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第75話 朱嶺カレン登場

 いつの間にか、マイは夜、城山家のリビングではなく、僕の部屋で待っていることが多くなった。


 「あ、おかえり」


 まるで自分の部屋のような顔をして、ちゃぶ台で勉強している。


 「これ、返しにきた」


 脇に置いていたのは、いつぞやさりげなく奪っていったパーカーだった。


 「臭かったんちゃう?」


 「ううん。大丈夫。暖かかった」


 そうか? 母さんがイオンの専門店街で買ってきたペラペラのパーカーなんだけどな。本人はニコッと笑ってうれしそうなので、まあいいか。


 「洗っといたから。そのまま着て」


 畳んだ状態で、目をキラキラさせながら渡してくれた。別に疑っているわけではないのだが、匂いをかいだ。柔軟剤のいい匂いがする。うん、臭くない。


 4月とはいえ、まだ夜の空気はひんやりしていて、マイは僕が部屋で使っているブランケットを肩にかけて勉強していた。


 「いつも遅くなってごめん」


 「うん」


 ええよ、とは言わなかったが、別に怒っているわけではなさそうだ。


 「また試合なん?」


 勉強の手を止めて、僕を見上げる。


 「うん」


 新田の時は、負ける可能性が高いと思っていたので、来させなかった。今回も会場で黒沢に会うかもしれない。いや、会うだろう。そして、また倒される。たぶん。


 「応援、行っていい?」


 「うーん…。あいつがおった団体の試合なんやけど…」


 僕が言わんとするところは、すぐに通じたみたいだった。


 「行くよ」


 マイは表情を引き締めて即答した。


 「それも、ウチが乗り越えなあかんことやから」


 やはりそう来たか。マイのファイティングスピリットには、いつも脱帽する。


 「だって、あいつと会うで。たぶん」


 「ええよ。知らんぷりするから」


 「あっちが絡んでくるよ」


 「遠くから見てるから大丈夫」


 マイはまなじりを決して、絶対に退かない構えだった。こういうところが怖い。心の傷は本当に大丈夫になるまで、そっとしておいた方がいい。なのに、無理に前に進もうとする。それが怖かった。


 「去年と同じ会場やねんで」


 「そうなん? ええよ」


 「発作が起きたら、すぐ帰るで」


 マイはプッと吹き出した。


 「ちゃんとまあくんが表彰式で金メダルもらうところ見てから、一緒に帰るって」


 そう言うと、立ったままの僕の膝あたりを、ポンポンと叩く。うわ、プレッシャーかけるなあ。


 その夜、マイは僕のブランケットを持って帰ってしまった。


   ◇


 新入生勧誘週間が始まった。


 「よーし、バリバリ生成するぞ!」


 西塚さんは大声を出して気合を入れると、ノートパソコンの前で指をポキポキ鳴らしている。米沢さんは原稿用紙を出して、真剣な表情で下書きを始めた。


 全く美術部に見えないッ!


 これは負けちゃいられない。僕もスケッチブックを取り出すと、数日前から描き始めたキヤヌの仕上げにかかった。銃を構えて膝立ちしている姿だ。


 美術準備室の入り口を開けっぱなしにしておく。1年生たちがぞろぞろと廊下を通り、チラチラとこちらをうかがっている気配がする。しばらくすると、見るからにオタクっぽいぽっちゃりチビの男子3人組が入ってきた。


 「おお、すげ」

 「これ、アプリ、なんスかね」


 僕たちにあいさつもせず、室内の展示物を見て回っている。


 「ゆっくり見ていってね。美術部だけど、AIイラストもやってるから」


 西塚さんが立ち上がると、声をかけた。彼らは目を合わせずに、ああとかううとかうめき声を発する。


 ちゃんと返事しろよ。陰キャどもが。


 同族嫌悪というか、自分だって知らない人にはろくにあいさつできないくせに、こういうところがやけに気になる。チラと目を上げて、またスケッチブックに視線を戻した、その時だった。


 「失礼します。こちらが美術部でよろしいでしょうか?」


 ものすごくよく通る声が背後から聞こえてきて、ビクッとした。振り返ると、背の高い女子が立っていた。


 あれ、この子、1年生?


