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第87話 城山ウォッチャーですから

 6月は忙しかった。


 そもそも5月に試合をして、7月に下旬とはいえ、また試合というスケジュールがきついのだ。これはネバギバ独自なのかもしれないが、試合の1カ月前に練習強度のピークを設定する。この時期に一番、キツい練習をして実力を底上げする。そして徐々に強度を落とし、疲労を抜いていく。


 7月に試合をするなら、ピークは6月だ。いきなり強度の高い練習をするとけがをする可能性があるので、徐々にペースを上げていく。となると5月の試合が終われば、すぐに準備をしなければならない。休んでいる暇がない。クラスに出て、走って、ウエートトレーニングして、5月の試合の反省をして、7月に向けて課題を設定する。やることが多すぎて、頭も体もパンクしそうだった。


 美術部で絵を描いているときくらいリラックスしたかったが、集中できなかった。朱嶺が僕に告白した翌日から、接し方をガラリと変えてきたからだ。


 簡単に言えば、ベッタリなのだ。


 告白する前はどちらかと言えばツンと澄まして孤高のクールビューティーといった感じだったのに、どうしてしまったのか。今も僕の背中に巨乳を密着させて、肩越しに僕のスケッチブックをのぞき込んでいる。首筋にふんふんと鼻息がかかって、くすぐったくて仕方がない。


 「朱嶺」


 「なんでしょう?」


 体をねじって振り返る。


 きれいな…というイメージはもうない。かわいい。僕は朱嶺のかわいいところをいろいろと知ってしまった。ツンと澄ましているのは表向きであって、心を許した相手の前では冗談を言ってとても楽しそうに笑うし、意外に照れ屋さんでもある。今は切れ長の瞳で、スケッチブックではなく僕の顔をのぞき込んでいる。どうして少しほおが赤くなっているのか。今度は僕の耳に息がかかって、くすぐったい。


 「密着するのは勘弁してほしいんだけど」


 「そうですか」


 西塚さんが、飲みかけていた缶コーヒーをブーッと吹いた音が聞こえた。


 「朱嶺」


 「はい」


 朱嶺は学校向きの表情を崩さない。いつものクールビューティーを装っている。


 「スケッチブックが見たければ見せてあげるから、座りなさい」


 「はい」


 素直に席に戻った。眼鏡をかけている。朱嶺は入学当初は、眼鏡をかけていなかった。ところが、告白してから数日して突然、眼鏡姿で登校してきた。


 「あれ? 目、悪かったんだ」


 何気なく聞いた。


 「いえ、悪くありません。伊達です」


 「え、なんで?」


 「先輩は眼鏡っ子が好きなのでしょう?」


 心臓が口から飛び出すくらい、びっくりした。ちょっと待て! どうしてそれを知っているんだ!


 実は、僕は眼鏡っ子が好きだ。大好きと言ってもいい。どこでそんな性癖ができてしまったのか、よくわからない。だけど、眼鏡をかけているというだけで、誰でも5割増しくらいにかわいく見えてしまう。今のマイが好きで仕方ない理由の一つに、眼鏡っ子に戻ったということがあるのは否定しない。いや、マイはかけていなくてもかわいいけど。


 「図星ですね」


 動揺を見透かして、ニヤリと薄笑いを浮かべる。


 「え、なんでわかるの……」


 「私、城山ウォッチャーですから」


 スッと猫みたいに目を細めて、本当にうれしそうだ。でも、そんなに眼鏡っ子ばかり見てるか?


 万事、こんな調子だった。


 気がつけばピタリとすり寄って 巨乳をすりつけてくるし、電車で隣に座れば、肩に頭をもたれかからせたりしている。それをマイがすごい目つきでにらんでいるのも、知っていた。


 西塚さんと米沢さんにも追及された。いわゆるガン詰めってやつだ。


 「城山、いつの間に朱嶺とあんなに仲良くなったんだよ」


 朱嶺が席を外している時に、詰め寄られた。


 「いや……それが、よくわからなくて」


 「懐かれ方が異常だ」


 米沢さんのギラギラした目つきが怖い。


 「そうだ。もしかして、ヤッたのか?」


 西塚さんが怒りの形相で、僕の鼻面に指を突き立てる。


 なんでそうなるんだよ! 付き合ってもいないのに、いきなりエッチするわけないだろ!


