目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第106話 和歌山旅行

 和歌山行きの朝、母さんは怖い顔をして僕に向かって「わかってるんでしょうね」とドスを利かせた。何が? いや、なんとなく言わんとするところはわからなくもない。心配しなくても大丈夫だよと言ってやろうと思ったけど、そのうち気がつくか、それともマイが言うんじゃないかと思って黙っていた。


 城山家の自家用車はホンダのワゴン車だ。運転席に父さん、助手席に母さん、2列目に竜二とマイ、そして狭い最後列に僕。


 マイは出発前からご機嫌だった。デニムの七分丈のパンツに白いTシャツ。薄緑色のパーカーは、いかにもこれから夏休みを満喫しにいく女子高生って感じ。黄色いリボンのついた麦わら帽子をかぶって、竜二と少し前に流行った漫画の話で盛り上がっていた。


 なぜ彼氏である僕の横に来ないのか。


 まあ、いいか。マイは城山家の全員から愛されている。父さんと母さんにとっては自分の娘同然であり、竜二にとってはお姉ちゃんだ。それに応えるのが、マイなりの家族サービスというところなのだろう。


 和歌山といえば有名なのは白浜だが、城山家はそんなメジャーなところには行かない。梅林で有名な南部で一泊する。夏場は観光客が少なくて、ゆっくり過ごせるからだ。泳ぐのは南部の北にある産湯海水浴場という、隠れた名所に行く。遠浅で砂浜もきれいで、わが家のお気に入りだった。


 マイの水着は、濃い黄色にハイビスカスやヤシの葉をデザインしたビキニだった。フリルのパレオがかわいらしい。


 「どう? 似合うかな?」


 出たぞ、マイの見て見て攻撃。少し照れながらクルリと一回転する。パレオがフワッと広がって、形のいいお尻がチラリと見える。


 ああ、かわいい。めちゃくちゃかわいい。プリッとしたお尻がかわいいぞ!


 「まあ、よく似合っているわ」


 恥ずかしすぎて素直に言えない僕の代わりに、母さんがほめた。


 マイは少し照れながら「早く行こうよ」と僕と竜二を促して海へと入っていく。手を引かれると、微妙に股間が反応した。夏の日差しがキラキラと降り注ぐ。


 高校生になっても海水浴というのは楽しいものだ。ビーチボールを追いかけたり、竜二と浮き輪につかまって遠泳したり、マイと干潟でカニを追いかけたりしているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。


 売店でフランクフルトとフライドポテトという、とても健康的な軽食を摂り、ぶらぶらしているうちに猛烈に暑くなってきた。


 「もうホテルに行こうか」


 父さんが額に手をかざしながら言う。つばの広い帽子にサングラス、長袖ラッシュガードに海パンの下にはロングスパッツと完全な日焼け対策を施しているが、それでも暑そうだ。「父さんが小さい頃の夏は、こんなに暑くなかったのになあ」とボヤいている。


 「あ、じゃあ、行く前にアイス食べたい」


 竜二が言い出した。ここに来るとソフトクリームを食べるのが、わが弟のルーチンだ。中学2年にもなっていまだにアイス食べたいなんて子供かよと思わなくもないが、そこは温かい目で見てやろう。


 竜二は父さんと母さんとソフトクリームを買いに行った。最初は父さんと竜二で行きかけていたのに、母さんが「私も行くわ」とついていった。こちらを向いてウインクしたのは、なんなのだろう。もうマイに告白したと言ってしまおうか。


 「夕日を見る前に溶けてしまいそう」


 そう。僕の当初のシミュレーションでは、ここで告白しようと思っていた。しかし、このギラギラっぷりと見るに、その時間帯までいたら焼け死んでしまう。


 「ほんまやね」


 マイも苦笑いしている。産湯海水浴場は本当にいいビーチなのだが、あえて難を言うと日差しをさえぎるものが全くない。パラソルを持ってきていたが、さすがに5人は入れない。今は僕とマイで使っている。


