とかなんとかやっているうちに、あっという間に合宿に行く日がやってきた。早朝に電車で出発。地下鉄、JR、バスと乗り継いで六甲山を目指す。バスの車窓からは、海沿いの街が見渡せた。いい景色だ。夜景はもっときれいだろう。
「いやあ、写生旅行なんて久しぶりだなあ。何年ぶりだろう。心が躍るねえ」
座席に腰掛けた神戸先生は引率というより、僕らのおじいちゃんという風情だ。ベージュのポロシャツの上に紺色の薄いサマージャケットを羽織り、下はきれいなジーンズ。つばの小さい中折れ帽をかぶり、なかなかおしゃれだ。膝の上にリュックを抱えている。
「そうですよ、先生。最高の思い出を作りましょう!」
隣に座った西塚さんが拳を握っている。紺色のポロシャツに白っぽい短パン。あまりセンスは良くない。米沢さんもそうだ。なにかのスポーツブランドのTシャツに下は学校のジャージーだった。走りに行くのか?
まあ、上下ジャージー姿の僕も、人のことは言えないが。
それに比べて、朱嶺はさすがだった。薄紫色の丈の長いワンピースにベージュのサマージャケット。足元は山に行くことを意識したのか、白いスニーカーだった。山に行くからとスポーティーな服装でやってきたダサい男子3人と比べると、よほどきちんとした装いをしてきている。
「朱嶺、たくさん写生しようね!」
西塚さんと米沢さんは道中でテンションが上がりきってしまって、さっきから何度も朱嶺に「写生」と言わせている。
「はい。たくさん写生しましょう」
たぶん、朱嶺もわかっているのだろう。半笑いで先輩たちのセクハラに付き合ってくれている。
「城山先輩も、たくさん写生しましょうね」
狭いバスの2人掛け席で、どうしてわざわざ僕の隣に座る? 身長180センチ超の僕と、同じく175センチは軽く超えている朱嶺が一緒に座るとギチギチだった。腰と太ももが密着して、汗でジトッとする。その状態でこちらを向いて、至近距離で言うわけだ。
「わかったよ」
かわいい顔で「写生」を連呼するなっつーの。早く股間の緊張が収まらないと、バスを降りる時にみんなに気づかれてしまう。
◇
昼前に到着した神戸市立自然の家は六甲山の山あいにあり、自然の地形を生かしたキャンプ場やハイキングコースなどが整備されている。その一角に宿泊施設があった。男性陣3人は二段ベッドが8つある洋室、朱嶺はツインルームに1人で泊まることになっていた。
「君たち、日焼け対策はしっかりしていくんだぞ。若いからって放っておくと、ひどいことになるからな。あと、飲み物は必ず持っていくこと。熱中症対策は忘れないように」
神戸先生の指示の下、持参した弁当を食べると早速、荷物を置いて敷地内で写生を始めた。今回は1泊2日。1日目に1枚、2日目に違う風景でもう1枚という予定だった。
「先輩、一緒に行きましょう」
大きな麦わら帽子をかぶった朱嶺がスケッチブックを手についてくる。
「あ、ずるいぞ! 俺も朱嶺と描きたい」
「俺も!」
結局、西塚さんも米沢さんも一緒になった。宿泊施設から少し離れたところに池があり、水面に映った木々の緑がいい感じだ。そこで4人そろって筆を走らせた。
幸いなことに、少し曇っていた。
夕方までに、なんとかざっくりと描くことができた。ただ、微調整は必要だ。スマホで撮影しておいたが、目で見て感じた色彩とは微妙に違う。そこは頭の中に叩き込んでおくしかない。
夕食はバーベキューだった。普通の定食ならもっと安いのだけど、西塚さんが「せっかく合宿に行くのだから奮発したい」とゴリ押しした。神戸先生は追加でビールを頼んでいた。いいのか、生徒の前で飲酒して。しかも、朱嶺にお酌をさせている。
