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第76話 黄崎先輩は城山先輩の彼女なんですか?

 朱嶺はいろいろ変わった子だった。


 まず、親が芸術家だった。父の朱嶺城太郎が画家だった。全然知らなかったけど、ウィキへディアで調べたら名前が出てきた。


 「あ、この絵、見たことあるぞ」


 人物も風景も、特徴のある曲線を組み合わせて描き出す。本格的な油彩から商業デザインまで手がける、なんでもありのアーティスト。普段は大阪公立芸大で教鞭を取っており、典型的な才能で稼いでいる芸術家だった。


 「父は私が同じ道を進むのに反対していました。普通に大学に行って、普通の人生を送らせたいようです。だから、公立は王手前を受験させられたのですが、嫌だったので白紙で提出して、意図的に落ちました」


 恐ろしいことを言っている。王手前高校は大阪でもトップクラスの進学校で、卒業生がバンバン東大や京大に行く。それを受験したというだけでもすごいのに、自ら蹴ったとは。


 「高校に行かないわけにはいかないと思って、私立だけ真面目に受けました。正直に父に話すと、さすがに私の覚悟をわかってくれたようです」


 君のお父さん、ちょっとおかしいよ!とツッコみたかったが、黙っておいた。とにかく、ポテンシャルは清栄のレベルではないということだ。


 そうか。どこからどう見ても美術なんてやらなさそうな雰囲気なのに、ガチで美術をやって美大に行きたいというのは、そういうことだったのか。


 納得した。


 「でも、朱嶺さんって、美術って感じじゃないよね。あ、今はそう思ってないよ。初めて見た時にそう思っただけで……」


 僕が思っていたことを、西塚さんが口にした。


 せっかく新入生が来たのだから、プチ歓迎会をしようということになり、僕が自動販売機へジュースを買いに行った。朱嶺は「私も行きます」とついてこようとしたが、西塚さんと米沢さんに「君は歓迎される立場だから」と止められた。


 僕がジュースを買いに行っている間に、3年生2人と少し打ち解けたようだった。


 「はい。よく言われます。どちらかといえば運動部系のようだと」


 朱嶺は軽く、本当に軽く微笑んだ。


 この子、すごい美人なのに、表情の変化が乏しいのが惜しいな。いや、ツンと澄ましているだけでも十分、美人なんだけど。


 「何かスポーツはしていたの?」


 米沢さんが聞く。あわよくば一緒に筋トレをしようという魂胆か。


 「はい。幼少期から少々、空手を」


 うおっ


 心臓が跳ね上がった。いきなり話題がこっちに来たぞ! だが、無視してしまってもいい。自分から格闘技をやっていることを言わなければ、気づかないはずだ。


 僕は、朱嶺と話すのが怖かった。


 なにしろ、これまでの僕の人生で出会った中で、一番といっていいほどの美人だ。スタイルも抜群。どこが視界に入っても、無条件に興奮してしまう。話をしてお互いのことを知れば、好きになってしまいそうだった。


 だけどそれは、マイに対する裏切りになる。


 マイとは正式に付き合っていないけど、マイ以上に好きな女の子ができてしまったら、それは要するに裏切りだろう。いや、裏切りだ。そうなってしまうのが怖かった。そうなるんじゃないかと思わせるくらい、朱嶺は魅力的だった。今、隣で座っているだけなのにギンギンだし、鼻血も出そうだ。


 「城山先輩は、それは柔道ですか?」


 「はあ?!」


 突然、話しかけられて、思わず大きな声が出た。朱嶺が僕を見ている。大きなキラキラした瞳。吸い込まれそうだ。


 「そ、それって?」


 しどろもどろすぎて、舌を噛んでしまった。


 「耳です。湧いていますよね?」


 ああ、それか。ネバギバでタックルの練習をしていて、僕の耳は潰れてしまっていた。いわゆるギョウザ耳というヤツだ。入会して早々になってしまって、一時期は耳当てが手放せなかった。


 「あ、これは柔道じゃなくて」


 しまった。柔道だって言っておけばよかった。「じゃない」と言えば、じゃあ何なのかということを説明しないといけない。こめかみを冷や汗が伝う。


 「違うんですか?」


 「はい」


 咄嗟にそう返事した。それで流そうとした。


 「他に何かされているのでしょうか?」


 しつこいな!


