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第68話 昏睡

 翌日、新田は学校を休んだ。


 新田は4組なのだが、われわれ1組とは廊下の向かい側だし、何より背が高くて目立つので、いないことに気がついた。試合の翌日だから、サボりだろうくらいに思っていた。


 ところが、次の日も、その次の日もいない。さすがに気になってきた。


 もしかして、試合でけがをしたのではないか。あばらが折れたみたいだと言っていたけど、それでこんなに学校を休むか? それよりもっと深刻なけがをしていることが、後で分かったのではないか?


 新田は友達ではない。むしろ、黒沢と一緒になって僕をいじめていた人間なので、今でも嫌いだ。ただ、黒沢と違って土手でいろいろと話をしたので、思っていたほど悪いやつではないということも知っている。


 気になった。だが、4組に知り合いはいない。事情通の梅野に聞いてみたが、知らないと言っていた。


 「なんかボクシングの試合に出て、城山にボコられたんやろ? それがショックで出てこられないんとちゃうの?」


 梅野はケロッとした顔をして言った。なぜ知っているんだ。


 「え、なんかLINEで情報回ってきたで。新田と戦って、勝ったって。すごい小さいけど、写真も来てたぞ」


 そう言ってスマホを見せる。試合後、僕が勝ち名乗りを受けている写真だった。誰か学校関係者が、会場にいたみたいだ。


 こうなれば、先生に聞くしかない。ホームルームの後、宮崎先生を追いかけて聞いた。


 「ああ、新田なら入院しているよ。なんでも事故にあったみたいでな」


 宮崎先生は意外なくらいあっさりと教えてくれた。


 「え…。入院って、どこですか?」


 「どこだっけ? 大阪東病院だったかな。救急車で運ばれたらしいから」


 え! ドキッとする。救急車だなんて、穏やかじゃない。


 「なんだ城山、お見舞いに行くのか?」


 宮崎先生は小さな目を見開いて、不思議そうな顔をした。


 「お前をいじめていたやつの一人じゃないのか?」


 「ええ、まあ、そうなんですけど…」


 居ても立ってもいられず、マイを家まで送り届けると「そんなに急いで、どこ行くん」とあやしむマイを丸め込んで、大阪東病院へ行った。うちからすぐ近所だ。歩いて10分もかからない。


 受付で部屋番号を聞いて、病室へ向かう。相部屋だと思っていたら個室だった。


 嫌な予感がする。


 マイもそうだったが、個室に入っている患者は訳ありだ。母さんに聞いたけど、相部屋の方が圧倒的に料金が安い。それをあえて個室に入れるということは、他の患者と一緒にいられない事情があるのだ。


 急にドキドキしてきた。手のひらがじっとりと汗ばんでくるのを感じる。意を決して、軽くノックした。返事がない。震える指で、ドアを開けた。


 まず目に飛び込んできたのは、思った以上に明るいピンクの壁紙だった。細長い部屋で、手前にベッドがある。奥には待機用なのか、花柄のベンチが置いてあった。


 新田は窓側を頭にして、横になっていた。


 嘘だろ。


 その光景が信じられなくて、思わず足がすくんだ。目元が隠れるくらい、分厚く包帯が巻かれていた。息をしているのか、していないのか。それさえわからないほど、新田は死体のように仰向けに転がっていた。ベッドサイドに点滴があって、管が右腕に繋がっている。


 「誰」


 窓際でベンチに座ってスマホを触っていた女の人が、顔を上げた。背の高い美人だ。顔立ちからして、新田の家族のように思える。そういえばお姉さんがいると言っていたな。


 「あ、すみません。新田…くんと同じ高校の者なんですけど」


 「ああ、そう。お見舞い?」


 彼女はベッド横の椅子を指差して、僕に座るように促した。室内に入るが、座れない。座る雰囲気ではなかった。


 まるで集中治療室じゃないか。


 「まだ意識が戻らないのよ」


 スマホを窓辺に置くと、ベッドに近寄って新田の腕にそっと触れた。きれいな長い指だった。嘘だろう。なんだ、これ。言葉が出てこなかった。彼女がじっと僕を見ている気配があるが、目を上げられない。僕は自分のくたびれたスニーカーのつま先を、見つめていた。


 「あ!」


 目を見開くと、唐突に声を上げた。僕を指差す。


 「もしかして、日曜日に亮と試合した子じゃない?」


 「あ、はい…。そうです」


 「やっぱり!」


 なぜか、パッと表情が明るくなる。部屋の中の空気も、一気に和らいだ。


 「お見舞いに来てくれて、ありがとうね」


 ニコッと微笑みかけてくれた。


 「あの、もしかして、試合でこうなったんですか? 試合のダメージで……」


 なんだか雰囲気が和らいだけど、これを聞くのは怖かった。そうだと言われれば、新田がこうなった原因は僕にある。


 試合に出る時には誓約書にサインをする。僕らは未成年なので、親がする。試合後、どんなことになっても主催者側には一切の責任を問わないという文言が、大抵の誓約書には記してある。だけど、選手間の場合はどうなんだろう。記憶にない。


 「ああ、違うよ。それは違う。だから、安心して」


 ホッとした。


 「試合から帰ってきて、そのあと、ちょっと出かけた時にけんかしたらしくて。この子、小さい頃から、本当にけんかしてばっかりなんだ。どうしてすぐに手を出すのかね。挙句がこのありさまだよ」


 そこで初めて、姉のすずですと自己紹介した。


 すずさんの説明によれば、新田は自宅近くの公園で発見された。倒れていたのだ。暴行を受けたあとがあり、救急車で搬送された。脳内出血を起こしていて、緊急手術になった。誰がやったのか、わからない。警察に連絡すると、その公園でけんかをしていたという目撃談が寄せられたと聞かされた。


 新田は両親が離婚していて、母子家庭だ。父親のDVが原因で、新田はボクシングを習って、その父親をボコボコにしたと聞いた。それがきっかけで離婚したとも。なんだか壮絶な家庭だ。そんなのドラマの中の話と思っていた。


 母親はどこにいるんだろう。すずさんは中学を卒業すると同時に家を出ていったと聞いていたけど、なぜ今、ここにいるんだろう。いろいろな疑問が頭の中で渦を巻いた。


 「学校でも、けんかばかりしてるんでしょ?」


 「はい…。いや…。新田くんは強いんで、誰も向かっていきません」


 「君は、そんな亮と試合して勝ったやんか」


 悲しんだり、不安になったりする時期はもう過ぎたのかもしれない。意識のない新田を間に挟んで、すずさんはむしろ微笑みながら、僕に語りかけた。


 別にそんなつもりで言ったわけではないのだけど。自分が新田に勝ったことを、自慢したいわけじゃなかった。ただ、あなたの弟は、弱い人ではないと知ってほしかった。なぜか悲しくなって、鼻の奥がツーンとしてきた。


 すずさんは、回復にどれくらい時間がかかるか、わからないと言った。


 病院を出て、家に帰っても、すごく辛かった。僕のせいで新田があんなことになったわけではないし、僕をいじめていた人間の一人なので、ざまあみろと思っても構わないと自分に言い聞かせてみた。だけど、なかなかそうは思えなかった。


 なぜ、こんなに悲しいのだろう。胸の奥をぎゅっとつかまれているような気がする。


 夕食後にマイが僕の部屋に勉強しに来た。どこに行っていたのかと問い詰められた。上の空で受け流しているうちに、諦めてくれた。


 もうすぐ春休みだった。壮絶な高校1年目が、終わろうとしていた。

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