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第113話 郡司愛莉

 2週間ほどは平穏に過ぎていった。


 新田と会って、少し胸がざわついたことを忘れかけた、ある日の昼休みだった。マイはいつも通り、鈴鹿と明科と一緒に弁当を食べに行ってしまっていた。いつも中庭のベンチで食べている。この中庭ランチ会が始まった当初、僕も参加しないかと誘われたが、さすがに朝に続いて昼も女子3人の間に入れてもらうのは気恥ずかしく、断った。そもそも基本的に毎日、早弁してしまうので、昼休みに食べるべき弁当がなかった。


 いつも通り、購買部でホットドッグを買うかと立ち上がりかけた時だった。


 「あ、あいつや」


 見慣れない女子数人が教室に入ってきたと思っていたら、明らかに僕を指差した。そのままスタスタと近づいてくる。


 3人だ。先頭は確か高松って子だったはず。黒々としたロングヘアを三つ編みにして、後頭部でまとめている。かわいらしいヘアスタイルとは裏腹に、目つきは鋭くて怖い。少しポッテリとした体型は思春期太りといえば聞こえがいいが、僕の目には運動不足と、食べているものが悪いようにしか見えない。1年生の時に同じクラスだった。黒沢の取り巻きの一人だったような記憶がある。


 残り2人も1年の時に一緒だったような気がするが、不登校だったし、休み時間もクラスから逃げ出していたので覚えていない。


 「城山、ちょっとツラ貸せや」


 高松は昭和のヤンキーみたいなセリフを言った。ん? こんな子だったかな? もっと普通の子だった記憶があるのだが……。


 「え、いやだ」


 即答した。ついて行ってもろくなことにならないのは、高松の怒りと不満を含んだ口調からも明らかだった。


 「やだじゃねーよ。郡司さんが呼んでるんだから、素直に来いや」


 高松は腰に手を当てて、僕の行手に立ち塞がる。


 郡司愛莉は黒沢の元カノだ。新田情報によれば、妊娠をきっかけに別れたはず。どんなに偉い人なのか知らないけど、元カノとはいえ、黒沢と関係のある人間と関わりあいになるなんて、まっぴらごめんだった。


 「用事があるんなら、そっちから来いよ」


 「お前、そんな口きいていいと思ってんのか? 郡司さんが呼んでるんだぞ」


 だから、知らねーっつーの。中学生の時の僕ならば、ビビッてしまって呼び出しに素直に応じていただろう。だけど、今は違う。いざとなればぶん殴ればいい。殴り合いになっても簡単には負けないという自信があった。


 その点、格闘技を始めてよかったと思う。


 「郡司か誰だか知らないけど、行かないったら行かないの。今から購買に行くんだから、邪魔しないでくれる?」


 僕は高松の脇をすり抜けようとした。


 「ええ加減にせんと、黄崎をシメんぞ?」


 「はあ?」


 聞き捨てならなかった。カーッと熱いものが全身を駆け巡るのを感じる。


 「聞こえへんかったんか? 黄崎をシメんぞって言ったんだよ」


 高松は下から僕をねめつけた。


 「それ、本気で言ってんの?」


 お前こそ、いい加減にしろよ。ぶっ殺すぞ。腹の底から怒りが沸いてくる。


 「えーん、城山君がひどーい!」


 突然、高松が連れてきた女子のうちの一人が、大声を上げて泣き出した。


 「風香、何も悪くないのに〜!」


 風香って誰だよ。


 クラスの視線が一気にこちらに集中する。まずい。これでは何か僕が悪いことをしたみたいではないか。高松を見ると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。くそっ、ムカつく。


