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第67話 決着

 新田は第1ラウンドと同じように、一気に間合いを詰めてきた。


 ドス!ドス!ドス!


 パンチをブロック越しに打ってくる。重たい。だけど、少し攻め疲れてきたのか、キレがなくなってきた。押し込むようなパンチで、クリーンヒットさえもらわなければ大丈夫な感じがする。よし、反撃だ。


 連打が途切れた隙に新田の首を捕まえると、振り払われる前にボディーに膝を叩き込んだ。リズミカルに1発、2発。新田は嫌がって後退するが、逃がさない。


 あ、僕、前進している。ロープに追い込むと、さらに腹を狙って膝蹴りを連打した。


 「いいぞ、雅史! 逃すな!」


 いい感じだ。膝頭が、新田の汗でびしょびしょになった腹筋にめり込んでいる。きっちり刺さっている感覚があった。新田はたまらずに頭を下げた。本来ならば顔面に膝を叩き込むところだが、この大会ではBクラスは顔面への膝蹴り、前蹴りは禁止されている。一瞬、対処に困って首相撲から逃してしまった。まずい。流れを取り戻される。


 離れたところで左ジャブを放った。もちろん、右のクロスが来ると想定して。


 あれ? 右が来ないぞ?


 それどころか、僕の左が新田の顔面をとらえた。牽制のパンチだったので、力は入っていない。それがペシッと新田のほおに当たった。新田はヨロヨロと後退する。ちょうどいい間合いになったところでボディーへと前蹴りを放つと、グイッときれいにつま先が内臓に食い込んだ感触があった。新田が顔を歪めて「ウッ」とうめき声を発したのが聞こえた。


 あれ? あれ? さっきまでの勢いはどこへ行ったんだ?


 新田がピタリと動きを止めた。肩を上下させている。先ほどまで脇を開いて、グローブを下ろして雑にガードしていたのに、急に洗練された構えに変わった。両腕をほおの前に構えて、これぞボクサーという構えをして、少し距離を取っている。ようやくスタミナ切れしてくれたのか、それとも十分にポイントを稼いだので、打ち合うのをやめたのか。


 いずれにせよ、チャンスだ。


 ジャブを出すと、右のフックで反応してきた。だが、様子がおかしい。さっきのように右が伸びてこない。僕のジャブがピシッと新田の鼻面に当たる。これならカウンターが取れそうだ。


 もう一度、ジャブを出すと、やはり右フックが飛んできたので、ブロックしながら右ストレートを新田の顔面に放った。カン!という硬い手応えがあった。どこに当たったのか。鼻か、口かその辺りに当たったような気がする。だが、いい手応えだった。


 新田が頭をのけぞらせてよろめく。笑顔が消えた。目がうつろだ。


 「雅史、チャンスだ! 行け!」


 代表の声が聞こえた。まるで叫び声だ。裏返っている。


 「雅史、ボディーだ! ボディーを打て!」


 碧崎さんもリングをバンバン叩きながら、声を上げている。え? 何? どうしたの? なんでみんなそんなに興奮しているの? 確かに新田は動きが止まった。口を歪めて苦しそうだ。え? 行っていいの? 今、チャンスなの?


 指示通り、左ジャブを打って左のボディーにつなげる。右のストレートから左のボディー。力を込めて打ち込んだ。ドシッ、ドシッとわれながら重いパンチが新田の横っ腹を捉える。あれ? どうしたんだ? 新田は防戦一方になった。


 「雅史、そこじゃない! 乳首を打て!」


 引き続き、リングをバンバン叩いている音がする。この声は代表だろうか?


 「亮、足! 足! 手を出せ!」


 相手セコンドの指示もよく聞こえる。


 チャンスだ。ここにきて、ようやく自分がチャンスを迎えていることに気がついた。新田は苦しそうに肩で息をしている。汗の量がすごい。あごの先からポタポタと滴り落ちている。


 よし、逃すものか。ボディーというより胸を狙って打つと、新田はしかめっ面になって明らかに嫌がった。肘を下ろして、さらにガードをガッチリと固める。防御させておいて、顔面にフックを打ち込む。当たった。ガスッという手応えがあった。新田は目をきつく閉じて耐えた。汗が飛び散り、リングでポタポタと音を立てている。グローブが上がってくる気配がない。それほどボディーを打たれるのが嫌なのか。


 ええい、なんて僕のパンチは貧弱なんだ。ガードの上から胸を狙い、空いた顔面にフック、フック、フック。倒れない。ヘッドガードの上からとはいえ、こんなに顔面を叩いて大丈夫なんだろうか。バシッ、バシッというグローブとヘッドガードがぶつかる音が、やけに大きく聞こえる。他人の顔を容赦なく拳骨で叩いていることに突然、恐怖を感じた。だけど、今、手を止めたらやられる。反撃される。息が上がる。必死だった。このまま最後まで押し切るんだ。新田に、もう一発たりとも反撃させない。


 「行け、雅史! 行けっ!」


 代表の声がよく聞こえる。


 ああ、ゴングはまだか。何時間、こうやって攻め続けないといけないんだ? 肩も腕もパンパンで、もう打てない。新田、倒れてくれ。頼む。心が折れそうになったその時、ようやくゴングが鳴った。


 ぶはっ!


