始業式の翌日も、何事もなく過ぎた。
きょうは部活の始動日だ。否が応でも朱嶺と2人きりにならないといけない。美術準備室に到着すると、いつも通り朱嶺が大きなお尻をこちらに向けて掃除をしていた。
「お疲れ」
「あ、お疲れさまです」
朱嶺はいつも早めに来て、部室の掃除をしている。終わると部員のためにお茶を淹れてくれる。実に甲斐甲斐しい。だが、きょうはそんなことに感心している場合ではない。僕は鞄を部屋の隅に置くと、紅茶を淹れている朱嶺の前まで行って、目の前で土下座した。
「ごめんなさい!」
床に額をすり付ける。
コポコポコポ…。
電気ポットからお湯を注いでいる音がする。頭を上げると、朱嶺は手を止めてこちらを見ていた。いつも通り、特に表情はない。下から見上げているので、巨乳がいつも以上の迫力で目に飛び込んでくる。
股間が反応する。いかんいかん。勃っている場合か!
「先日、マイに告白してしまいました」
僕は絞り出すように言った。
言ってしまった。
言わなければ朱嶺とこの生ぬるく、それでいて官能的な関係を続けていけたのに。これで全部、ぶち壊しだ。でも、それでいい。マイと正式に付き合い始めた以上、朱嶺との中途半端な関係は精算しないといけない。
「だから僕はもう……」
「先輩」
朱嶺は僕の言葉をさえぎった。
「何?」
「立ってください。そんな格好、先輩らしくありません。それともなんですか? 私のスカートの中をのぞきたいのですか?」
朱嶺は少しツンとした口調で言った。
いや、そういうわけじゃない。うん。でも、もう少し近づけば見えそうだとは思っていた。いやいや……何を考えているんだ。
朱嶺がまた紅茶を淹れる手を動かし始めたので、僕はなんとなく立ち上がった。
「だから僕はもう、朱嶺とは付き合えないと言いたかったのですか?」
自宅から持ってきた赤くて丸い、かわいいポットからカップに紅茶を注ぐ。
「う…ん、まあ、それに近いことを」
素直にうんと言ってしまうと、傷つけてしまいそう。というか、間違いなく傷つけてしまう。言いづらかった。朱嶺は表情をこれっぽっちも変えずに、机の上にティーカップを置いた。
「まあどうぞ」
席を勧めてくる。言われたまま、僕は朱嶺の斜め向かいあたりに椅子を置いて座った。
「私のこと、嫌いになったのですか?」
朱嶺は紅茶をストレートで飲む。ティーカップを持ち上げて少しだけ口をつけて、またテーブルに置いた。
「え…。いや、そんなことはないよ」
「まだ私のことを、かわいいと思ってくださっていますか?」
「それはもちろん」
こっちを見る。少し目が笑っている。
「では、何も問題ないじゃありませんか」
「え、どういうこと?」
朱嶺は机の脇に置いていた自分の鞄を開けると、中からカントリーマアムの巨大なパックを取り出した。
「どうぞ」
2つ取り出して、渡してくる。受け取ると、1つを開封して口に運んだ。うまい。トースターで少し温めて食べると、食感が変わって美味しいよね。
「問題ないって、どういうこと?」
改めて聞いた。
「だって、以前と何も変わりませんから」
朱嶺はカントリーマアムを持ったまま、特になんの抑揚もつけずに言った。
「だって、以前から先輩は黄崎先輩のことが好きだとおっしゃっていました。暗に私とは付き合えないとおっしゃっていると受け止めていましたが、それでも私のことをかわいがってくださいました。私のことを嫌いになられたのでなければ、告白しようがしまいが、特に何も変わりはしませんので」
一気に言うと袋を開封して、カントリーマアムを口に運んだ。
もぐもぐもぐ……。
上品に口元を手で押さえながら、噛み締めている。なるほど。確かに言われてみればその通りかも。
「私が先輩のことが好きなことも、何も変わっていません。それに以前、言いましたよね。諦めませんからって」
ああ、確かに言われたな。