 「えーん!」


 「わかった。行くよ」


 不本意ながら、この事態を収拾するためには、こいつらについていくしかなさそうだ。


 「最初から来いや、ボケが」


 高松は憎らしい笑みを浮かべながら、吐き捨てた。



 どこに連れて行かれるのかと思ったら、1年生の時に僕がよく逃げ込んでいた北校舎の3階廊下だった。今でも喧騒を逃れたい連中が、思い思いに昼休みを過ごしている。


 廊下の中ほどで、郡司愛莉が3人の取り巻きを連れて待っていた。


 ボリュームのある茶髪に、健康そうに日焼けした小麦色の肌。大きな目とポッテリした唇が目を引く。ワイシャツのボタンを第二まで開け、スカートもギリギリまで上げたミニにしている。少し屈めば、お尻が見えそうだ。どこからどう見てもギャル。1年生の時と、印象は変わらない。


 「郡司さん、連れてきました」


 高松は郡司の前で、直立不動の姿勢でそう告げた。まるで軍隊の兵士が上官に報告しているみたいだ。それにしても、なぜ同学年の郡司に対してさっきから敬語なのだろう。


 窓枠に寄りかかって紙パックのコーヒーを飲んでいた郡司は、ストローから口を離すと、あっちへ行けと言わんばかりに高松に向かって手をひらひらと振った。


 「失礼します」


 一礼して高松とその連れ2人が去っていく。なんなの、これ。


 「なんの用」


 機先を制する、だ。先に口を開いてやった。郡司はしばらく不機嫌そうな顔で、僕のことをジロジロと見ていた。


 「城山って、こんなんやったっけ?」


 僕の質問に答えず、隣にいた女子に聞く。聞かれた女子は首をひねって「さあ……」と困った表情だ。


 「なんか、1年の時とイメージ違うなぁ」


 郡司は僕の方を向くと、独り言のようにつぶやいた。


 「なんの用。何もないんなら、帰るよ」


 もう一度、聞いた。


 「ああ、まあ、待てや」


 郡司は窓枠から離れると、僕の方に向き直った。朱嶺ほどではないが、胸が大きい。何より足が長いのが目立つ。スカートを短くしているせいもあるが、脚線美が目を引く。


 「城山、ウチの味方になれや」


 ……。


 はあ?


 「何? 全く意味がわからんのやけど」


 郡司は取り巻きの顔を見回す。取り巻きたちはアホづらでその視線を受け止めた。


 「え、なんも知らんの?」


 「なんの話?」


 と、このタイミングで取り巻きの一人が郡司に耳打ちした。「こいつ、1年の時からグループLINEに入ってないんですよ」と言っている。丸聞こえだ。


 「ああ」


 郡司は納得したようにうなずいた。


 「あのな、修学旅行の時に、黒沢組と戦争するねん。で、その時に城山には郡司組に入ってもらう。そういうこと」


 戦争? 修学旅行の時に? 全く頭に入ってこない意味不明のことを、郡司は極めて真面目な顔で言った。


 「え、全然、話が読めないんだけど。それに、なんだかややこしそうな話だから、巻き込まないでくれる?」


 意味なんかわからなくていい。直感が、関わり合いにならない方がいいと告げていた。


 「てめえ、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって!」


 取り巻きの一人が目を吊り上げてバン!と廊下を蹴りたてて威嚇する。いや、好き勝手言ってるのは、そっちでしょう。郡司はいきり立っている取り巻きを「まあ、落ち着け」となだめると、改めて僕の方に向き直った。