 一瞬、混乱したのは、あまりにも初々しさがなく、大人びていたからだ。背が高いだけではない。縦にも横にも大きいというのは、こういうことをいうのだろう。がっしりと肩幅が広く、欧米人のような体格。顔立ちも大人っぽい。はっきりとした目鼻立ち、程よく厚い唇、背中まで伸ばしたセミロングは緩くウェーブがかかっていて、ゴージャスな雰囲気を醸し出していた。


 ちょっと外国人の血が入っているのか? ハーフに見えなくもなかった。


 そして、巨乳だった。


 ブレザーを突き上げる巨乳。そして太ももの半ばまで見えるミニスカート。セクシーすぎてまぶしすぎる。こんな高校生、少なくともうちの学校にはいない。いや、いなかった。


 1年生用の緑色のリボンをつけている。清栄学院の女子の制服は、学年でリボンの色が違う。1年生は緑、2年生は赤、3年生は青だ。だから、この子は1年生。全然そうは見えないが。


 突然、セクシーダイナマイトが登場したことに驚いて、オタク3人組はあたふたと部屋を出ていってしまった。


 「あ、そ、そうです。美術部だけど…」


 西塚さんが呆気に取られている。


 「ありがとうございます。入部を希望します」


 その子は腰から上半身を90度に折り曲げて、きれいなお辞儀をした。


 「1年1組、朱嶺あかみねカレンと申します」


 長い髪が顔の横に垂れ下がる。頭を上げると、右手でふわっとかき上げた。その仕草が、めちゃくちゃカッコいい。


 何も言えなかった。それは西塚さんも、そして豪傑そうに見える米沢さんも一緒だった。みんな呆けたような顔をして、朱嶺カレンと名乗った女の子を見ている。


 え? どういうこと? このモデルみたいなゴージャスな女子が、入部したいって? 陰キャの巣窟であるべき美術部に? 吹奏楽部かなんかと間違ってませんか?


 「あの…ここ、美術部、なんだけど……」


 西塚さんは自分のあごを触ったり、後頭部をかいたりして、混乱している。


 「はい。先ほど、お尋ねしました。美術部に入部希望です」


 朱嶺はニコリともせずに、はっきりと言い切った。


 「え」


 西塚さんはまだ信じられないのか、目がうつろだ。


 「あの、どこか別のクラブと、間違えてない?」


 米沢さんが、軽く腰を浮かせて割って入った。僕も思わずうなずく。そうだ。そうに違いない。


 「え?」


 朱嶺は少しだけ眉根を寄せて、不思議そうな顔をした。


 「間違えてはいません。美術部に入りたくて来ました。見たところ、少し私が思い描いていたような雰囲気ではありませんが…」


 彼女は 美術準備室に足を踏み入れると、AIイラストで埋め尽くされた壁を見回した。僕の後ろを通り過ぎて、藤田さんが残していった油絵を少し前屈みになって、のぞき込むようにして見た。


 うわあ、この子、お尻もすごいぞ! 丸々と張りのいいお尻が、目の前にある。


 ヤバい。勃起しちゃう。


 すごくいい匂いがした。なんだろう。金木犀みたいな香り。いや、金木犀の香りだ。ドキドキする。と突然、くるりとこちらに向き直った。フワッとスカートが巻き上がって、プリプリのきれいな太ももが目に入る。初めて目が合う。心臓が跳ね上がった。


