6月は雨ばかりだった。だから梅雨って言うのだろうけど。
部活を終え、マイを家まで送り届けてネバギバに行き、深夜まで練習する日々が続いていた。帰宅が遅くなって、夜にマイと会わない日が増えていた。
僕がいなくても、引き続き城山家に来て勉強していた。自分の部屋が嫌なのだそうだ。マイの表現を引用すれば「閑散としていて落ち着かない」。よくわからないけど、こっちに来た方が集中できるのであれば、それはそれで構わなかった。僕がいない時はリビングのテーブルで勉強して、母さんや竜二となんてことはない話をして帰っていくらしい。
その夜も帰宅は午後11時を回っていた。クラスが終わった後に倒れるまでビッグミットをやって、くたくただった。重たい腕を無理やり引き上げて玄関を開け、リビングに向かう。テーブルにマイはいなかったが、母さんがいて、スマホをいじっていた。
「まだマイちゃんいるわよ」
僕をチラッと見てそう言うので、晩御飯を後回しにして部屋に行くと、寒くもないのにタンスの前で僕のパーカーを着て座っていた。不安だったのだろうか。フードをかぶって目だけ出している。体育座りをして、サイズが大きすぎて裾が膝まで来ていた。ちょっと様子が変だ。
「何やってんの」
「やっと帰ってきた」
フードを取る。むくれて不機嫌そうだった。
「ずっと待ってた。遅いやんか」
「ごめん」
なんだろう。帰ってくるのをわざわざ待っていたということは、何か話したいことがあるということだ。
隣に座る。
「なんかあったの?」
マイはパーカーの襟元をかき寄せた。最近、洗ったばかりなので匂いとかしないはずだ。
「きょうな」
「うん」
「学校でな」
えっ、学校で何かあったのか? 今日は練習に行くために、明科にマイを任せて帰ってきてしまった。その間に何かあったのか? 自分が唾を飲み込んだ音が、聞こえたような気がした。
「また…告白されてん」
え!
マイは少しほおを赤らめて、パーカーの襟元にさらに顔を埋めた。
「え、誰から?」
「手芸部の……松山先輩から……」
ああ、見たことあるし、知っているぞ。
手芸部といえば女子ばかりのイメージがあるが、清栄学院の手芸部には男子もいる。松山孝介は3年生で、部長を務めている。文化系男子らしく色白で優しい感じだが、背が高くてなかなかのイケメンだ。なぜ僕が知っているかというと、明科がよく下校時に「松山せんぱ〜い、また明日〜!」と手を振っているからだ。
「あれ、誰?」
「松山先輩。うちの部長だよ」
そう教えてもらったことがあるので、知っているのだ。
「え、それでどうしたん……どう答えたの?」
もじもじしながら、またフードをかぶった。
「うーん……保留って言った」
「保留?」
「うん」
「考えさせてくださいってこと?」
「うん……。そんな感じ」
どういうことだ。それ、相手に気を持たせてしまうんじゃないの? マイはハッキリしているようで、意外に緩い。だから黒沢につけ込まれてしまったのだ。ちょっと呆れた気分になった。
それで、僕にどうしろというのだろう? いや、どうしろとかではなく、ここは即座に「断れ」というべきだ。断ってくれ。なぜなら、次にマイと付き合うのは僕だからだ。次にというか、これからずっとマイの隣にいるのは僕なのだ。
「だ、だめだよ」
膝立ちになって、マイの肩に手をかける。少し声が震えていた。
「え、なんで?」
マイも少し不安そうな顔をした。
「だって、また恋愛するって。大丈夫なの?」
うまく伝えられなかった。去年、黒沢に告白されて、付き合って、酷い目に遭ったのに、また恋愛をして、大丈夫なのだろうか。そう言いたかった。
マイはしばらく考えていた。
「ああ……」
言いたいことが伝わったみたいだ。
「誰かと付き合うとか、そういうことは大丈夫だと思う」
目を逸らして、床を見つめる。
「でも、あんな真剣な目で告白されたら、すぐには断りづらくて」
……。ん?
「え、断るつもりなの?」
「……うん」
ホッとした。喉元までせり上がっていた不安が、お腹の底に戻っていく。自分でも気づかないうちに、ため息をついたみたいだ。
「……安心した?」
マイは僕を見上げた。ほおが赤い。素直にうなずいた。
「あの、ウチも実は……」
マイはパーカーの紐をいじりながら、もじもじしている。しばらく口ごもった後、「実は、好きな人がおるねん」と言った。
え……。それって、僕のことなのか? それとも、別の人? まさかとは思うが、まだ黒沢に未練があるとか?
「え、まさか、まだあいつのこと……」
思わず口に出してしまった。
「違うわ! 何言うてんの!」
マイは突然、僕の手を払い除けて立ち上がった。急に不機嫌な顔になって、狭い部屋の中をうろうろと歩き回る。
「うーん、もう、まあくんのせいやで! モヤモヤするのは、全部、まあくんのせいや! ……なんで、わからへんの……」
ふと立ち止まる。僕のベッドを一瞥すると、ドアを開けて出ていった。
「おばちゃん! ウチ、今晩、泊まっていくから!」
階下の母さんに向かって叫んでいる。
呆気に取られた。え、なんで突然、そんな展開になるの? 立ち上がって追いかけようとすると、あっちから部屋に戻ってきた。
「まあくん、今晩、ベッド貸して」
「え、ええ?」
「まあくんは床で寝てもええし、リビングで寝てもええよ」
なぜ上から目線なんだ。ここは僕の家だし、僕の部屋だぞ。マイは勝手に決めるとスマホを取り出し、おばさんに電話をかけた。
「あ、ママ? そう。うん。あのね。今晩、城山家に泊めてもらうから。後でパジャマ取りに戻るから。そう。うん。大丈夫」
小学生低学年までは夏休みとか土曜日の夜に時々、泊まりに来ていた。だが、高学年になってからはない。なぜ突然、泊まると言い出したのか、意味がわからなかった。
「え、マイ、なんで?」
スマホを切ったタイミングで声をかける。
「だって、こんなモヤモヤしていたら、自分の部屋では寝られへんから」
怒った顔をして、言った。
いやいや、全然意味がわからない。そもそも、なぜもやもやしているのか? 松山先輩に告白されたから? もしかして、聞き手としての僕の反応に、何かまずいところがあったのだろうか。
「あかん? あかん言うても、今晩は絶対にここで寝るで。前からまあくんのベッドで寝たろと思っててん。まあくんがベッドで寝る言うても、横に割り込んででも寝るから」
添い寝!
そんなことになったら、僕は興奮して一晩中、寝られないに違いない。混乱して頭がぐるぐるしているところに、半笑いの母さんが現れた。
「マイちゃん、布団は普通のやつ? それともタオルケット?」
もうすでに泊まることが前提だ。
「ああ、ここで寝るからいいです。まあくんに布団、出してあげてください」
マイはボスン!と音を立てて僕のベッドに飛び込んだ。
ちょっと待ってくれ! いつもそこで君のことを考えながらナニしてるんですけど!
「わかった、わかった。ほな、お風呂も使うよね? 雅史は晩御飯がまだだから、先に入りなさい」
なんでマイが突然、泊まると言い出したことに、何の疑問も感じないんだよ!
「じゃあ、雅史の布団はどこに敷く? リビングでいい?」
そりゃあ、同じ部屋で寝るわけにはいかないでしょ! リビングでいいよ!