暖冬だったせいか、例年よりも早く桜が咲いた。こんな時期に咲いてしまっては、入学式には散ってしまう。
桜が咲いたら明日斗とマイと花見に行くのが恒例行事で、今年も行った。いつもは鶴見緑地に行くのだが、高校の知り合いに会いたくなくて、足を伸ばして舞洲緑地に行った。
舞洲というのは大阪湾に作られた人工島の一つだ。僕が初めて出た空手の試合は、ここにある舞洲アリーナで開催された。他にも野球、サッカーやバスケットボールのプロチームの練習施設があり、大阪市のスポーツの拠点として整備されている。舞洲緑地はその一角にあって、人工の丘と川の周囲に桜が植えられている。鶴見緑地の桜も見事だが、こっちも見応えがある。小さい頃に父さんと一緒に釣り場の下見に行った時に発見して以来、城山家の隠れた花見スポットだった。
今年は明科も一緒だ。鈴鹿も来たがっていたけど、部活で無理だった。
「奈良明日斗!」
「明科呼春!」
二人ともびっくりした顔をして、同時に互いの名前を呼んだ。どうしてフルネームで覚えているのだろうか?
「うわあ、ウソでしょ。奈良くん、何があったの? こんなにムキムキになって!」
「そういう明科は小学生の頃から全然、変わってねえ!」
明日斗、それ言ったらマズいんじゃない? 明科が気分を悪くするのではとヒヤリとしたが、全くの杞憂だった。明日斗と明科は名前に同じ「明」が入ってるせいかどうか知らないけど、昔話に花を咲かせた。
舞洲はアクセスがあまりよくない。電車とバスを乗り継いで、ようやくたどり着いた。春休みの平日だったので、思ったよりも空いていた。幼稚園児っぽい子供を連れた若い夫婦や、僕らのような学生しかいない。まだ風は少し冷たいが、日差しはポカポカと暖かかった。
ぶらぶら歩きながら満開の桜を見て、芝生の上にマイが持ってきたピクニックシートを敷いて、途中のパン屋で買ったサンドウィッチをみんなで食べた。
「なんかダブルデートみたい」
明科はニコニコと眼鏡の奥の目を細めて楽しそうだ。ダブルってことは僕とマイ、明科と明日斗ということ?
「なんで明日斗はコハのこと覚えてるの?」
マイはピクニックシートの上で足を伸ばしながら聞いた。珍しくスカートだ。グレーのモコモコしたキルティングっていうの? とにかくロングスカートに、黒いストッキングを履いている。上半身は、こちらもモコモコの白いセーターを着ている。
正直、カワイイッ
「だって、幼稚園も小学校も一緒やん。普通、覚えてるやろ」
明日斗は当たり前のことを聞くなとばかりに、目を丸くした。すまん。僕は全く覚えてなかった。
明日斗は上半身は白いパーカーだった。ジムのものだろうか、ロゴが入っている。下半身は濃いネイビーのジャージー。とてもじゃないが、デートに行く格好ではない。その辺に走りに行く服装だ。
「うれしいわ。奈良くんに覚えてもらってて、ほんま、うれしい」
明科は相変わらずニコーと笑って、紙パックの野菜ジュースのストローをくわえた。そういえばこの子、いつ見ても笑顔だな。機嫌が悪そうな顔を見たことがない。
膝丈くらいのデニムのスカートに、マイと申し合わせたかのような黒いストッキング。上半身は白いロングTシャツの上にベージュのジップアップのパーカーを羽織っている。小学生と言われても仕方がない。ミユちゃんと並んで立ったら、同級生?と言われてもおかしくない雰囲気を漂わせている。
「奈良くんは走るのも速いし、サッカーもソフトボールも何やってもうまかったから、よく覚えてるねん」
足を伸ばしていた明科は、座り直して正座になった。小さいので、それであぐらをかいている明日斗と目線が一緒になる。ああ、そうなんだ。確かに明日斗はスポーツ万能だったからな。そして、小学生の頃にモテるのはスポーツができるやつだった。
だが、明日斗がモテていた記憶はない。サッカークラブとか少年野球に所属せず、一人で空手道場に通っていたので、学校では一匹狼だった。当時はチビで、いつもいじめられっ子の僕とつるんでいた。
「え、それで奈良くんは、なんでそんなムキムキになったん?」
