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第21話 ディフェンス8割って

 そんなこんなで、平日の午後は小5女子と毎日、フルコン空手のスパーをした。そうそう。6年生とばかり思っていたら、ミユちゃんは5年生だった。


 ネバギバは総合格闘技のジムだけど、小学生や中学生、年齢が上の社会人は、気軽に出られる総合格闘技の試合があまりないため、フルコンタクト空手の試合に出ていた。午前や夕方&夜の打撃クラスでも、メンバーを見て「じゃあ今日はフルコンで」となることが結構あった。


 代表は総合でプロになる前、真正館にいたことがあって、フルコンルールでスパーをしても強かった。


 強いというか、うまかった。


 小太りに見える体格からは想像もつかないほど、動きが軽やかだった。フットワークでスルスルと攻撃をかわされ、あちらの攻撃だけ次々に当たる。代表は汗もかいてないのに、僕だけ息を切らして汗まみれになって、ヘトヘトになった。


 それまでとにかく殴り合う、蹴り合う組手しかしたことがなかったので、こんなスタイルがあるのかと衝撃を受けた。


 「極端な話、攻撃を一発ももらわなければ、勝つことはなくても負けることもない。ディフェンスこそ最大の攻撃」


 それが、代表のポリシーだった。ことあるごとに、口にしていた。それこそ「昼飯、何を食う?」くらいの軽いノリで。沖名先輩のように、熱く語るタイプではなかった。いつも淡々としている。語り口も静かだ。


 「ディフェンス8割、オフェンス2割でいいから。そのために足を動かして」


 入会して2週間くらい経った頃、フォームを根本的に直された。腕や足の位置、背中の伸ばし具合まで、自ら手本を見せてくれた。スッと突っ立っているような、自然で軽い構え方だ。僕が真似して構えると手を添えて、あちこち少しずつ修正した。えっ、そんなに違うかな?というくらい直される。終わってみれば、ものすごく足腰に負担が来る、キツい構え方だった。


 いや、見た感じでは、こんなにキツくないんですけど…。


 「雅史は背が高くて手足が長いんだから、それを生かさない手はない。もっとパンチは遠くに打たないと。フルコンルールも一緒。蹴りも遠くを蹴る」


 パンチを打ち、蹴りを放って手本を見せてくれる。これも、本当に軽く、何気なくやっているように見える。だが、実際にやってみると、代表みたいにできない。腕にも足にも力が入って、数発で腕がブルブルと震えた。


 僕を初めて見た時、素晴らしい素材がやってきたと内心、喜んでいたらしい。


 「だって、こんなに背が高くて手足が長い日本人、そうおらへん。格好の外国人対策ができると思ったわ」


 直してもらったフォームに慣れてくると、自分のパンチがとんでもなく遠くまで届くことがわかった。


 「雅史は『プライベート・ライアン』っていう映画を見たことある?」


 唐突に聞かれた。もちろん知ってるよな?という顔で。


 いや、ないッス。映画は好きだけど、見たことがないので戸惑った。いつ頃、上映された映画だろう。


 「冒頭でドイツ軍が海から上陸してきた連合軍を、機銃掃射でめちゃくちゃにやっつけるシーンがあるんだけど、雅史のパンチはそれなわけよ。身長と手の長さを生かして、相手の届かないところからパンチを当てる」


 「はあ」


 代表は人差し指を立てると、斜め下に何度も突き刺すようにした。機銃掃射って、そんな感じなのか。そこでようやく、ああ、戦争映画なのかとわかった。だが、映像がうまく想像できないので、なんだか間抜けな返事しかできない。


 「とにかく遠くから、徹底的にアウトボクシングをする。つまらないかもしれないけど、それが一番、雅史の持ち味を生かした戦い方やろな。今のところ」


 軽いフットワークで動きつつ、鋭いジャブを放って説明する。つまらないのか。僕は楽しく組手がしたいんだけど…。


 「蹴りもローキックより、前蹴りの方がいいな。足の長さを生かせるし」


 膝を抱え上げて、正面に向けて蹴る。これが前蹴りだ。代表は実になめらかにお手本を見せてくれた。なんだがギクシャクしている僕とは大違いだ。 


 ずっと気になっていたことを聞いてみた。


 「あの、膝蹴りの避け方を教えてほしいんですけど」


 「膝蹴り?」


 僕の唐突な質問に、代表は小首をかしげる。


 もう組手をする機会は二度とないと思うけど、黒沢の膝蹴りを避けたかった。思い出すだけでゾッとする。ネバギバでもスパーリングで相手の膝が上がると、膝蹴りが来る!と思ってビクッと体が固まっていた。恐怖が体に染み付いている。少なくとも、避けられる自信をつけたかった。


 「できればミユちゃんみたいに、ハイキックを合わせたいんですけど」


 初対戦した時に食らった、あれができれば最高だ。


 「あ、あれは無理。あれはセンスでやってるやつだから」


 代表はものすごく素の顔で、あっさり否定した。


 「あれは、まず膝蹴りを蹴りたくなるシチュエーションをわざと作ってんの。そこに柔軟性の高さを生かしてカウンターを合わせているという、センスと天性がミックスされた高等技術なので、他の人が真似したところで同じようにはできない。知らんけど」


 え、そんなに難しいんだ…。思わず肩を落とす。他に方法はないのか? 簡単には諦められなくて、質問を続けた。


 「じゃあ、どうすればいいんですか?」


 「ベタなのはバックステップかな」


 代表は両腕を前に出して、スッと下がってみせた。


 「こんな感じ」


 「キャッチされて、バックステップできない時はどうしたらいいですか?」


 真正館では、いつも後頭部や道着をつかまれて、膝蹴りをぶち込まれていた。後ろに下がっても付いてこられるし、最終的に壁際に押し込まれて、逃げ場を失っていた。


 「嫌がって頭を下げるから、なおさら膝蹴りが当たりやすくなるんだ。だから、キャッチされたら背筋伸ばして、こっちから前に出る。胴タックルしてしまえばいい」


 代表は僕を相手に手本を見せてくれた。体を寄せて、胴体を捕まえる。なるほど、こうされると膝蹴りは出せない。でも、真正館ではタックルは反則です。


 「じゃあ、ローキックで足を刈ってしまったらどうだ。膝蹴りって意外に不安定だからな。つかんでいたら、なおさらだよ」


 こんな感じで、わからないことを聞くと、どんどん教えてくれた。真正館とは大違いだ。あちらでは初心者でどうすればいいかわからなかったし、生徒が多すぎたこともあって、指導員に質問をする余裕がなかった。


 そもそも質問をしてはいけないと思っていた。わからないことは、稽古の中で教えてもらえると思っていた。ところが、ネバギバでは生徒がどんどん質問に行く。武道をうたっていないせいか、代表とジム生の距離が近い。運動部に所属したことがないのでわからないけど、部活の先輩と後輩ってこんな感じなのかもしれない。


 ジムの先輩と後輩間でも、積極的に質疑応答が行われていた。あんなことも、こんなことも、聞いていいんだ。僕も疑問に思ったことを、代表をはじめ周囲の人にどんどん聞くようにした。

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