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第69話 黄崎真依の告白①

 「それでさ、その後、どうなったと思う?」


 「え、わかんない。もったいぶらずに教えて!」


 サキがニヤニヤしながらしている恋バナに、コハは夢中だ。この子、本当に恋愛話が好きだなあ。目がキラキラしているよ。場所は駅前のサイゼリア。春休みに入っていた。ものすごく久しぶりに……というか、それぞれとは遊びに行ったことがあるが、この3人で出かけるのは初めてかもしれない。


 いや、初めてだ。けど全然、違和感がない。同級生と、またこうして笑っておしゃべりできる日が来るなんて、思いもしなかった。


 思い返せば、サキとは小学校の頃からの付き合いだ。同じ剣道教室に通っていた。背が高くて、引き小手が得意。強くて嫌な相手だったけど、サキに勝ちたくて一生懸命、稽古したおかげで、中学校でそこそこ活躍できたし、副主将にもなれた。それを思えば、感謝しないといけない。


 カラッと明るくて、よくしゃべる子だ。一緒にいると楽しい気持ちにさせてくれる。表裏がないので時々、ドキッとすることを言うけど、そういう性格だとわかっているので、大して気にならない。


 コハは中学校で友達になった。幼稚園も小学校も一緒だったのだけど、ずっと接点がなかった。中学校の家庭科の授業で、私がうまく刺繍ができない時にたまたま隣の席にいて、助けてくれたのがコハだった。


 地味で目立たない子だったので、しゃべったことがなかった。話してみるととても親切で、何よりかわいくて、仲良くなった。それまでいなかったタイプの友達で、新鮮だったというのもある。本を読むのが好きなんだ。恋愛ものからミステリーまで、たくさん面白い本を紹介してくれた。


 サキとコハは高校で同じクラスになり、同じ花中出身ということで仲良くなった。2人が一緒に登下校するようになった頃、私はもう、あいつのグループに入っていた。だから、サキとコハがコンビを組んでいることは知らなかった。


 あいつのグループに入った時は、それはもう、うれしくて楽しくて、有頂天だった。だけど、もし昨年の4月に戻ることができなら、私はその頃の私を引っ叩いてでも、あいつから引き離す。


 浮かれていた。夢見ていたような高校デビューができたと錯覚して、浮かれていたんだ。



 そもそもことの発端は、高校受験に失敗したことだ。当初は公立進学校に受かる気満々で、剣道も続けるつもりだった。目指していた高校も、剣道部が強豪だったから。


 ところが、失敗した。


 清栄学院の剣道部は、入部したサキには申し訳ないけど、中学生の私から見れば大したレベルではなかった。受験に失敗したショックも相まって、私は剣道をやめて、高校生活をエンジョイする方針に切り替えた。


 中学時代は朝練して、放課後も練習して、休みの日は試合に行ってと剣道漬けの日々だった。年がら年中、ジャージー姿で、かわいい服を着たこともなかった。普通の学生生活に憧れがあった。放課後に寄り道してスイーツを食べたり、休みの日にかわいい服を着てショッピングしたり、遊びに行ったりしてみたかった。


 よし。剣道、やめよう。中学時代にできなかった、年頃の女の子らしい学生生活を満喫するんだ。高校生らしく、恋もしたい。そう思っていたところに、あいつがスッと入ってきた。カッコいい男子に「かわいい」と言われて「付き合って」と告白されて、私は舞い上がってしまった。


 マイだけに……。ごめん。笑いごとじゃないよね。


 今は違うけど、当時のまあくんは、私の中では彼氏候補ではなかった。幼馴染でずっと弟みたいに思っていたし、異性として気になる気持ちがゼロだったわけではないけど、積極的に付き合いたいという気持ちはなかった。だから、後ろめたさもなかった。


 今にして思えば、後ろめたさを感じろよ、私って思う。本当、馬鹿だった。


 最初は楽しかった。


 放課後は毎日、ショッピングモールに遊びに行って、買い物をしたり、スイーツを食べたり、おしゃべりしたりした。カラオケに行く日もあった。大抵、他のメンバーがいた。いつも男女5、6人で楽しく遊んでいた。休みの日は大概、デートだ。映画館とか遊園地に連れて行ってもらった。思い描いていた通りの恋する女子高生だった。楽しかった。いや、違う。これが楽しいんだと思っていた。


 最初のデートでファーストキスをして、のぼせ上がってしまった。3回目のデートで、早すぎると思いながらも、あいつに押し切られてエッチした。


 正直、あまり気持ち良くはなかった。怖かった。


 求められているのは愛されている証拠なんだと自分に言い聞かせて我慢している間に、終わった。一度、許してしまうと、その後は歯止めが効かなくなって、容赦なく求められた。


 ほら、女の子だから、嫌な日もあるじゃん……。断ると大声を出されて、殴られた。


 自分が悪いんだと思った。こんなふうに求められるのは、きっと愛してくれているからなんだと思っていた。


 「もっと気持ちよさそうな顔しろよ!」


 そう言って、私の腕やお腹を殴った。怖かった。


 怒られているのは私の愛が足りないんだと思って、自分なりに努力はした。だけど、うまくいかなかった。殴られるのって、こんなに怖いんだ。小学校の頃、よく殴られていたまあくんを思い出して、悲しくなった。