明日斗や翔太と違って、僕は試合に向けて体重調整がない。重量級なので、どれだけ食べても問題ない。むしろしっかり食べて、大きな相手に当たり負けしないようにしておかないといけない。バーベキューの肉は特別に美味しいわけではなかったが、量はたくさんあったのでどんどん食べた。いろいろな話で盛り上がって、楽しかった。西塚さんも米沢さんも、さすがにもう志望校が決まっていた。西塚さんは関大、米沢さんは国公立志望で和歌山大か滋賀大と言っていた。
食事が終わると男子の部屋に朱嶺もやってきて、トランプ大会が始まった。負けたら誰かのモノマネをするという罰ゲームで、盛り上がった。米沢さんと朱嶺が異様に強く、西塚さんと僕ばかりがモノマネをしていた。
「どうぞ」
朱嶺が紙コップではあったが、紅茶を淹れてくれた。わざわざ家から持ってきたという。
一段落ついたところで全員、風呂に行った。戻ってくると神戸先生と西塚さんと米沢さんは早々にベッドに入ってしまった。お酒が入っている神戸先生は仕方がないとして、西塚さんと米沢さんはベッドでゴロゴロしながらスマホを触っているうちに、寝落ちしてしまった。
朝からあんなにテンションが上がっていたのだから、仕方がないかな。だけど、これは好都合だ。2人が起きていれば付き合わなければいけないが、寝てしまったとあれば走りに行こう。少しお腹もこなれたことだし。汗をかくだろうけど、帰ってきてからもう一度、お風呂に入ればいい。
早くもすやすやと寝息を立てている西塚さんと米沢さんに布団をかけると、Tシャツと短パンに着替えて部屋を出た。山の上なので、日が落ちると屋外は明らかに涼しかった。長袖を着てもいいくらいだ。さすが山。街中ではこうはいかない。
ここに来る前にホームページで調べておいた。周辺のハイキングコースが走るのに良さそうだ。昼間に少し見にいくと、舗装されていた。もう強い負荷をかける必要はない。でも、息はしっかり上げておきたい。月明かりで夜でもコースはよく見えた。1周約5キロ。軽くストレッチをしてから、走り出す。
全日本選手権はすでにトーナメント表が発表されていた。高校生は中、上級が合同。つまり黒帯も参加している。僕が参加する重量級のエントリーは8人だった。僕以外に2人、茶帯がいたが、他の5人は真正館の黒帯だ。ということはキャリアは3年以上。1年半程度の僕が太刀打ちできるのか。
怖い。負けるのが怖かった。
ものすごく練習している。正直、練習の質も量もこれまでで最高と言っていいほどやっている。だからこそ、逆に負けるのが怖い。これで負けたらどうしよう。代表をがっかりさせてしまう。ミユちゃんやジムの仲間たちをがっかりさせてしまう。
落胆させて、見捨てられるのが怖かった。
冷静に考えれば、たかが1年半程度のキャリアで参加者の少ない部門とはいえ、全日本まで駒を進めたのだ。上出来といえるだろう。初戦で負けたところで誰も文句は言わないはずだ。次の日から、何もなかったようにジムに行き、練習する。何も起きない。
違う。そうじゃない。
僕はずっといじめられっ子だった。空手を始めてネバギバに入って、やっと変わることができた。試合に出て勝つことは、自分が変わったことの証明だった。負ければ逆戻りだ。以前のいくじなしの自分に戻ってしまう。周囲の人が許しても、僕自身が許せないだろう。
だから、負けるのが怖いのだ。
不安を振り払うように、ペースを上げた。
はっ、はっ、はっ
少々、ペースを上げても息は切れない。随分と速く走れるようになった。中学時代の自分に見せてやりたい。やればこんなに変われるんだ。僕は、やらなかっただけなんだ。
ダメだぞ、中学時代の僕。
とはいえ、あの時の自分があったからこそ今の自分がいるんじゃないのか? 悔しい思いをたくさんしてきたからこそ、変わりたいという思いが背中を押すのではないのか?
もっとずっと先まで行けば、何が正解だったのかわかるかもしれない。だけど、今はわからない。
将来、か。
僕は何になるのだろう? 一体、何がしたいんだろう? ゴールが見えてくる。フルスピードまでギアを上げた。