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第100話 翔太vs明日斗

 翌週の日曜日はアマチュア修斗の関西選手権だった。


 各階級の優勝者は10月の全日本選手権に出場できる。そこで上位入賞すれば、プロ昇格資格を獲得できる。要するに、プロへの本格的な登竜門というわけだ。会場は大阪市立体育館の武道場だった。キングダムのようなリングではなく、柔道と同じ広さの畳の上が試合場だ。僕は翔太のセコンドについた。


 1回戦は順当勝ちだった。打撃から組み合うと柔道経験者らしく内股でテイクダウンを奪い、グラウンドでトップキープ。腕十字を狙いにいくも決め切れず、判定勝ち。初戦で動きが硬かったにしては、上出来だった。


 続く2回戦の相手が、明日斗だった。


 会場入りして、いることはわかっていたけど、翔太とぶつかることがわかっていたので、あえて声はかけなかった。明日斗は1回戦、強烈なミドルキックでプレッシャーをかけて、苦し紛れにタックルに来た相手を押し潰し、バックテイクからリアネイキッドチョーク|(裸絞め)を決めて一本勝ちした。


 「小さい頃から空手やキックボクシングをやっているので打撃が強い。と思う」


 僕は翔太に中途半端なアドバイスをした。うなずいているが、やることは一緒だろう。捕まえて、投げて、トップから攻める。それが翔太のスタイルだ。フィジカル、特に柔道経験者らしい腰の強さがある。捕まえれば、まず間違いなくテイクダウンできる。それが強みだった。


 明日斗と練習したことがないので、どれくらい強いのかわからない。でも、翔太は、少なくともネバギバにいる高校生では、屈指の実力者だ。打撃も強い。実際、僕は関西選手権で手も足も出ずに負けた。黒沢からもKOを奪っている。


 ところが、試合は一方的な展開になった。


 パンチから組みに行きたい翔太を、明日斗がミドルキックで止める。止まったところにさらにミドルが飛んできた。


 「翔太、キャッチ、キャッチ!」


 総合では意外にミドルキックは使わない。蹴り足をつかまれて倒されるからだ。ところが、翔太はなかなか明日斗を捕まえられない。パンチで探り合って、タックルに行こうとするタイミングで的確に蹴りが飛んでくる。


 明日斗、うまいな。


 トーナメント形式で、決勝以外は4分間1ラウンドのみ。途中で流れを変えないと、このまま終わってしまう。


 蹴りが強力なので入れないのかな?


 「翔太、打撃に切り替えろ!」


 観覧席から代表の声が飛ぶ。


 えっ、そうなの?


 翔太はタックルのタイミングをうかがうのをやめて、打撃で対抗した。しかし、明日斗のミドルが強烈で流れを変えられない。


 ズシン!


 地響きがするような明日斗のミドルを翔太は前腕でガードして、体をくの字に曲げる。


 「あっくん! 行け!」


 あちらの応援席から、明科のよく通る声が聞こえた。奈良くんからあっくんに変わっている。彼女候補が応援に来ている明日斗と、練習仲間がセコンドの翔太。どっちがメンタル的に強い? たぶん、明日斗だろう。負けられない気持ちで戦っているはずだ。


 有効なアドバイスをできないうちに、試合は終わってしまった。終始、打撃で押した明日斗の判定勝ち。


 「ごめん。ろくなこと言えなくて」


 引き揚げてきた翔太に、謝った。


 翔太は目を丸くして少し驚いた顔をして、かなり間を置いてから「外して」とヘッドガードを差し出してきた。外れないように、ビニールテープで巻いているのだ。


 なんだかなあ……。


 選手としても、セコンドとしても、僕は中途半端だ。反省したくても、どう反省したらいいのかがさえわからない。


   ◇


 「おう、お疲れ」


 会場の隅で翔太が着替えてくるのを待っていると、代表がやってきた。僕の隣に座る。


 「どうだ。総合、面白いだろ?」


 「はあ。そうですね」


 がっかりしている最中だったので、愛想もくそもない返事をした。


 とはいえ、確かに総合は面白い。


 空手の試合には組みはない。ルール上、道着をつかんでコントロールしたり、投げたりできない。もちろん寝技もない。だが、総合は殴って蹴って組み合って、投げて寝技をする。なんでもありだ。


 空手をやっていると「ここで組めたら」と考えることがある。それをできるのが総合格闘技だ。打撃の先、組みの先、投げの先、寝技の先があって、奥の深さを感じる。だが、それだけにやることが多くて難しい。