 「さっき言うた通りや。修学旅行の時に、芳樹をシメる。城山は1年生の時、芳樹にいじめられとったんやろ。恨んでるはずや」


 郡司はさっきから真剣な表情でしゃべっている。だが、中身は僕にとっては荒唐無稽だった。


 「いや……恨んでないといえば嘘になるけど、別にシメたいわけじゃないし。それに、楽しい思い出作りに行く修学旅行で、わざわざそんなことしなくても……」


 「てめえは何もわかっちゃいねえんだよ!」


 さっき威嚇した女子が、また口元を歪めて怒声を上げる。声の大きさに驚いて、周囲の生徒の視線がこっちを向くのを感じた。


 「郡司さんはめちゃくちゃ傷つけられて、捨てられて、それこそ死ぬような思いをしてんだよ! 黒沢をシメないと、ミッちゃんも浮かばれないだろうがよ!」


 「ユヅキ、その話はもうええから」


 引き続き話が読めない。


 「あんたの幼馴染も、芳樹にポイされたんと違うんか。使い捨てみたいによ」


 郡司は一歩近づいてきた。よく知ってるな。まあ、当たり前か。マイの後、黒沢の彼女の座についたんだからな。


 確かに黒沢のことは大嫌いだ。この世からいなくなってしまえばいいと思っている。ただ、そういうわけにもいかない。自分の手で抹殺できないなら、存在を頭の中から消してしまうしかない。


 僕は日々、黒沢の「く」の字も思い出さないように努力している。だけど、マイと一緒にいると、思い出さざるを得ない時もある。その度に、どこにも持って行きようのないドス黒い憎しみを感じる。


 でも、だからといって黒沢をボコボコにしようとは思わない。ただ、僕の目の前からいなくなってほしいのだ。僕も「く」の字すら思い出さないようにするから。それだけに、郡司と黒沢のけんかに巻き込まれるなんて、まっぴらごめんだった。


 「黒沢とはもう二度と、関わり合いになりたくないんだ」


 郡司によく聞こえるように、少しゆっくりと、そして大きめの声で言った。


 「じゃあ、自分の手でシメたらどうや」


 郡司は薄笑いを浮かべる。邪悪な気配が漂っていた。


 「嫌だ。巻き込むなよ」


 郡司は僕に近づいてくると、ニヤッと笑ってワイシャツの胸元をむんずとつかんだ。


 「強いんやろ? 1年の時のグループLINEで評判やで。岩出も新田も、ぶっ倒したんやろ? 残っているのは芳樹だけやんか」


 戦争すると言っているのに、いまだに「芳樹」と名前で呼んでいるのは、どういうことなのか。


 「何度も言うけど、嫌」


 「へえ、断れるんか?」


 郡司は目元をピクつかせて怒りをにじませながら、笑みを浮かべた。


 マイに手を出してみろ。ただでは済まさないぞ。そう言ってやろうと口を開きかけたところで、郡司は意外なことを言った。


 「かわいい彼女がやられてしもうても、ええんか? あの子が二度と絵を描けへんようにしたろか?」


 彼女と言われてマイを想像したが、絵を描くって、どういうこと?


 「かわいいなあ、あの子。美術部の唯一の後輩なんやろ?」


 あ、なるほど。高松は「黄崎をシメる」とちゃんと言っていたけど、郡司は朱嶺こそが僕の彼女だと間違えているらしい。


 「朱嶺のことか? あいつは美術部の後輩で、僕の彼女じゃないぞ」


 「今更、そんな嘘ついても遅いわ。ええんか? あのかわいい顔をボコボコにして、男5人くらい呼んできて回したろか? もう学校に来られへんようになるで?」


 「いや、嘘じゃない」


 「しつこい男やな。とにかく断ったら、朱嶺? 朱嶺って言うんか? あれをシメる。嫌やったら郡司組に入れ。以上や」


 郡司は僕の胸元を突き飛ばそうとしたが、逆に自分の方がバランスを崩して尻もちをついた。ピンクのパンツがチラリと見える。


 「痛っ!」


 「「郡司さん」」


 取り巻きが駆け寄ってきて、助け起こす。


 ……。


 全く反応しない。郡司はスカートを極限まで短くしているので、何かの拍子によくパンツが見えていた。だが、1年生の時から、僕は郡司のパンツでは勃たない。不思議だ。


 「僕からも一つ、言っておくけど」


 そうだ。言われっぱなしではダメだ。


 「朱嶺に手を出したら、ただじゃおかないからな。覚えておけ」


 にらんでいる郡司をにらみ返して、僕はその場を後にした。

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