6月は忙しかった。
そもそも5月に試合をして、7月に下旬とはいえ、また試合というスケジュールがきついのだ。これはネバギバ独自なのかもしれないが、試合の1カ月前に練習強度のピークを設定する。この時期に一番、キツい練習をして実力を底上げする。そして徐々に強度を落とし、疲労を抜いていく。
7月に試合をするなら、ピークは6月だ。いきなり強度の高い練習をするとけがをする可能性があるので、徐々にペースを上げていく。となると5月の試合が終われば、すぐに準備をしなければならない。休んでいる暇がない。クラスに出て、走って、ウエートトレーニングして、5月の試合の反省をして、7月に向けて課題を設定する。やることが多すぎて、頭も体もパンクしそうだった。
美術部で絵を描いているときくらいリラックスしたかったが、集中できなかった。朱嶺が僕に告白した翌日から、接し方をガラリと変えてきたからだ。
簡単に言えば、ベッタリなのだ。
告白する前はどちらかと言えばツンと澄まして孤高のクールビューティーといった感じだったのに、どうしてしまったのか。今も僕の背中に巨乳を密着させて、肩越しに僕のスケッチブックをのぞき込んでいる。首筋にふんふんと鼻息がかかって、くすぐったくて仕方がない。
「朱嶺」
「なんでしょう?」
体をねじって振り返る。
きれいな…というイメージはもうない。かわいい。僕は朱嶺のかわいいところをいろいろと知ってしまった。ツンと澄ましているのは表向きであって、心を許した相手の前では冗談を言ってとても楽しそうに笑うし、意外に照れ屋さんでもある。今は切れ長の瞳で、スケッチブックではなく僕の顔をのぞき込んでいる。どうして少しほおが赤くなっているのか。今度は僕の耳に息がかかって、くすぐったい。
「密着するのは勘弁してほしいんだけど」
「そうですか」
西塚さんが、飲みかけていた缶コーヒーをブーッと吹いた音が聞こえた。
「朱嶺」
「はい」
朱嶺は学校向きの表情を崩さない。いつものクールビューティーを装っている。
「スケッチブックが見たければ見せてあげるから、座りなさい」
「はい」
素直に席に戻った。眼鏡をかけている。朱嶺は入学当初は、眼鏡をかけていなかった。ところが、告白してから数日して突然、眼鏡姿で登校してきた。
「あれ? 目、悪かったんだ」
何気なく聞いた。
「いえ、悪くありません。伊達です」
「え、なんで?」
「先輩は眼鏡っ子が好きなのでしょう?」
心臓が口から飛び出すくらい、びっくりした。ちょっと待て! どうしてそれを知っているんだ!
実は、僕は眼鏡っ子が好きだ。大好きと言ってもいい。どこでそんな性癖ができてしまったのか、よくわからない。だけど、眼鏡をかけているというだけで、誰でも5割増しくらいにかわいく見えてしまう。今のマイが好きで仕方ない理由の一つに、眼鏡っ子に戻ったということがあるのは否定しない。いや、マイはかけていなくてもかわいいけど。
「図星ですね」
動揺を見透かして、ニヤリと薄笑いを浮かべる。
「え、なんでわかるの……」
「私、城山ウォッチャーですから」
スッと猫みたいに目を細めて、本当にうれしそうだ。でも、そんなに眼鏡っ子ばかり見てるか?
万事、こんな調子だった。
気がつけばピタリとすり寄って 巨乳をすりつけてくるし、電車で隣に座れば、肩に頭をもたれかからせたりしている。それをマイがすごい目つきでにらんでいるのも、知っていた。
西塚さんと米沢さんにも追及された。いわゆるガン詰めってやつだ。
「城山、いつの間に朱嶺とあんなに仲良くなったんだよ」
朱嶺が席を外している時に、詰め寄られた。
「いや……それが、よくわからなくて」
「懐かれ方が異常だ」
米沢さんのギラギラした目つきが怖い。
「そうだ。もしかして、ヤッたのか?」
西塚さんが怒りの形相で、僕の鼻面に指を突き立てる。
なんでそうなるんだよ! 付き合ってもいないのに、いきなりエッチするわけないだろ!