 「次は総合の試合に出てみるか?」


 代表は少し僕の方に身を乗り出した。


 「いや、まだ全然、できてないですし……。きょうもろくなアドバイスできませんでしたし……」


 しょんぼりしていて、とても次の試合のことなんて、考えられない。


 「理解できるまで待ってたら、年寄りになっちゃうよ。俺だってまだ勉強中なんだから」


 代表の言葉に、少し驚く。


 「え、そうなんですか?」


 「そうだよ」


 プロになって、自分のジムも構えている代表が「まだ勉強中」とは、意外だった。いつもクラスでなんでも教えてもらえるし、全てわかっていると思っていた。僕は代表を見つめる。


 「なんだ。俺の顔になんかついてるか?」


 代表は照れて、あっちを向いてしまった。


 絶対優勝すると思っていた明日斗は、意外なことに準決勝で負けてしまった。例によってミドルキックで試合を優勢に進めていたが、キャッチされて倒されて、トップから攻められて判定負けした。


 「うん。あのミドルをキャッチできる余裕がほしいんだよな。もう少しフィジカルの強さと、あと余裕がほしいなあ」


 翔太と並んで観戦していると、代表は隣で何度も「余裕」という言葉を使った。


 言われてみれば、確かに翔太の試合運びには余裕がない。勝ちたいという気持ちが前面に出ているといえば聞こえはいいが、闘牛のように突進するだけだ。相手を思ったように動かすとか、フェイントで崩すとかいう狡さがない。まあ、そんな翔太に僕は完敗したわけだけど。


 試合場から出た明日斗に、明科が何か話しかけている。気持ちはわかるぞ、明日斗。今、めちゃくちゃ悔しいだろう。


 全試合が終わって、3人で帰ろうとしたところで明日斗とばったり会った。


 「あ、きょうはどうも」


 僕を素通りして、翔太に頭を下げた。


 「え、こ、こちらこそ」


 翔太も頭を下げる。


 「プレッシャーが強くて、大変でした。あの試合で、だいぶスタミナ使ってしもて」


 「そうなんスか」


 明日斗は僕の方を向いた。


 「この後、サイゼ行く?」


 やっぱり行くのか。


 「え。明科と一緒じゃないの?」


 「一緒やけど、ええで」


 「ええの? じゃあ、行こか」


 明日斗が立ち去った後、代表が聞いてきた。


 「知り合い?」


 「はい。幼馴染で」


 「それでか」


 翔太が割り込む。おそらく「それでスタイルを知っていたのか」と言いたいのだろう。


 省略しすぎだ。


   ◇


 試合の反省会が始まるのかと思いきや、明日斗はミラノドリアをいつもの1皿増しの3人前頼み、さらにマルゲリータも追加した。


 「やっと好きなだけ食える!」


 満面の笑みでピザをほおばり、すごい勢いでドリンクバーをおかわりをする。そして、最近読んだ漫画とか、最近見たYouTubeの話をした。格闘技の動画しか見ていないんだろうと思っていたら、意外にお笑いとか料理の動画を見ていて、そっち方面の話ばかりした。


 ああ、わかったぞ。明科に気を遣っているんだな。


 僕と2人ならば、きょうの試合がああだったとかこうだったとか言いたいのだろう。だけど、そんな話をしても、明科にはわからない。だから、意図的にわかりそうな話をしている。明科はしばらくそんな明日斗の話を笑いながら聞いていたが、ふっと真顔になった。


 「あっくん、ちょっとストップ」


 「なん?」


 「あんな、ほんまはきょうの試合の話、したいんとちゃうの?」


 「ん……」


 明日斗は動かしていた口を止めた。


 「んん……そうやな。うん。でも、試合の話しても、おもんないやろ? 負けたし」


 口の中のものを飲み下す。


 「おもろいとか、おもんないとかいう話やないんとちゃうかな? コハは、あっくんが本当にしたい話を聞きたいよ」


 前から思っていたが、明科は小学生みたいな外見とは違い、中身はものすごく大人だ。気配りや目配りが行き届いているし、人の考えを察するのもうまい。時々、先生と話しているのかと思うことがある。


 「そうなん? じゃあ、まず悔しかったという話、していい?」


 「ええよ。だって全部、試合見てたし」


 その後、明日斗は自分がいかにして負けたかという話を延々と語り始めた。明科は真剣な顔をして、うん、そうなん、と相槌を打ちながら聞いている。


 話を聞くのも、めちゃくちゃうまい。


 いや、聞くだけじゃない。引き出すのがうまいのだ。明日斗がこの辺でやめとこうかなというところで、「そうなんや〜」と絶妙な合いの手を入れる。おかげで、明日斗は思っていたことを全部話してしまう。


 カウンセラーって、こんな感じじゃないのか? カウンセリング受けたことないから、知らんけど。とにかく一つ言えるのは、明日斗は完全に明科の手のひらの上にいるということだ。この2人、付き合い始めたら絶対に明日斗が尻に敷かれるな。間違いない。

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