   ◇


 あの日、あいつは「普通にやるのは面白くない」と言って取り巻きを一人、連れてきた。一度終わった後で突然、部屋に入ってきたので、逃げる余裕なんてなかった。「嫌だ」と言ったけど、殴られて、怖くて、動けなかった。その時になってようやく、ああ、これは恋じゃないんだと理解した。


 あいつは殴った後でも、私のことを「好き」と言う。だけど、それは私が求めている「好き」とは全然、違った。こんなの、愛し合っている2人がやることじゃない。私が思い描いていた恋愛は、こんなんじゃない。


 岩出が私に乗っていた。気持ち悪くて、早く終わってほしかった。



 帰りは雨が降っていた。傘を持ってなくて、びしょ濡れになって帰った。眉の上でそろえた前髪からポタポタと雨粒がこぼれ落ちて、自分がすごく汚らしいものに思えた。帰宅して、すぐにお風呂で体を洗った。だけど、どれだけ洗っても、その汚らしいものは消えない。


 「マイ! いつまで入ってるの!」


 ママの怒った声が聞こえたので出たけど、放っておかれていたら、血が出るまで洗っていたかもしれない。


 その夜は、寝られなかった。何度も何度も情景が脳裏に甦って、恐怖で体が震えた。


 動画を撮られていた。


 もうダメ。こんなの耐えられない。


 どうしよう。明日も呼び出されて、されるんだろうか。


 もう嫌だ。


 だけど、行かないとまた殴られる。家も知られている。行きたくない。


 涙が止まらなかった。誰かに相談したい。だけど、入学早々にあいつのグループに入ってしまった私には、こんなことを話せる友人がいなかった。いや、あえて言えば、いた。まあくんだ。だけど、夏休みに入る前にけんかした。今思えば、売り言葉に買い言葉で、ひどいことを言ってしまった。


 「二度と来るな」と言われた。


 そもそも、いじめられっ子のまあくんに話したところで、どうにかなるとも思えなかった。


 八方塞がりだ。


 私、これから卒業するまで、あいつの奴隷みたいな生活を送らなきゃいけないの?


   ◇


 翌朝、パパとママは、いつも通り仕事に出かけた。一睡もできず、頭が割れんばかりに痛かった。


 もう、おしまいだ。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。死んでしまえば、楽になれるのかな。机の上の鉛筆立てに、木工用のカッターが入っていた。あれで手首を切れば、死ねるだろうか。


 その後のことは、曖昧で断片的だ。


 手首が思った以上に硬かったこと、刃を立てたら思った以上に痛かったこと、流れ出した血が止まらなかったこと、浴槽の中が夏なのにすごく寒かったことは覚えている。意識が薄れていく中で、やっぱり死ぬのは嫌だと思った。とにかく怖くて、早く誰かに助けてほしかった。


   ◇


 入院中は辛かった。


 当初、ママは私がどうして手首を切ったのかわからなくて半狂乱になって、見ていて痛々しかった。カウンセラーのお姉さんが我慢強く付き合ってくれて、少しずつ何があったのかを話せるようになった。それをうまく伝えてくれたみたいで、ママは入院して数日経ってから、少しずつ落ち着いてきた。パパはすごく怒って警察沙汰にすると言っていたけど、ママが止めてくれた。私も反対だった。だって、そうなったらまた何があったのか、話さないといけなくなる。


 それは耐えられなかった。


 薬を飲んで、寝て、カウンセラーさんと話して。これからどうなるんだろう。毎日、天井を見つめて、不安だった。だから、まあくんが来てくれた時は、本当にうれしかった。本当にうれしかったけど、最初は顔を見ることができなかった。


 だって、あんなにひどいこと言ったし。


 9月にお見舞いに来てくれたときのことは、今でも忘れられない。


 「過去にどんなことがあっても、これからどんなことが起きても、僕はマイの味方だ」


 うれしかった。その後の、15年分のお返しをするという言葉も、すごくうれしかった。泣いちゃいそうだった。一人ぼっちで、世界に親以外、誰も味方がいなくなったみたいな気持ちになっていたから、すごくうれしかった。我慢していなければ、号泣していたと思う。


 これから15年間も助けてくれるのかあ。そうしたら、30歳になっちゃうよね。


 30歳になるまで、ずっとそばにいてくれるの? え? その先もずっと?


 ……。


 え? まあくん、もしかして、プロポーズしてくれてるの?


 こんな私に?


 顔がすごく熱くなって、まあくんの顔を見ていられなかった。


 うれしかった。本当にうれしかった。まあくんが帰った後、うれしくて泣いた。涙が止まらなかった。まあくん、ありがとう。本当にありがとう。こんなひどい私に寄り添ってくれて、本当に感謝しかなかった。

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