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第89話 お泊まりさせていただきます

 6月は雨ばかりだった。だから梅雨って言うのだろうけど。


 部活を終え、マイを家まで送り届けてネバギバに行き、深夜まで練習する日々が続いていた。帰宅が遅くなって、夜にマイと会わない日が増えていた。


 僕がいなくても、引き続き城山家に来て勉強していた。自分の部屋が嫌なのだそうだ。マイの表現を引用すれば「閑散としていて落ち着かない」。よくわからないけど、こっちに来た方が集中できるのであれば、それはそれで構わなかった。僕がいない時はリビングのテーブルで勉強して、母さんや竜二となんてことはない話をして帰っていくらしい。


 その夜も帰宅は午後11時を回っていた。クラスが終わった後に倒れるまでビッグミットをやって、くたくただった。重たい腕を無理やり引き上げて玄関を開け、リビングに向かう。テーブルにマイはいなかったが、母さんがいて、スマホをいじっていた。


 「まだマイちゃんいるわよ」


 僕をチラッと見てそう言うので、晩御飯を後回しにして部屋に行くと、寒くもないのにタンスの前で僕のパーカーを着て座っていた。不安だったのだろうか。フードをかぶって目だけ出している。体育座りをして、サイズが大きすぎて裾が膝まで来ていた。ちょっと様子が変だ。


 「何やってんの」


 「やっと帰ってきた」


 フードを取る。むくれて不機嫌そうだった。


 「ずっと待ってた。遅いやんか」


 「ごめん」


 なんだろう。帰ってくるのをわざわざ待っていたということは、何か話したいことがあるということだ。


 隣に座る。


 「なんかあったの?」


 マイはパーカーの襟元をかき寄せた。最近、洗ったばかりなので匂いとかしないはずだ。


 「きょうな」


 「うん」


 「学校でな」


 えっ、学校で何かあったのか? 今日は練習に行くために、明科にマイを任せて帰ってきてしまった。その間に何かあったのか? 自分が唾を飲み込んだ音が、聞こえたような気がした。


 「また…告白されてん」


 え!


 マイは少しほおを赤らめて、パーカーの襟元にさらに顔を埋めた。


 「え、誰から?」


 「手芸部の……松山先輩から……」


 ああ、見たことあるし、知っているぞ。


 手芸部といえば女子ばかりのイメージがあるが、清栄学院の手芸部には男子もいる。松山孝介は3年生で、部長を務めている。文化系男子らしく色白で優しい感じだが、背が高くてなかなかのイケメンだ。なぜ僕が知っているかというと、明科がよく下校時に「松山せんぱ〜い、また明日〜!」と手を振っているからだ。


 「あれ、誰?」


 「松山先輩。うちの部長だよ」


 そう教えてもらったことがあるので、知っているのだ。


 「え、それでどうしたん……どう答えたの?」


 もじもじしながら、またフードをかぶった。


 「うーん……保留って言った」


 「保留?」


 「うん」


 「考えさせてくださいってこと?」


 「うん……。そんな感じ」


 どういうことだ。それ、相手に気を持たせてしまうんじゃないの? マイはハッキリしているようで、意外に緩い。だから黒沢につけ込まれてしまったのだ。ちょっと呆れた気分になった。


 それで、僕にどうしろというのだろう? いや、どうしろとかではなく、ここは即座に「断れ」というべきだ。断ってくれ。なぜなら、次にマイと付き合うのは僕だからだ。次にというか、これからずっとマイの隣にいるのは僕なのだ。


 「だ、だめだよ」


 膝立ちになって、マイの肩に手をかける。少し声が震えていた。


 「え、なんで?」


 マイも少し不安そうな顔をした。


 「だって、また恋愛するって。大丈夫なの?」


 うまく伝えられなかった。去年、黒沢に告白されて、付き合って、酷い目に遭ったのに、また恋愛をして、大丈夫なのだろうか。そう言いたかった。


 マイはしばらく考えていた。


 「ああ……」


 言いたいことが伝わったみたいだ。


 「誰かと付き合うとか、そういうことは大丈夫だと思う」


 目を逸らして、床を見つめる。


 「でも、あんな真剣な目で告白されたら、すぐには断りづらくて」


 ……。ん?