 「朱嶺さん、城山も空手やってるんだよ」


 米沢さんが余計なことを言った。


 「え、そうなんですか! 流派はどちらですか?」


 朱嶺はグイと身を乗り出してきた。近寄ってくるんじゃない、おっぱい星人め! 耳が潰れている話じゃなかったのか? それに流派がどこかというのは、空手道場ではないネバギバで、あえて空手をやっている僕には、説明するのがとても面倒だった。


 「フルコンです」


 動揺をグッと押し殺して、素の顔をして言った。われながら、いい答え方だ。


 「真正館? 真正会館? それとも魚崎流ですか?」


 この子、よく知ってるな。いや、しかし、しつこいな。そろそろ解放してくれ。さっきから心臓がバクバクいっていて、このままでは卒倒してしまいそうだ。


 「以前は真正にいたんだけど、今はちょっと違うところで……」


 僕は朱嶺から目を逸らした。これ以上、この子を見ていると頭がおかしくなりそうだ。


 「そうなんですか。私、糸東流です」


 「へえ、そうなんだ。高校では空手、やらないの?」


 西塚さんが割って入ってきてくれた。マジで助かる。


 「やりません。手や指をけがしてしまったら絵筆が持てなくなりますから。それに、空手は父から護身的な何かをやれということでやらされていましたので、それほど熱心にやっていたわけではないのです」


 ホッとした。よかった。それなら、一緒にスパーしませんかとか言われることはないな。


   ◇


 なぜか、朱嶺は帰りも一緒だった。西塚さんと米沢さんは自転車通学なので、一緒に帰れないことをすごく残念がっていた。


 ちょっと待てい! ということは、僕が面倒をみないといけないということじゃないか!


 下駄箱でマイが待っていた。ホッとする。僕がものすごくゴージャスな女子を連れているのを見て、丸い目をさらに丸くして、驚いていた。


 「後輩?」


 僕と朱嶺を見比べながら尋ねる。


 「そう」


 「きょうから美術部でお世話になっております、1年1組の朱嶺カレンと申します」


 朱嶺は、マイに深々とお辞儀をした。


 「きちんとした子だねえ。あ、私、2年生の黄崎です。手芸部です。よろしくね」


 マイも笑顔で頭を下げた。


 変な間があった。


 朱嶺はじっとマイを見ている。


 「? 何か?」


 見つめられて居心地が悪くなったのか、マイは微妙な愛想笑いをした。


 「いえ。黄崎先輩は、城山先輩の彼女さんなのですか?」


 「「え!」」


 2人で同時に変な声を上げた。マイは真っ赤な顔をしてこっちを見ている。いや、こっち見るなよ。マイが聞かれているんだからさ!


 「え、え〜っと、彼女……彼女か、な? 何か?」


 マイはしどろもどろになって、何を言っているのかわからないことを口走った。


 「彼女かどうか聞いているのですが」


 朱嶺は表情ひとつ変えずに、もう一度、聞いた。


 「う〜ん、彼女、彼女…」


 マイは腕を組んで、考え込んだふりをしてごまかそうとしている。


 「城山先輩、どうなのでしょう」


 こっちに来たあ! 朱嶺がこっち見てるぅ!


 「え! いや、あのその……彼女……う〜ん」


 僕も同じように腕を組んで考え込むふりをして、ごまかそうとした。


 「お付き合いしていないということなのですか?」


 うん。その通り。正式に付き合ってとは言っていないけど、僕的には、もう付き合っているようなものだ。マイは大切な人だし、これから15年間、恩返しをすると宣言もしたし。


 だが、正式に付き合っているのかどうかと聞かれると、まだ告白していないので、付き合っているとは言えない。事情はマイも同じだ。


 「黄崎先輩?」


 朱嶺はまたマイに振った。


 「ひぇっ! は、はい?」


 「お付き合いしていらっしゃらないのでしょうか?」


 マイは困った顔をして、僕の方をチラチラと見ている。


 「お付き合いというかなんというか、僕たちは幼馴染なので……」


 「あ、なるほど」


 僕の中途半端な返事に、朱嶺はうなずいた。


 「では、彼女ではないと」


 いや、そうじゃない。彼女ではないけど、そうやって断定されるのも嫌だった。どうしよう。どう答えればいい?


 そうだ!


 「彼女のような、感じ!」


 僕はポンと手を叩いて、朱嶺に言った。いいぞ、我ながら名答だ! 満面の笑みが浮かぶ。


 「そ、そうそう! 彼女のような感じ!」


 僕の曖昧な言葉に、マイも満面の笑みで乗っかってきた。

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