「何もしてませんよ。あいつが一方的に慕ってくれているだけです」
言ってから、しまったと思った。
一方的に慕っているのは間違いではない。だけど、慕ってくれるので、かわいいと思っているのも事実だ。こんな言い方をして朱嶺だけ悪者にするのは、よくない。
新入部員勧誘期間中に入部してきたのは結局、朱嶺だけだった。他にも入部希望者がいたのかもしれないが、あんなゴージャスな同級生がいると気後れしてしまうのだろう。その後、新たに入ってくる部員はいなかった。本当はもっと新入部員がほしい。だけど、ぜいたくは言えない。そもそも2年生だって、僕しかいないのだ。
朱嶺は運動神経が抜群にいいようで、たびたび運動部に助っ人として駆り出されていた。
「朱嶺さん、いる?」
3年生が美術部の部室にお願いに来る。最初に来たのはバレー部だった。続いてバスケ部。うん、なるほど。朱嶺は背が高いからな。そしてソフトボール部、さらにテニス部にバドミントン部……。僕の苦手な球技ばかりだと思っていたら、水泳部もやってきた。そしてついには鈴鹿が「朱嶺さんって、君のことだよね?」と呼びにきた。剣道部だろ? 助っ人、必要なのか?
「剣道は経験がありませんので……」
この時ばかりは、朱嶺も丁重に断った。
クラスに友達がいないと言っていたが、いつの間にか学年のみならず学校中の人気者になっていた。黒沢一味に目をつけられるのではないかとヒヤヒヤしていたけど、あまりにも一目置かれた存在となってしまったせいか、近寄ってくる様子はなかった。
一緒に帰っていると、1年生の女子に「カレンちゃん、またね!」とよく声をかけられていた。
「クラスメイトと帰らなくていいの?」
いつまでも僕とマイと一緒に帰ろうとする(登校も一緒)ので、聞いてみたことがある。
「私は先輩と一緒に帰りたいのです」
少しほおを赤らめて言う。
赤くなるなよ。マイがにらんでいるだろ!
でも、同級生と仲良くしないと、校外学習とか修学旅行の時に仲間に入れてもらえなくて困るぞ。いじめられっ子だった僕は小、中学校の修学旅行で、どこのグループにも入れてもらえなかった。人気者なのだから、そんなことはないと思う。だけど、自ら一線を引いている姿は、気になった。
それに、誰か僕以外に好きな人を作って、健全な恋愛をしてほしかった。
「朱嶺はめちゃくちゃモテるでしょ?」
僕以外の男子をターゲットにさせるために、あえて恋バナを振ってみた。
「どうでしょう」
スンとした顔でスルーしようとする。
「告白されたことはないの?」
「そうですね。……。はい、あります」
「じゃあ、付き合ったこともあるの?」
「いえ」
即答だった。
「え、断ったの?」
「はい」
「なんで?」
「必要なかったので」
朱嶺は僕を見ると、サラッと言ってのけた。
いや、それってどうなのよ。君みたいなゴージャス美少女に告白した男子は、それこそ命懸けだったと思うよ。なのに必要なかったって。そんな言い方はないだろう。どんな断り方をしたのか知らないけど、ちょっとモヤッとした。
「中学校までは美術と空手を一生懸命やっておりましたので、男の方と付き合っている時間がありませんでした。恋愛にあまり興味がなかったこともありますが……」
今は興味津々じゃないか。
「自分が美人だって自覚はあるの?」
ちょっと意地悪かなと思いながらも、聞いてしまった。
「はい」
そう言って、またほおを赤らめる。その照れは、何に対する照れなのか。
はあ、困ったな。
好かれていることは明らかだ。告白もされたし。だけど、申し訳ないけど、僕はそれに応えられない。だって、マイのことが好きなんだから。スパッと諦めてくれたらいいのに、むしろどんどん親しくなっていく。
どうすればいいの?