 大きく息を吐くと、顔面から汗が滴り落ちた。新田を見る。疲れ切った表情で、目を伏せていた。グローブタッチするのかなと思ったが、苦しげにチラッと僕の顔を一瞥すると、ゆっくりと背を向けてコーナーへと戻っていった。しっかりと表情をうかがうことはできなかったが、少し丸めた背中に疲れがにじみ出ていた。


 コーナーに戻って、グローブを止めていたテーピングを外してもらう。


 「よかった。第1ラウンドの分を十分、取り返したと思う」


 碧崎さんはそういって微笑んだ。レフェリーに呼ばれて、リング中央へ行く。


 「はい、判定ね」


 新田を見ると、汗だくだった。笑っていない。肩で息をして、苦しそうだった。いつも余裕をかましてニヤニヤ笑っているこいつに、こんな顔をさせられただけでも、戦った価値があったと思った。


 「10ー9、10ー9、10ー9…」


 0ー3だ。一人くらいはこっちにポイントをくれるかと思ったけど…。


 「赤、城山選手!」


 え?


 「よっしゃー!!!!」


 代表の歓声が背後から聞こえる。


 え?


 レフェリーが僕の手を上げた。運営スタッフが小さなトロフィーを持ってくる。なんだか、現実のこととして捉えられなかった。音が何も聞こえなくなって、シーンとしている。


 「はい、写真。あっちね」


 トロフィーを手に、写真を撮られる。


 勝ったの? あの新田に? 信じられなかった。


 ボーッとしたまま、促されてリングを降りる。


 代表と碧崎さんが待っていた。ミユちゃんと、あといつの間に来たのか、千葉さんと長崎さんもいた。みんな、拍手している。なぜか、代表が泣いていた。


 「よかった! よくやったぞ、雅史!」


 ものすごい勢いで抱きしめられる。


 「ナイスファイト」


 碧崎さんが僕の背中をポンポンと叩いた。


 「うわー、城山、すごかった! 第2ラウンドの巻き返し、ホンマ、熱かった!」


 千葉さんは満面の笑みで僕の頭を撫でると、抱きしめてくれた。本来なら飛び上がって喜ぶところなのだけど、今は汗でびしょびしょだ。そんなことしたら服が汚れてしまうのではないかと気になって、素直に喜べなかった。


 荷物を置いている場所まで移動した。


 「宮城さん、なんで泣いてるんですか?」


 長崎さんが笑いながら聞いた。


 「いや、感動したんだよ。あの、入ってきた時、いじめられっ子で、学校に行けてなかった雅史が、あんな試合して……。ほんま、感動した。ありがとうな、雅史」


 なぜか握手を求められる。いや、ありがとうはこっちのセリフなんですけど……。


 「特訓の成果、あったんちゃう? 12月の試合が終わってから、ほんまによく練習しとったからなあ」


 千葉さんにほめられると、うれしい。


 「当たり前ちゃうの? ヒトシくんに習うとったんやで? 負けるわけないやん」


 ミユちゃんはツンと澄ました顔をしている。相変わらず手厳しい。碧崎さんがヘッドガードのテーピングを外してくれた。


 「なんか言えよ、雅史。感想ないんか」


 さっきから上の空で、何もしゃべっていなかった。碧崎さんが笑っている。よかった。勝って本当によかった。みんながこんなに喜んでくれて、本当によかった。ホッとした。その途端、口元がにやけてきた。


 「はあ、うれしいです」


 もっと伝えたいことがいっぱいあったのに、口をついて出たのは、実につまらない感想だった。


 「おい」


 背後から声をかけられた。新田だった。セコンドの人と一緒だ。


 「負けたわ。約束通り、掘っていいぞ」


 疲れた表情をしながらも、少し笑みを浮かべてバンテージを巻いたままの手を差し出してくる。その手を握り返した。


 「これで貸し借りなしや」


 握手した。


 「そうやな」


 新田はフッと笑った。隣でセコンドの人……新田を指導している先生だろうか。が、代表や碧崎さんにあいさつしている。


 「膝蹴り、強烈だった。黒沢以上や」


 「そんな。嘘やろ」


 「ほんまやって。あばら、折れたみたい」


 新田は自分のお腹をさすって、大げさに「イテテ」と言って笑った。



 帰り道、「掘っていいぞ」を聞き逃さなかった千葉さんから、どういうこと?と突っ込まれた。


 「城山にはそんな性癖もあるの? もしかして二刀流?」


 くそう、大人女子め。楽しそうにホモネタをいじりやがって。


 「いや、僕はノーマルです。あっちが勝手に言ってるだけですから」


 何度そう言っても、ニヤニヤしてなかなかいじるのをやめてくれなかった。


 だけど、それも許せる。


 帰ったらマイが待っているだろう。腕が内出血して、あざがすごい。試合してきたこと、気づかれるよなあ。どう言い逃れしよう。知らんぷりしようか? とにかく言い訳を考えないと。そんなことを考えながら、小さなトロフィーが入った箱をなでる。でも、本当にホッとした。勝つって、こんなに素晴らしいことなんだ。家に帰るまでのほんのわずかな時間だけでも、余韻に浸っていたかった。


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