 「あ!」


 朱嶺は初めて、少し感情のこもった声をあげた。 


 「なんでしょう?!」


 こっちも思わず声のトーンが上がる。上がりすぎて裏返ってしまった。


 「キヤヌ・リーブスですね!」


 スタスタと近づいてくると、前屈みになって僕のスケッチブックをのぞき込んだ。


 うわあ、ヤバいヤバいヤバい


 すぐそばで見る朱嶺カレンは、どこからどう見ても、誰がどう見ても、間違いない美少女だった。少しつり目の大きな瞳、長いまつ毛、スッと高い鼻筋、程よく厚みのある唇。ツヤツヤのほっぺた。ハーフっぽい。北欧かどっか。とにかく美しい白人の血が入ってそうな感じ。そして、改めて巨乳だ。ワイシャツを丸々と突き上げるデカさは、ブレザーを着ていても隠しようがなかった。


 その巨乳が目の前にあるう


 完全に勃起してしまった。顔が熱い。ヤバい。赤くなっているのではないだろうか。気づかれてないか? 心臓がものすごい勢いでバクバクいっている。


 「他にもあるんですか?」


 そんな僕の焦りを知ってか知らずか、朱嶺カレンはさらに顔を寄せてきた。


 ひえええ


 僕はページをめくって昨年、たくさん描いていたブラピを見せた。緊張と恥ずかしさで、言葉が出てこない。じわっと背中に汗が流れるのを感じた。


 「ブラピだ!」


 朱嶺は勝手に椅子を引いてくると、僕の隣に座り込んだ。巨乳に続いて、再びきれいな太ももが僕の視界に入ってくる。


 刺激が、強すぎる。


 「すみません。見せていただいていいですか?」


 僕は返事をする代わりに、ガクガクとうなずいてスケッチブックを差し出した。男ばかりしか描いていない。女の子が見て、不快なものはないだろう。


 朱嶺がスケッチブックをめくっている間、失礼だと思いながらも観察させてもらった。うわあ、なんだ、この子。めちゃくちゃ美人だぞ。そして改めて、すごくいい匂いだ。彼女がページを繰るたびにフワッ、フワッと金木犀の香りが漂ってくる。官能的って、こういうことを言うのではないか?


 僕が散々、描き殴ったブラピの鉛筆画を見終えると、はぁと一つため息をついてスケッチブックを静かに閉じ「ありがとうございました」と両手を添えて返却してきた。


 丁寧な子だな。いいところのお嬢さまみたいだ。


 「素晴らしいです」


 ニコリともせずに言う。ちょっと怖い。


 「はあ、ありがとうございます」


 やっと声が出た。


 「漫画しか描いていらっしゃらないのかと思いましたが、きちんと美術をやっておられる先輩がいらっしゃって、安心しました」


 朱嶺は真顔のままで言った。今、ちょっとひどいこと言わなかった?


 「ああ、はあ、そうですか」


 アホみたいな返事をする。朱嶺は西塚さんの方を向いた。


 「私(ちなみにさっきから『わたくし』と言っている)、真剣に美術をしたいのです。大学も美大志望です。東京芸大です」


 「ああ、はあ、そうですか」


 西塚さんは呆けたままの顔で、さっき僕が口にしたアホみたいな返事と全く同じことを言った。


 「油彩の画材はあるのでしょうか?」


 「あ、先輩が残していったのでよければ」


 西塚さんは、藤田さんが置いていった画材がある棚を指差した。朱嶺は立ち上がると、しばらく戸棚の中をゴソゴソと探っていた。


 「十分です。何か買い足すときは、部費で申請すればよろしいでしょうか?」


 「あ、そうね。領収書、もらっといて」


 「承知しました」


 僕を含めた先輩3人は、まだ上の空だ。


 「入部届けを書きたいのですが」


 西塚さんはああ、はいはい、ただいまと言いながら、書類棚を開ける。


 嘘だろう。まだ信じられない。こんな、どこからどう見てもスーパーモデルみたいな美少女が、美術部なんかにいていいはずがない。突然、米沢さんが僕のほおを力一杯つねった。


 「痛っ!」


 「城山、俺のほおもつねってくれ。全力で」


 僕は力加減せずに、米沢さんの引き締まったほおをつねった。


 「痛い! 夢じゃない!」


 そうですよ。僕が先に痛いって言ったじゃないですか。

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