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第90話 春の終わりに

 「そりゃ突然だなあ。誰も突っ込まなかったのか?」


 明日斗が笑っている。場所はいつものサイゼリアだ。チートデイだから会おうぜと、例によって日曜日の午後に落ち合った。確か減量期間中のはずなのに、しっかりミートソースと青豆の温サラダを食べている。


 「いや、誰も突っ込まなかった。朝起きたら、普通にマイが僕の席で朝御飯を食べてた」


 そうなのだ。起きがけに目に飛び込んできたのは、制服姿のマイだった。僕の席で、僕の皿を使って、トーストにブルーベリージャムを塗って食べていた。そのまま2人で登校した。前夜に続いてムスッとしていて、なぜ急に泊まったのか聞いても教えてくれなかった。


 「なんで急に泊まったのか、今でもわからないんだ」


 「なんでわからへんねん。雅史も鈍いなあ……。で、その後はどうなのよ? 続けて泊まってるん?」


 「いや、まだあの時だけ。でも、また泊まるつもりなのか僕の部屋に枕を持ってきた」


 「へえ〜」


 その枕を思い切り吸っているのがバレたら、殺されるかもしれない。でも、すごくいい匂いがするんだから、仕方がない。置いて行ったマイが悪い。


 「まあしかし、雅史とマイはめちゃくちゃ両思いなんやな。知ってたけど」


 明日斗はニヤニヤしながら、青豆をフォークで2、3粒ずつ突き刺しながら食べている。こうすると少量でも腹が膨れるのだそうだ。


 「うん。それは否定しない」


 「結局、手芸部の部長さんとはどうなったん?」


 「お断りしたらしいわ」


 「じゃあ、もう付き合っちゃえよ」


 「そうしたいのは山々だけど」


 「恋愛、大丈夫って言うてるんやろ?」


 「うん…」


 「なんや。その、朱嶺さん?って子のことが、心残りなんか?」


 「いや、それはない」


 ないと言い切ったけど、実はめちゃくちゃ心残りだった。だって、朱嶺はかわいいんだもの。


 もしマイと出会っていなければ、朱嶺に飛びついていただろう。僕にはもったいないくらいの女の子だ。でも、朱嶺と知り合う前に、マイに15年分の恩返しをすると宣言した。マイのことが好きということも自覚している。朱嶺と付き合うわけにはいかない。


 「ふ〜ん」


 何がふーんなのかわからないが、明日斗は温サラダをさらえると、真顔で水を飲んだ。


 「減量中なんやろ? そんなに食べて、大丈夫なんか?」


 「そんなって量かな。練習量は落としてないから、これくらい食べても大丈夫や。むしろ食べないと」


 総合格闘技もフルコンタクト空手と同様、体重別で試合が行われる。軽量級、中量級、重量級とせいぜい3部門くらいしかないフルコンに比べて、総合格闘技はもっと細かく分類されている。明日斗はウェルター級だ。確認したら、やはり翔太と同じだった。


 「調子、どうなん?」


 「絶好調ってわけじゃないけど。まあ、ぼちぼちって感じかな。そっちは?」


 「今、疲労のピークや。ほんまにしんどいわ」


 毎日、追い込みだった。月曜日から金曜日までクラスに出て、土曜日はラントレ。日曜日に休んで、また月曜日から練習。部活のある日も終わってからジムに行って、自主練していた。ずっと腕も足も重くて、背中もパンパンだった。


 「普通にいつも通り練習して、練習の延長って感じで試合に出ればいいのに」


 「うちのジムはこういう流儀なの」


 ジムにもよるし、選手個人にもよる。試合に向けての調整の仕方は人それぞれだ。


 「全日本で優勝して、告白やなあ」


 明日斗はニヤニヤしながら言った。


 確かに、そうなれば最高だな。最高にかっこいい。でも、関西選手権は無我夢中のうちに勝ち上がって、決勝では翔太に完敗した。自分が強くなったという実感は全くない。全日本を前にしても、自信は全くなかった。むしろ不安しかない。その不安から目を逸らすために、猛練習している。


 全日本優勝とか、全く意味わかんない。


 「俺も全日本で優勝したら、明科に告白しようかなあ」


 え? なんて?


 思わず明日斗をまじまじと見つめた。またゆっくりと水を飲んでいる。


 告白する? 明科に?


 「明日斗、明科のこと、好きなん?」


 明日斗は空になったコップをテーブルに置くと、ポケットからハンカチを取り出して口元を拭いた。


 「この前、あいつ、俺の試合の応援に来てくれたやんか」


 「うん」


 「あの時、めっちゃうれしかってん。それでこの前、お礼に一緒に食事に行ってん」


 何それどういうこと? 明日斗が女の子を食事に招待した? そんなことができる男だったのか? 次々に疑問が渦巻く。それに食事ったって、どうせサイゼリアだろう?


 「サイゼリア?」


 「もちろん」


 自信に満ちた表情で、深くうなずく。高校生にも関わらず、女子を誘って食事に行くなんて。長い付き合いだが、明日斗にそんなマメな面があるとは知らなかった。


 「え、それで好きになったん?」


 「うん。まあ、そうかな」


 さすがの明日斗も、少し照れている。


 ちょっと待ってくれ。


 あんな小学生みたいな、チビで胸もぺったんこの明科のどこがいいんだ。確かに小さくてかわいいなとは思うけど。


 「明科のどこが気に入ったの?」


 明日斗は腕組みすると、うーんと唸った。


 「そうだなあ。まあ、まずは俺のファンだってことかな」


 そうきたか。


 「もちろん、かわいいし。あと、一緒にいて楽しい。陰キャみたいな見た目だけど、話したらすごく楽しいんだぜ。知ってた?」


 なんだよ、もうメロメロじゃないか。


 「最初は俺の方がデカいし、守ってあげたいなとか思っていたんだけど、逆にめちゃくちゃ励ましてくれて、俺が守ってもらっているような気になるのさ。わかる?」


 明日斗は妙に饒舌だった。


 「試合前に女にうつつを抜かしてて、大丈夫なん?」


 「だから、まだ告白してないんじゃん」


 「でも、もうハマってるやん」


 「だから、我慢してんねん」


 明日斗はメニューを広げると、ページをペラペラとめくり始めた。まだ食うつもりか。性欲は我慢できるのに、食欲は我慢できないのか。普通、逆じゃないの? 手を止めると、ンンッと一つ変な咳払いをした。


 「……そりゃそうと、聞いた? ノックダウンの話」


 目を上げると、話題を変えてきた。


 「いや、全然知らない」


 懐かしい名前が出てきたな。すっかり忘れていたわ、ノックダウン。


 「なんか、警察に捕まったらしいで。主催していた大学生とかが」


 そういえば勝敗にお金を賭けて、トラブルになっているって言ってたな。


 「そりゃあ、あれだけ不良が集まってけんかしてたら、そうなるでしょ」


 明日斗は難しい顔をして、メニューを閉じた。


 「やっぱり止めた。我慢だ」


 黒沢も主催者の一員っぽかったけど、どうなったのだろう。


 「明日斗、偉いぞ」


 気になったけど、それ以上、考えるのはやめた。僕とは関係のない人間だ。あいつが逮捕されようがされまいが、僕には関係ないと言い聞かせた。それでも胸の奥のざらつきが消えることは、なかった。

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