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第109話 知らないうちに

 「よお」


 新田は薄笑いを浮かべながら、手を挙げた。なんだかおかしい。随分、雰囲気が変わった。以前はむき出しのナイフというか、いつ何をきっかけにキレるのかわからない怖さを漂わせていた。だけど、今は穏やかだ。


 「退院したんだ」


 相変わらず、近付くのは嫌だった。手が届かない位置で立ち止まる。


 「ああ。3カ月、寝てたらしいわ」


 歩み寄ってくる。


 「来んなよ」


 「相変わらず冷たいな」


 ニヤリとして、立ち止まった。


 「よろしくやってんのか?」


 「何が」


 「いろいろだよ」


 「意味わかんない」


 新田はヘラヘラと笑いながら上体を揺らすと「まあ、座れよ」と自分が先に座った。腰を下ろす。が、お尻はつけない。新田は寝そべって肘をつき、上体だけ起こした。


 「立っているだけでも結構、しんどくてな。いろいろ厄介だわ」


 川の方を向いて、投げ出すように言った。


 「あれ、黒沢にやられたの?」


 聞くまでもないことを聞く。


 「ああ、うん。そうかなあ。でも、本人はいなかったぜ。例によってな」


 まあ、そうだろう。


 「まあでも、その後、めちゃくちゃになったじゃん? 自ら手を下していても、一緒だったと思うわ」


 新田は、わけのわからないことを言った。


 「なんのこと?」


 川の方を向いていたが、しばらくしてゆっくりと僕の方に振り向いた。


 「知らんの?」


 「え……何が?」


 新田はフッと鼻で笑った。


 「え? どこから知らん? まず、ノックダウンが終了したことは知ってる?」


 「いや、知らん」


 参加者が勝敗にお金を賭けて、トラブルになって警察沙汰になったことは明日斗から聞いたが、それ以上のことは知らなかった。


 「いつの間にか勝敗にカネを賭けるようになって、カネが払えなくなったやつが万引きしてな。万引きしたものを仲間に売ってカネを作ろうとして、補導されたんだよ。そこから芋づる式よ。だから中学生なんか入れんなって言ったのに。ガキはこれだから困るわ。それが今年の5月の話」


 そんなことがあったのか。


 「黒沢も主催者の一人だったから、警察に呼ばれたらしい。スマホを調べられたみたいで、俺が意識を取り戻してスマホを見たら『クラウドも含めて中身全部消せ』ってメッセージが来てた。まあ、手遅れやったけど。俺のスマホ、親が警察に見せた後やった」


 ハハハと乾いた笑い声。


 「岩出をレイプした動画、バッチリ見られた後やったわ。あ〜あ。まあ、だから、安心せえ。黄崎の動画は、黒沢が消した」


 ハッとした。ずっと心の片隅に刺さっていた棘が、スッと抜けた感じがした。あの動画、もうないんだ。


 「そうなの?」


 「ああ。警察に見られる前に全部、消したって言ってた」


 胸につかえていたものがストンと落ちた。


 そんなゴタゴタがあった中で、黒沢は関西選手権に出たのか。ろくに練習もできていなかったのではないか。僕なら私生活がそんなことになっていたら、集中できない。


 「ノックダウンの後始末で、学校や警察にチクったやつらをシメていたのが6月。大変だったみたいだぞ。俺、まだ歩けなくてリハビリ中だったのに、召集かかったからな」


 新田はヘラヘラ笑っているが、そんなことになっていたとは驚きだった。


 「行けねえっつーの」


 新田は土手の草をちぎりながら吐き捨てた。


 「で、郡司問題が勃発したのが7月」


 なんだ、郡司問題って?


 「郡司は知ってるだろ? 郡司愛莉」


 ああ、知ってる。黒沢がマイを捨てた後、付き合っていた女子だ。


 「郡司が妊娠してな」


 え!


 「あいつは黒沢の子供だって主張したんだけど、黒沢は違うって拒否、いや違う。否定か。否定してよ。まあ、ひどい話だ。他の男とヤッたんだろって」


 そんなことがあったんだ。


 「で、郡司は産むってゴネたんだけど、最終的に流産してな。黒沢が腹を蹴ったのが原因なんじゃないかと、もっぱらの噂だ」


 「え、ひどい!」


 本当に17歳なのか? 高校2年生でやることじゃないぞ。


 「え、それで、どうなったの?」


 思わずこっちから興味津々で聞いてしまった。


 「そりゃ普通に別れるとか、別れないとかいう話になってな」


 そりゃそうだろう。そんなひどい男と引き続き付き合うなんて、ない。ないわ。


 いや、それよりも。


 黒沢は郡司と別れたら、マイとよりを戻そうとするのではないか? マイにはもうそのつもりはないだろう。いや、ない。今は僕の彼女なんだから。だけど、火の粉が降りかかってくる可能性を感じて、寒気がした。


 「黒沢はキープが何人かいるから、今はその子らと遊んでる。だけど、別れると言われた郡司は納得してなくてな。俺んとこにもいろいろLINEが来るのよ」


 ちょっとホッとした。キープがいるということは、すぐにこっちに矛先が向く可能性は低いというわけだ。


 「え? 郡司が新田に?」


 「そう。黒沢とよりを戻したいから手伝ってくれって。どうせえっちゅーねん」


 新田はアハハと笑った。


 おかしい。さっきから何か不自然だ。新田らしくない。気の抜けた炭酸飲料みたいだ。以前のようなギラギラした殺気を感じない。


 「黒沢は組から郡司を追い出したつもりになっているけど、郡司はまだ女将として組に居座っているつもりなのよ。で、組の連中に泣きついているっていうのが現状かなあ」


 新田は手を上げると、僕を指差した。指先が少し震えている。


 「お前のところにも、行くかもよ?」


 「マイの関係で?」


 「そう。元カノだろ?」


 「迷惑やな」


 僕のところに来るのは、百歩譲ってまだいいとしよう。無視すればいいのだから。だけど直接、マイのところに行かれるのはまずい。1年前のことを思い出して、また過呼吸の発作を起こすかもしれない。


 とにかく徹底ガードだ。ガードするしかない。昨秋のようにずっとそばにいて、郡司や黒沢を近づけないようにしないと。


 そういえば、マイを待たせたままだ。立ち上がった。


 新田と仲良くするつもりはない。だけど、たまに会うとこうして情報をくれるのは、ありがたかった。あっちは僕に好意を抱いている。悪いけど、存分に活用させてもらう。


 「明日から授業に復帰するの?」


 「するよ」


 「そう」


 新田が返事をしないので、そのままきびすを返して校舎に向かった。きな臭い。危ない目に遭う前に、火の粉は払わないといけない。それは僕だけではない。マイもだ。

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