「格闘技やってるから。俺、高校卒業したら、総合格闘技のプロになるねん」
明科は触ってええ?と言いながら、返事も聞かずに明日斗の腕を触っている。明日斗はウヘヘと変な笑みを浮かべて、腕を曲げて力こぶを出した。明日斗って、こんなに女子に抵抗なかったのか。僕なら久しぶりに会った同級生なんて、恥ずかしくてしゃべることができないけど。
「総合格闘技って何?」
明科は明日斗の腕を触り続けながら聞いた。
「知らんか。まずそこからか」
明日斗は苦笑してスマホを取り出すと、いつか僕にそうしたように、総合格闘技の試合のユーチューブを見せた。
「痛そう」
「うん。痛い」
ふと見ると、マイのほっぺたに桜の花びらがついていた。気がついていないのか、明日斗と明科のやりとりを聞きながら、アハハと笑っている。
「マイ、ちょっとじっとしてて」
「ん?」
手を伸ばして、花びらを摘んで取った。マイのほおに指が触れる。激痩せした去年の夏の面影は、もうない。食欲も戻って、丸っこいふっくらとしたほっぺたが戻ってきた。やわらかいな。そのまま指を引っ込めるのがもったいなくて、ほおを少しなでた。
「何?」
「花びらが」
「取れた?」
「うん」
本当は両手に包み込んで、ムニムニしたい。取れた花びらを見せる。
「マイちゃんと城山くん、恋人同士みたい」
急に明科に話しかけられて、ドキッとした。
「恋人同士みたいじゃなくて、ほんまの恋人同士やから」
明日斗もこっちを見て、ニヤニヤしている。
「もう、明日斗! 冷やかさんといて!」
マイは怒った顔をした。冷やかさんといてと言っているが、否定はしない。
そうか、否定しないんだ。
「それはそうと、マイちゃんは新学期になったら、どっか部活に入らへんの?」
明科が聞いた。
「また剣道、やったらええのに」
明日斗が言う。
「マイの実力やったら、清栄やったらすぐレギュラーちゃうの。剣道部にレギュラーがあるんかどうか知らんけど」
「そうやね…。でも、うーん」
マイはあぐらをかくと、腕を組んだ。
「2年途中から入って、いいんやろか。なんか、失礼と違う? サキとか、1年の頃から一生懸命やってる子らがいるのにさ」
なるほど。そんなこと考えてたのね。
サンドウィッチを食べ終わって、僕はバッグからスケッチブックを取り出した。みんなには悪いけど、この公園が桜で満開な風景を、描きとめておきたかった。鉛筆を走らせる。
「じゃあ、手芸部に来ない?」
明科は手芸部だ。明日斗に聞いたけど、小学校の時も中学校の時も手芸部だった。
「放課後にみんなで集まって手芸するだけの部活やし、部室じゃなくて中庭とか土手で作ってる子もいるし、すごく緩〜い雰囲気やから、2年からでも参加できると思う。実際に2年から入ってる先輩もおるし」
「そうなんや」
明科は今度はマイの手を取ると、熱心に勧誘し始めた。
そもそも論だが、なぜクラブに所属しなければならないのか?
かくいう僕も美術部に所属しているので頭ごなしに否定はできないけど、部活に何がなんでも参加する必要はないのではないか。実際、僕は1年生の頃はほぼ幽霊部員で、放課後の活動拠点はネバギバだった。
「せっかくの高校生活なんやし、先輩や後輩の繋がりがあった方が楽しいやん」
僕の心の声が聞こえたかのように、明科が部活に参加する意義を口にした。
「学校の外でも先輩後輩はできるけど」
明日斗が口を挟む。サンドウィッチを3袋も食べて、紙パックのプロテインも飲んだ。ピクニックシートにゴロンと横になる。
行儀が悪いぞ。
明日斗は高校で部活をやっていない。放課後はジムに一直線だからだ。ジムに行けば先輩がいるらしい。大学生や社会人の。
「ああ、そうか。先輩後輩なあ」
マイはあごに手を当てて、うんうんとうなずいている。
「マイちゃん、一緒にやろうよ。部長には私から言うとくから」
明科はさっきからマイの手を離さない。その手を軽く振って、ニコニコと笑う。
風景画の片隅に、体育座りしている女の子の背中を描く。マイだ。
穏やかな日だった。こんな静かで平穏な一年になればいいのにと思っていた。