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第95話 全日本選手権、開幕!

 全日本選手権の会場は京都府立体育館。午前9時開場なので早朝に大阪を出発した。翔太がセコンドで一緒に来てくれた。その代わり、次の翔太の試合では、僕がセコンドに入る。ギブアンドテイクとはいえ、早朝から京都まで一緒に来てくれて、本当に感謝しかなかった。


 ミユちゃんのお母さんが「車で行くから一緒に乗って行く?」と言ってくれたが、断った。ありがたい申し出だったけど、試合前でピリピリしているミユちゃんと狭い空間で長時間、一緒にいるのは嫌だった。


 だってあの子、キツいんだもの。


 夏の試合は、会場に行くまでにアップが終わってしまう。移動中に暑くて汗をかくからだ。会場に着いてから、アップのやりすぎは厳禁。代表からも強く言われていた。試合はメインアリーナ。選手控室は地下の武道場。着替えて軽くミット打ちを終えたところで、声をかけられた。


 「おお、雅史。調子はどうだ?」


 沖名先輩だった。いつもの審判の制服姿だ。


 「押忍、ぼちぼちです」


 今でも思わずこのあいさつが口をつく。沖名先輩は「固くなるなよ、リラックス」と言いながら、僕の腕をポンポンと叩いた。


 「フィジカルに特徴があって素質もあると思っていたけど、黒沢よりも先に全日本の舞台を踏むとはなあ」


 白い歯をのぞかせてニッコリと笑う。うれしそうだった。


 「全日本といっても、高校生の部なんで」


 黒沢よりも先に…なんて言われて、舞い上がるほどうれしかった。だけど、それを押し殺して、思ってもいないことを口にした。本当は全日本に来られて、めちゃくちゃうれしい。周囲に自慢したかった。


 だけど、そうしなかったのは、あくまでも高校生の部だからだ。真正館の全日本選手権にはさまざまな部門があり、本当に胸を張れるのは帯色や年齢に関係なく頂点を競う一般の部だ。この部門は防具をつけない。むき出しの拳で突き合い、足で蹴り合うので、防具アリの少年部や壮年部よりダメージが大きく、試合も壮絶だ。防御がうまくないとダメージがどんどん蓄積し、トーナメント終盤では負傷棄権する選手も少なくない。


 高校生でも腕に自信があれば、一般の部に参加する。高校生の部は、そういう本当の勝負から逃げてきた連中が集まってくるところなのだ。それが僕の認識。


 「まあ、そう言うな。最初に空手を教えた身としては、鼻が高いよ」


 沖名先輩は僕の肩に手を置いて、ぐいぐいと揺さぶった。


 京橋道場にいい思い出はないけど、沖名先輩も嫌いなわけではない。むしろ世話になったのに逃げ出したみたいで、ずっと申し訳なさは感じていた。道場を離れた今でもこうして声をかけてくれて、うれしかった。


 「押忍。頑張ります」


 真正館風に十字を切って、一礼した。


   ◇


 高校生の部は午後からだった。ミユちゃんは朝イチから試合が始まったので、観覧席から応援した。メインアリーナは舞洲アリーナほど広くないこともあり、選手とセコンドしか入れない。応援は2階の観覧席からだった。


 ミユちゃんは危なげなく1、2回戦を突破した。1回戦は手数で圧倒して判定勝ち。体のほぐれた2回戦は得意の上段回し蹴りでぐらつかせて、技ありを奪って勝った。


 落ち着いているし、集中している。2階席から見ていても、それがわかった。


 「いい感じですね」


 隣で応援していた、ミユちゃんのお母さんに声をかける。


 「そうね。まあ今回は、最後のつもりで挑んでいるから。覚悟が違うと思うのよ」


 早くも声が枯れている。お母さんはペットボトルのお茶をひと口、ふた口と飲んだ。


 「今回、優勝できなかったら、あの子、たぶん空手の神様に嫌われているんやわ」


 ふうと息をついて、笑った。


 「それはそうと、城山くん。改めて、ありがとうね」


 お母さんはこちらを向いて座り直すと、僕に頭を下げた。


 ミユちゃんは同じ不登校の身である僕が同じジムにいたことで、とても助かったと聞いていた。高校生にもなって、まだ不登校でも構わないのだと。そんなところを評価されたのは初めてだったし、ほめてもらうところでもないと思うので、なんだか複雑だ。頭を下げられるようなことは、していない。


 「いや、そんな。お礼なんてやめてください。僕、本当に何もしていないんで」


 お母さんは顔を上げると、僕を真正面から見つめた。


 「城山くん。自分では何もしていないつもりでも、周囲の人からすれば、とても助かっているということもあるのよ」


 「そうなんですか?」


 「そうよ。ミユにはずっと『学校に行かないと』という焦りがあってね。だけど、高校生になっても学校に行っていないあなたに出会えて、本当に気が楽になったのよ」


 「それって助けたことになるんですか?」


 お母さんはウフッと笑った。


 「だから、そういうことよ」


 どういうことなのか、わからない。


 「あの子、小さい頃は真正館で空手やっててね。正義感が強いというか、融通が利かないというか、学校ですぐけんかするのよ。空手の技を使って。男の子にも負けなくてね。ゴリラ女って呼ばれて。本当はすごく繊細で女の子らしいのに、周りは理解してくれなくて」


 手すりに手をかけると、試合場から引き揚げてくる愛娘を優しく見つめた。


 「それで学校に行けなくなってね」


 僕みたいなメンタルもフィジカルも弱いやつが不登校になるんだと思っていたけど、そうでもないみたいだ。ミユちゃんは逆に強すぎて、学校に行けなくなった。


 「小学校の同級生がいないところに行くって、中学受験したいって言い出してね。勉強しないといけないから空手は一度、区切りをつけるんだって。もうそこまで考えて、意思表示ができるようになったのよ。ずっと子供だと思っていたのに」


 話しているうちに、ミユちゃんが僕たちが待機している観覧席に戻ってきた。後ろからセコンドについていて代表もやってくる。


 「どう?」


 お母さんが声をかける。


 「ん、まあまあ。やっとエンジンかかってきた感じ」


 ミユちゃんはヘッドガードを椅子に置きながらニコリともせずに言うと、お母さんが差し出したエネルギーゼリーの蓋を開けて、ジューと一気に飲み干した。



 お昼前にマイと母さんと朱嶺が応援にやってきた。マイと母さんはともかく、なぜ朱嶺が。前にもこんなことあったな。


 確かに試合があるとは言ったけど、詳しい場所とか時間は言っていなかったはずだ。


 マイは最近、お気に入りのグリーンの半袖パーカーに足のラインがはっきりとわかるスキニージーンズ。こういうのを履けるようになったというのは、また一歩、前進なのではないかと僕は思っている。朱嶺は白いクールネックのロングTシャツにネイビーのプリーツスカートですっきりとまとめていた。


 「やっほー、来たよ」


 マイが笑顔で手を振る。


 「先輩、頑張ってください」


 朱嶺はいつも通り、丁寧にお辞儀をした。いかん。合宿のことを思い出して、朱嶺ばかり見てしまう。


 試合に集中だ。


 1回戦の相手は背が低く、コロンと太った相撲取りタイプだった。こういう相手は苦手じゃない。僕の方が圧倒的に手も足も長いので、胸元への突きと前蹴りで徹底的に突き放して、本戦で判定勝ちした。


 だけど、まだまだ。優勝するまで、気は抜けない。

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