目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第96話 チャンピオン

 2回戦までの待ち時間の間に、ミユちゃんの決勝が始まった。


 「見に行こう」


 翔太を誘って2階席を移動する。決勝の相手は、ミユちゃんよりも拳一つ分ほど背が高かった。横幅も大きく、とても小学生には見えない。


 「はじめ!」


 審判のかけ声と同時に、相手は前に出てきた。フィジカル差で圧倒するつもりだろう。


 ちなみに真正館の小学生のルールでは延長戦、再延長戦で決着が付かなかった場合、体重判定となる。少しでも体重が軽い方が勝つので、明らかに重い方は「自分が勝った」と審判に思わせる試合をしなければいけない。


 ミユちゃんはフットワークを生かして打ち合いに応じない。前に出てきた相手に前蹴りをコツコツと当てながら、試合場を目一杯に使って逃げ回る。


 このまま延長、再延長まで行けばミユちゃんの勝ちだろう。だって、相手はろくに突きを当てられていないのだから。だが、ミユちゃんはそんなセコい試合をする子かな?


 「ラスト1分!」


 セコンド席から代表の声が飛ぶと、ギアを上げた。前蹴りに慣れて、押し潰して前に出ようとする相手のボディーに左ストレート。そのままサウスポーにスイッチすると、相手の体が傾くほど強烈なインローを叩き込んだ。


 「うわ、エグっ」


 見ていた翔太が思わず顔を歪める。


 あれは痛い。僕も散々、食らった。


 内股への下段回し蹴りをインローという。普通は膝の上、肉の柔らかい部分を蹴るのだが、ミユちゃんは膝の内側や、膝の下の骨の部分を蹴る。硬い部分なので自爆する危険性があるのだが、一発で「痛い」と思わせるところを的確に蹴ってくる。得意技だった。


 だが、相手も必死だ。痛みに耐えて前進すると、やっと捕まえたとばかりに突きの連打で押し込んだ。


 うわ、まずい。相手の方が圧倒的に大きい。突き合いになれば、不利なのは明らかだ。しかし、ここでミユちゃんは、突き合いに応じてみせた。胸を張ってボディーへの下突きを連打して、踏ん張った。


 おお、すごい、すごいぞ!


 これだけのフィジカル差があれば、捕まえさえすれば確実に押し勝てる。相手はそう思っていたのだろう。自分より細いミユちゃんの予想外の反撃に戸惑った。その証拠に、ステップして角度を変えた。それは体の小さい選手が、自分よりも大きな選手を相手に使うテクニックだ。


 弱気になったところを見逃さなかった。胸元に突きを叩き込んで後退させると、再びインロー。ぐらついた相手に、瞬きする間もない速さで得意の左ハイキックを叩き込んだ。


 やった!


 相手選手はつんのめって、畳に両手をついた。膝に手を当てて、すぐに起き上がる。いや、なんともないふりをしているけど、明らかに効いただろ!


 ピッ!


 一人の副審が笛を吹き、旗を横に上げた。技ありだ。ところが、もう一人の副審はピピピと笛を吹きながら、自分の顔の前で旗を振った。これは「有効な技なのかどうか、見えません」というゼスチャーだ。要するにハイキックが当たったかどうか、わかりませんということ。


 ミユちゃんと相手選手は開始線に戻る。


 「副審、技あり、1。主審、取りません」


 主審もポイントと認定しなかった。


 「最低でも技ありだろ」


 珍しく翔太が口を尖らせて怒っている。


 「続行!」


 試合が再開された。


 「ラスト15秒!」


 代表の声が飛ぶ。


 さっきのは技ありにこそならなかったが、明らかに一人の副審には好印象を残した。このままステップで逃げ切るのも手だ。と思っていたが、ミユちゃんは逃げなかった。一気に間合いを詰めると打ち合った。相手も必死になって打ち返す。膝蹴りでミユちゃんを押し込んで、場外まで持っていった。


 「場外に出ない!」


 まだ反則ではないが、主審がミユちゃんに注意する。何度も場外に出ると注意が宣告され、相手のポイントとなる。ミユちゃんの技ありは認定されなかったので、現状のポイントは0ー0のドロー。しかし、もう一度、ミユちゃんが場外に押し出されれば、終盤に相手が盛り返したことで延長戦になる。下手すれば本線で負けてしまう可能性もある。


 まずい。ラスト10秒もない。延長戦突入を狙って、一気に畳み掛けてくる。


 「続行!」


 相手が一気に詰めてきたタイミングで、ミユちゃんは一歩下がってサウスポーからノーマルにスイッチした。


 スッと左足を上げる。先ほど、左ハイをもらった相手は、これに反応した。足が止まる。ミユちゃんは左足を踏み込んで下すと、背中から半回転した。


 後ろ回し蹴り!


 これも練習でよくやられるやつだ。ミユちゃんの後ろ回し蹴りは、名前とは違って一直線に下から蹴り上げてくる。どちらかといえば、後ろ蹴りだ。これが鮮やかに相手の顔面を捉えた。相手はのけぞって、たまらずに尻餅をつく。


 ピッ!


 再び、先ほど左ハイキックを認定してくれた副審が旗を横に上げた。ちょうどそのタイミングで、試合が終わった。


 両者、主審に促されて開始線まで戻る。


 うわあ、どうなる。


 最後の後ろ回し蹴りを技あり認定してくれれば、確実に勝っているけど……。


 「副審、技あり、1。主審、技あり!」


 お!


 「赤に技ありがあります。勝者、赤!」


 おお!


 ちなみに、赤がミユちゃんね。


 やった!


 観覧席からもワッと歓声が上がる。


 ミユちゃんは大して喜ぶこともなく、淡々と一礼すると相手の選手と握手して、試合場を出た。


 やった、やったぞ! こっちの方が大喜びしている。


 「翔太!」


 見ると、珍しく翔太も笑っていた。手を挙げて、痛いくらいのハイタッチをかわす。


 すごい! ミユちゃん、全日本王者になっちゃった! うれしくて、感激して、涙がこぼれそうになる。


 おお、そうだ。


 僕もそろそろ試合場に戻らないと。


 絶対に階段ですれ違うだろう。ワクワクしながら降りていくと、やはり上ってくるミユちゃんと代表と鉢合わせした。


 「ミユちゃん、おめでとう!」


 当然、ハイタッチするだろうと思って手を挙げたが、ミユちゃんはそれを不機嫌な眼差しで見つめると「はあ?」と言った。あごから汗を垂らして、足すら止めない。


 「え、いや……。ハイタッチするかなって……」


 僕らを通り越したところでようやく立ち止まると、振り向いた。


 「城山がチャンピオンになったら、やったるわ」


 吐き捨てるように言うと、また背中を向けて階段を上っていった。


  何、あれ。小6なのに、怖すぎ……。僕は呆然と、その後ろ姿を見送るしかなかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?