 「何もしてませんよ。あいつが一方的に慕ってくれているだけです」


 言ってから、しまったと思った。


 一方的に慕っているのは間違いではない。だけど、慕ってくれるので、かわいいと思っているのも事実だ。こんな言い方をして朱嶺だけ悪者にするのは、よくない。


 新入部員勧誘期間中に入部してきたのは結局、朱嶺だけだった。他にも入部希望者がいたのかもしれないが、あんなゴージャスな同級生がいると気後れしてしまうのだろう。その後、新たに入ってくる部員はいなかった。本当はもっと新入部員がほしい。だけど、ぜいたくは言えない。そもそも2年生だって、僕しかいないのだ。


 朱嶺は運動神経が抜群にいいようで、たびたび運動部に助っ人として駆り出されていた。


 「朱嶺さん、いる?」


 3年生が美術部の部室にお願いに来る。最初に来たのはバレー部だった。続いてバスケ部。うん、なるほど。朱嶺は背が高いからな。そしてソフトボール部、さらにテニス部にバドミントン部……。僕の苦手な球技ばかりだと思っていたら、水泳部もやってきた。そしてついには鈴鹿が「朱嶺さんって、君のことだよね?」と呼びにきた。剣道部だろ? 助っ人、必要なのか?


 「剣道は経験がありませんので……」


 この時ばかりは、朱嶺も丁重に断った。


 クラスに友達がいないと言っていたが、いつの間にか学年のみならず学校中の人気者になっていた。黒沢一味に目をつけられるのではないかとヒヤヒヤしていたけど、あまりにも一目置かれた存在となってしまったせいか、近寄ってくる様子はなかった。


 一緒に帰っていると、1年生の女子に「カレンちゃん、またね!」とよく声をかけられていた。


 「クラスメイトと帰らなくていいの?」


 いつまでも僕とマイと一緒に帰ろうとする(登校も一緒)ので、聞いてみたことがある。


 「私は先輩と一緒に帰りたいのです」


 少しほおを赤らめて言う。


 赤くなるなよ。マイがにらんでいるだろ!


 でも、同級生と仲良くしないと、校外学習とか修学旅行の時に仲間に入れてもらえなくて困るぞ。いじめられっ子だった僕は小、中学校の修学旅行で、どこのグループにも入れてもらえなかった。人気者なのだから、そんなことはないと思う。だけど、自ら一線を引いている姿は、気になった。


 それに、誰か僕以外に好きな人を作って、健全な恋愛をしてほしかった。


 「朱嶺はめちゃくちゃモテるでしょ?」


 僕以外の男子をターゲットにさせるために、あえて恋バナを振ってみた。


 「どうでしょう」


 スンとした顔でスルーしようとする。


 「告白されたことはないの?」


 「そうですね。……。はい、あります」


 「じゃあ、付き合ったこともあるの?」 


 「いえ」


 即答だった。


 「え、断ったの?」


 「はい」


 「なんで?」


 「必要なかったので」


 朱嶺は僕を見ると、サラッと言ってのけた。


 いや、それってどうなのよ。君みたいなゴージャス美少女に告白した男子は、それこそ命懸けだったと思うよ。なのに必要なかったって。そんな言い方はないだろう。どんな断り方をしたのか知らないけど、ちょっとモヤッとした。


 「中学校までは美術と空手を一生懸命やっておりましたので、男の方と付き合っている時間がありませんでした。恋愛にあまり興味がなかったこともありますが……」


 今は興味津々じゃないか。


 「自分が美人だって自覚はあるの?」


 ちょっと意地悪かなと思いながらも、聞いてしまった。


 「はい」


 そう言って、またほおを赤らめる。その照れは、何に対する照れなのか。


 はあ、困ったな。


 好かれていることは明らかだ。告白もされたし。だけど、申し訳ないけど、僕はそれに応えられない。だって、マイのことが好きなんだから。スパッと諦めてくれたらいいのに、むしろどんどん親しくなっていく。


 どうすればいいの?

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