 「ここで付き合ってって言うつもりやったんやけど」


 「そうなんや。確かに夕方やったらロマンチックかもしれへんね」


 日差しは強烈だけど、風は涼しい。そんなところで、お盆は過ぎたんだなと感じる。


 「ねえ」


 「なに?」


 マイのほおが少し赤くなっているのは、日焼けのせいだろうか。もっとしっかり日焼け止めを塗っておかないと、後で大変なことになるぞ。僕は真顔でマイを見つめた。


 「好きです」


 マイは目を丸くした。


 「こんな感じで言おうと思っていたんだけど」


 「あ、はあ……そうなんや」


 動揺しているのか、目が泳いでいる。


 「なんか、ずっこい(ずるい)わ、そんな、急に言うて」


 今度は日焼けではない。明らかに照れて赤くなっている。もじもじしてあっちを向いてしまった。


 よし、とりあえず思っていた場所で、思っていたことは言ったぞ。心の中でガッツポーズをしてニヤニヤしていたら、ツンツンと腕をつつかれた。


 「なに?」


 「あんな、まあくん……」


 マイは腰を上げると、僕の耳のそばで「ウチも好きやで!」とささやいた。


 スッと体を離すと、照れながら微笑む。


 かわいいなあ、もう!


 いやあ、いい雰囲気なんじゃない? 控えめに言って最高って、こういうことを言うのかな? ちょっと朱嶺のことを思い出して、胸がチクチクする。新学期が始まったら、きちんと話をしないと。でも今は、目の前のマイに没頭したかった。


 我慢できずに抱き寄せようとしたその時、背後から「お兄ちゃん、アイス買ってきたで!」という竜二の元気な声が聞こえた。



 早めにホテルにチェックインして温泉に入り、夕食はビュッフェで腹一杯食べて、その後、また温泉に入った。夜はマイを加えた家族でトランプをして盛り上がった。翌日は白浜のアドベンチャーワールドに行ってパンダを見たり、有名な市場に行って海鮮丼を食べたりした。


 帰途、竜二が疲れて眠ってしまうと、マイは僕の隣に移動してきた。


 「楽しかった?」


 「楽しかったよ。マイは?」


 「ウチも」


 さりげなくそっと寄り添ってみる。腕と腕が接触する。嫌がるかなと思っていたが、マイは逆に僕の腕に体重をかけてきた。


 「カップルみたい」


 「みたいじゃなくて、そうなんやって」


 旅行の間、2人で手を繋いだり、腕を組んだりしてみた。まださりげなくできない。幼馴染とはいえ一応、異性なわけだし、僕はいつ頃からかは忘れたけど、マイを触らないようにしてきた。だから、抵抗がある。そう、イチャイチャすることに抵抗がある。


 「これからさ、手とか繋いでいい?」


 念のために聞いた。


 「え? 別にええよ。これまでも普通にしてたやん」


 いや、普通にしてないし。手を繋ぐときは結構、意を決して承諾を得ていましたよ!


 「ウチもええやろ?」


 「そりゃ、ええよ。全然」


 「ハグとかはどうする?」


 「え?」


 「ハグは普通にする?」


 マイは僕の顔をのぞき込んだ。


 「え、していいの?」


 「え!」


 自分で振っといて、なぜそこで驚くのだ。


 「する前に、言おうか?」


 「いや、ただのハグやけど?」


 「だから、する前に……」


 あ、ちょっと待って。わかった。


 「ああ、待って。ええわ。ええよ。ハグはオッケーにしよう」


 マイはホッとした顔をする。そうか。マイは意外に、相手に引っ張ってほしいタイプなのだ。僕にオッケーと言ってほしかったのだ。かわいいところ、あるじゃないか。


 疲れて眠るまで、マイは僕の腕を指先で突きながら「腕を組むのはどうする?」とか「肩を組むのはどうする?」とか言って全部、僕に「オッケー」と言わせた。僕がオッケーと言うと、実にうれしそうな顔をした。


 最後に真剣な顔をして「キスは?」と言い出した時には、悪いなと思いながらも笑ってしまった。


 「なんなん? ウチは真剣なんやけど!」


 「ごめん。それもオッケーとちゃう?」


 「え! キスやで! そんな簡単にオッケーでええの?」


 眉根を寄せて、ちょっと怒った顔をしている。だけど、怒っているわけではない。照れているのだ。


 いいでしょ、キスも。カップルなんだから。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?