 「え、断るつもりなの?」


 「……うん」


 ホッとした。喉元までせり上がっていた不安が、お腹の底に戻っていく。自分でも気づかないうちに、ため息をついたみたいだ。


 「……安心した?」


 マイは僕を見上げた。ほおが赤い。素直にうなずいた。


 「あの、ウチも実は……」


 マイはパーカーの紐をいじりながら、もじもじしている。しばらく口ごもった後、「実は、好きな人がおるねん」と言った。


 え……。それって、僕のことなのか? それとも、別の人? まさかとは思うが、まだ黒沢に未練があるとか?


 「え、まさか、まだあいつのこと……」


 思わず口に出してしまった。


 「違うわ! 何言うてんの!」


 マイは突然、僕の手を払い除けて立ち上がった。急に不機嫌な顔になって、狭い部屋の中をうろうろと歩き回る。


 「うーん、もう、まあくんのせいやで! モヤモヤするのは、全部、まあくんのせいや! ……なんで、わからへんの……」


 ふと立ち止まる。僕のベッドを一瞥すると、ドアを開けて出ていった。


 「おばちゃん! ウチ、今晩、泊まっていくから!」


 階下の母さんに向かって叫んでいる。


 呆気に取られた。え、なんで突然、そんな展開になるの? 立ち上がって追いかけようとすると、あっちから部屋に戻ってきた。


 「まあくん、今晩、ベッド貸して」


 「え、ええ?」


 「まあくんは床で寝てもええし、リビングで寝てもええよ」


 なぜ上から目線なんだ。ここは僕の家だし、僕の部屋だぞ。マイは勝手に決めるとスマホを取り出し、おばさんに電話をかけた。


 「あ、ママ? そう。うん。あのね。今晩、城山家に泊めてもらうから。後でパジャマ取りに戻るから。そう。うん。大丈夫」


 小学生低学年までは夏休みとか土曜日の夜に時々、泊まりに来ていた。だが、高学年になってからはない。なぜ突然、泊まると言い出したのか、意味がわからなかった。


 「え、マイ、なんで?」


 スマホを切ったタイミングで声をかける。


 「だって、こんなモヤモヤしていたら、自分の部屋では寝られへんから」


 怒った顔をして、言った。


 いやいや、全然意味がわからない。そもそも、なぜもやもやしているのか? 松山先輩に告白されたから? もしかして、聞き手としての僕の反応に、何かまずいところがあったのだろうか。


 「あかん? あかん言うても、今晩は絶対にここで寝るで。前からまあくんのベッドで寝たろと思っててん。まあくんがベッドで寝る言うても、横に割り込んででも寝るから」


 添い寝!


 そんなことになったら、僕は興奮して一晩中、寝られないに違いない。混乱して頭がぐるぐるしているところに、半笑いの母さんが現れた。


 「マイちゃん、布団は普通のやつ? それともタオルケット?」


 もうすでに泊まることが前提だ。


 「ああ、ここで寝るからいいです。まあくんに布団、出してあげてください」


 マイはボスン!と音を立てて僕のベッドに飛び込んだ。


 ちょっと待ってくれ! いつもそこで君のことを考えながらナニしてるんですけど!


 「わかった、わかった。ほな、お風呂も使うよね? 雅史は晩御飯がまだだから、先に入りなさい」


 なんでマイが突然、泊まると言い出したことに、何の疑問も感じないんだよ!


 「じゃあ、雅史の布団はどこに敷く? リビングでいい?」


 そりゃあ、同じ部屋で寝るわけにはいかないでしょ! リビングでいいよ!

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