はスマホを触ってユーチューブを見せてきた。総合格闘技を知らないわけではない。なんとなく見たことはあった。見せられた動画では白人の選手同士が、周囲を金網で囲まれたマットで戦っていた。殴って蹴って組み付いて。やることが多くて難しそうだ。
「いや、俺はええわ。俺には無理や。空手でもいっぱいいっぱいやったのに、こんないろいろできへんよ。明日斗みたいに、小さい頃からやってるわけやないんやし…」
明日斗は割とあっさりとスマホを引っ込めた。キムチ壺の蓋を閉めると「ああ、腹一杯になった。ごちそうさん」と満足げに言った。
そういえば増量していると言っていたな。
確かに春に会った時と比べると、肩とか胸板が分厚くなったように見える。練習しているんだな。明日斗は適当なやつに見えるけど、いつも格闘技には真っ直ぐだ。
支払いを済ませて外に出る。日曜日の夜の駅前は、平日の夜とは少し雰囲気の違うにぎやかさだった。家族連れがちらほらといて、ほっこり感が漂っている。
「空手は楽しかったんやろ?」
肩を並べて歩く。
「うん。明日斗が言っていた通り、空手をしている間は頭が真っ白になって、嫌なことは全部、忘れることができた」
「ほな、これからも空手はやらなあかんな。空手やなくてもええわ。なんか格闘技を」
明日斗を見ると、こっちを見ていた。丸っこい目を細くして、ニヤッと笑う。立ち止まると、僕の肩に分厚い手のひらを置いた。温かな、親友の手だ。涙が出そうになる。
「なあ、たった2カ月でやめてしまうなんて、もったいないよ」
もったいない、か。
明日斗はうまいこと言うな。僕を傷つけずに手を引いていくのが、本当にうまい。こんなやつが友達で、本当によかった。心のなかが、ほのかに温かくなるのを感じた。