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第114話 感激です

 さあ、えらいことになったぞ。


 マイはいい。マイは大丈夫だ。なぜなら四六時中、一緒にいるからだ。学校の行きも帰りも一緒だし、マイが一人でどこかに出かける機会というのは僕の知る限り、ほとんどない。僕と一緒でなくても、鈴鹿や明科が必ず一緒にいる。


 だが、朱嶺はそうではない。朝、京橋駅で落ち合うまでは一人(もしかしたら車かもしれない)だし、帰りも僕たちが京橋駅で降りたら、その後は一人だ。駅から自宅のマンションまでは少し歩く。


 どうしよう。毎日迎えに行って、帰りも送り届けるべきか。


 午後の授業は、気もそぞろだった。部活の日だったので、放課後になると小走りで美術準備室へ向かった。


 「朱嶺」


 ドアを開けると、見慣れたお尻があった。棚の前にかがみ込んで掃除をしている。


 ああ、よかった。無事だった。


 さすがについさっきの話だし、学校内で襲撃される可能性は低いと思っていたけど、いつも通りの姿を見て、ホッとした。


 「どうかしましたか?」


 朱嶺はチリトリを手にこちらを向く。


 「掃除はいいから。こっちに来なさい」


 僕は朱嶺を座らせると、かくかくしかじかで狙われているという説明をした。話している間に、なぜか朱嶺のほおが赤くなる。


 なぜ、この話で照れる? どこかに照れる要素があったか?


 「2年生の間では、私が先輩の彼女ということになっているのですか?」


 話が終わると、ほおを赤らめたまま聞いてきた。


 「よくわからないけど、そうみたい。少なくとも郡司はそう思ってるみたいだ」


 「うれしい……うれしいです!」


 朱嶺は胸に手を当てて、声を震わせている。


 「待って。そこで感激する話をしたわけじゃないんだ。朱嶺の身が危ないんだよ」


 「はい、わかっています。でも、うれしくて。その、郡司さんという方に、お礼を申し上げておいてください」


 朱嶺は目を潤ませて、僕に頭を下げた。ちょっと待ってくれ。


 「なぜ僕がお礼なんか」


 「では、私が」


 「いや、行かなくていいから」


 なぜ敵の大ボスのところに自ら行くのか。朱嶺は胸元を押さえて、ポーッとしている。


 「とにかく、しばらく学校の行き帰り、マジで気をつけて。僕もできるだけ一緒に行くから」


 「ほんとですか!」


 突然、目を丸くして大きな声を上げた。


 「うれしい。感激です……」


 なぜか目をうるうるさせ始めた。


 「いやいや、そこじゃない。そこじゃないんだよ、朱嶺。君の身が危ないという話をね、今しているんだよ。わかってる?」


 「はい、はい……。先輩がそんなに私のことを心配してくださっているなんて、本当にうれしいです。私、感激しています」


 違う。そうじゃない。危機感を持ってくれと言っているのだ。話が通じなくて困っていると、朱嶺はハンカチで目元を拭いて、紅茶を淹れに行ってしまった。


 コポコポコポ…。


 電動ポットからお湯を注ぐ音が聞こえる。


 「先輩。もっと私のこと、心配してくださいね」


 振り返って、ニコッと微笑んだ。


 うっ。やべえ、勃ちそう。


 夏服の朱嶺が振り返ると、大きなお尻と巨乳の横乳の部分が同時に見えて、ものすごくエロいのだ。ああ、いかん。勃ってしまった。こんなエロかわいい朱嶺を、不良どもの毒牙にかけるわけにはいかない。


 「ああ、でも」


 朱嶺は紅茶を注ぎながら話を続ける。


 「仮に私が一人の時に襲われても、たぶん大丈夫だと思います。だから、そこはあまり心配しないでください」


 ティーカップを持ってきた。きょうはなんだろう。残念ながらアールグレイではないということしか、わからない。


 「なんで大丈夫なんだよ。大丈夫なわけないだろ」


 僕は一度、襲撃されたことがある。あの時はたまたま早めに気がついて撃退に成功したけど、不意打ちを食らっていればどうなっていたかわからない。実際に新田も襲撃されて、大けがをしたのだ。


 「私、こう見えても結構、強いので」


 朱嶺は僕の隣に座った。いつものことながら近いな。


 「あ、でも、心配しないでくださいと言っておいてアレなのですが、心配はしてほしいです。だって、心配してくださるということは、先輩がずっと私のことを考えてくださるということでしょう?」


 紅茶に口をつけていた僕の目をのぞき込むようにして、顔を近づけてくる。


 「ね、そうでしょう?」


 「ん、まあ、そうかな……」


 ああ、まずい。こいつ、またキスしようとしているぞ。近い、近いって。


 ティーカップを机に置いたタイミングで、朱嶺は唇を重ねてきた。


 ああ、まずいまずい。でも、ちょっとだけ。だって、朱嶺のキスはすごく気持ちいいから。


 朱嶺は唇を僕にしばらく委ねてから、珍しくスッと離れた。ああ、もう少し重なり合っていても構わなかったのに。


 窓の外では夏の日差しが容赦なくグラウンドを焼いていた。秋の気配なんて、まだどこにも見当たらなかった。

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