「覚えているよ。でも、僕はマイと付き合い始めたから、朱嶺とは付き合えない。この前みたいに、デートとかはもう無理」
朱嶺は首の後ろに手を差し込むと、髪をかき上げた。
「では、部活動の一環ということで行きましょう」
何を言っているんだ。
「いや、それはちょっと無理があるんじゃない? 朱嶺も他に誰かいい人を見つけて、その人と付き合った方が……。高校生活は3年間しかないんだから……」
なんか我ながらひどいことを言っているような気がする。朱嶺は持っていたカントリーマアムの袋を机の上に置くと、椅子をガラガラと移動させて、すぐ隣にやってきた。
近い。
「先輩。勘違いしないでください。私は先輩が好きなんです」
少し怖い顔をして、僕をにらむ。
「誰かのものだとか、そんなの関係ないんです。私が先輩のことが好きということが大事なんです。そして、先輩がまだ私のことをかわいいと思ってくださっているのなら、それでいいじゃないですか。先輩がそうだと思っていなくても、私は先輩と出かけることができれば、それがデートなんです」
珍しく唇を尖らせて、不満そうだ。だが、それがまたかわいい。いつもは大人びた表情なのに、今は聞き分けのない子供みたい。
「いやでも、朱嶺とはもうデートはできないよ」
「じゃあ、デートじゃなくてもいいです。いいですから、部活動の一環で2人で美術館に行きましょう。それならいいでしょう?」
こんな強情な面があるとは知らなかったな。また新たな一面を見たような気がする。だけど、そんな呑気なことを言っている場合ではない。はっきり断らないと。
しかし、これ以上、朱嶺を拒否して、傷つけてしまうのも嫌だった。
「それならいいですよね?」
朱嶺はさらに顔を近づけて迫ってくる。
「う…ん」
中途半端な返事をすると、朱嶺は顔を離して、満足げにニッコリと笑った。
「それに」
僕の太ももに手を置く。
「そもそも先輩、私のこと、拒否できませんよね?」
ツツーッとその手を僕の股間まで滑らせた。
「うわあ!」
実はさっきから結構、ガチガチに勃っていた。朱嶺の手が制止する間もなく硬直したものに触れて、体がビクンと反応する。朱嶺は腰を上げてさらに近づいてきた。
「あ、朱嶺」
「男の人って、ここが気持ちいいんですよね?」
ほおを上気させてそう言うと、そのままキスしてきた。
抗えなかった。
ああ、もうたまらない。この、脳みそがとろけるような恍惚。朱嶺の柔らかな唇に没入してしまいたい。
だが、ちょっと待った! 僕は唇を離すと、朱嶺のおっぱいを下からもみあげた。
「あ、いや…あぁン!」
色っぽい悲鳴を上げて、椅子にぺたんと腰を落とす。
「これ!」
立ち上がって、朱嶺を見下ろした。いかんぞ、ここは毅然としないと!
「ここは部室です!」
「……はい」
さすがに調子に乗りすぎたと思ったのか、朱嶺はしょんぼりとした。その目の前に、僕の股間がある。まだバキバキに勃っていた。
「いいですか、今は部活の時間です!」
「……はい」
「イチャイチャする時間ではありません! 部活をしなさい!」
「はい」
さっきからチラチラと僕の勃起を見ていた朱嶺は、何を思ったのか指でツンと突いた。
「あふう。じゃない! これ!」
ウフッといたずらっ子のように笑う。
「はい。すみません」
口元を押さえてくすくす笑い始めた。普段は無表情なクールビューティーのくせに、そんなかわいい笑顔を見せられては、改めて惚れてしまうじゃないか。
ダメだ。はっきりさせるつけるつもりだったのに、全く思った通りになっていない。それどころか、完全にペースをつかまれている。
「とにかく!」
少し大きな声を上げたところで、また朱嶺が「先輩」と割り込んできた。
「もう一度、言いますけど、私、先輩のこと、諦めませんから。これからも、よろしくお願いしますね」
そう言って、座ったまま深々と頭を下げた。
くっ。悔しいけど、朱嶺の方が一枚も二枚も上手だ。