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第115話 気が狂いそう

 その後、数日は何事もなく過ぎていった。


 郡司の話は、マイには伝えなかった。黒沢のことを思い出させてしまうし、1年1組ではなかったマイにとっては、知らなくてもいい話だ。それに、僕がガッチリとガードしていれば済む話でもあった。


 他の元1年1組の生徒にも、あんな話をしているのだろうか。2年では2組になった梅野に聞いてみたかったけど、なかなか会う機会がなかった。LINEも繋がっていない。


 頭の片隅にたまっていたモヤモヤが少し晴れてきた、ある日の放課後だった。校舎を出たところで、黒沢に会った。


 会ったというか、目の端に捉えた。


 2年生になってもクラスの人気者のようで、いつも下駄箱の手前か、下駄箱を出たところで数人の取り巻きと楽しげに話をしている。いつもマイをガードしながら、できるだけ遠ざかって素通りしていた。


 ところが、この日は違った。


 「おい、城山!」


 背後からいきなり呼び止められた。顔を見なくてもわかる。マイがビクッとするのがわかった。かくいう僕もドキッとして、鼓動が速くなった。黒沢は爽やかな笑顔で手を振って、こっちに来いと手招きしている。クソッ。ムカつくな。相変わらずイケメンだ。


 郡司の一件があったので、黒沢側からもそのうち声がかかるのではないかと思っていた。心の準備はしていたので、思ったほど動揺はしなかった。


 だけど、黒沢の前に行くのは嫌だ。口をきくのも、嫌。無視してこのまま逃げ出してもいいが、今はマイと一緒だ。さらに朱嶺もいる。


 簡単なことだ。黒沢に「僕を郡司とのけんかに巻き込むな」と言うだけだ。それだけでいい。だが、それで済むか? 狡猾な黒沢のことだ。何か僕が無視できないような仕掛けを用意しているに違いない。


 「朱嶺、マイと一緒に先に帰っててくれ」


 僕は朱嶺を頼った。朱嶺は黒沢の怖さを知らない。マイはまたパニックを起こす可能性がある。どちらを頼りにするかとなると、朱嶺の方がいいような気がした。


 「はい。承知しました」


 察しがいい子で助かる。マイを見ると、思った通り露骨に不安な表情をしていた。


 「心配ないから」


 声を出さずにうなずいている。僕は不安な顔をしているマイの肩をポンと叩くと、黒沢の元へ向かった。


 「城山〜。久しぶりだな〜」


 黒沢は取り巻きたちの輪から抜け出して、近寄ってきた。目を細めて笑っている。モラシって言わないんだな。なんでだろう?


 「郡司さんとの話?」


 「おお、そうや。知ってたんか?」


 僕の肩にポンと手を置く。いつものことながら、馴れ馴れしい。


 「この前、本人から聞いたから」


 「そうか。で、お前、どうするんや?」


 黒沢は穏やかな笑みを浮かべながら、僕の表情をうかがっている。はたから見れば、同級生同士がなんてことはない話をしているように見えただろう。だけど、僕は緊張で胃袋ごと吐き出しそうだった。


 「郡司につくんか? 俺につくんか? どっちや?」


 きょうの昼飯、購買か学食かどっちにする?くらいの乗りだった。どうしてそんなに簡単に聞けるんだ。自分たちのけんかに他人を巻き込もうとしているのに。それが、どれだけ迷惑なことか、考えたことがないのか。さも当たり前のように聞く態度に、腹が立ってきた。


 「お前につくわけがないだろう」


 自分の声が、怒りで震えている。こめかみあたりも、微かに震えているのを感じた。


 「ほう。じゃあ、郡司につくんやな」


 黒沢は少し上目遣いになる。視線を鋭くして、僕をにらんだ。


 「つかない。僕はどっちの味方もしない。僕には関係のない話だ」


 黒沢は少しあごを上げて、驚いた顔をした。一拍置いてフッと鼻で笑うと、以前によくやったように、馴れ馴れしく僕の肩を抱いた。


 「モラシ君よ、そんなこと、できると思ってるん? これは元1年1組全員を巻き込んだ、大戦争なんだよ。わかる?」


 だから、それに巻き込むなって言ってるんだよ。ニヤニヤしやがって。馬鹿なのか?


 「俺たち穴兄弟なんだから、もっと仲良くしようよ。なあ」


 やはり、僕が一番、頭にくる話題で揺さぶってきた。だけど、想定の範囲内だ。マイに関するどんな話題でも、スルーしてやろうと心に決めていた。


 ところが。


 「新田は郡司についたらしいぞ」


 僕の耳元に口を寄せて、声のトーンを落とした。


 「お前、新田がどうなってもいいのか?」


 ……。


 突然、あの風景が甦った。病室。目の下まで分厚く巻かれた包帯。泣いた後がある、お姉さんの目元。動かない新田。


 こいつ……。


 僕は黒沢を見た。


 無邪気な、だからこそ残酷な瞳が、僕を見つめている。そこに光はない。黒くて暗くて引き込まれそうな、底なし沼みたいな瞳だ。


 こいつ、僕が断ったら新田をヤる気だ。


 まだ足りないのか? 半殺しにしておいて、まだ足りないのか? 新田はあのまま死んでいたかもしれないんだぞ? 叫び出したくなるような怒りが、喉の奥から吹き出してくる。


 「お前!」


 黒沢の胸倉をつかんだ、その瞬間だった。


 「やめろ!」


 僕との間に割って入って、黒沢を突き飛ばしたのはマイだった。


 「まあくんを巻き込むのは、やめえ!」


 一発では足りないと思ったのか、もう一度、黒沢の胸もとを突き飛ばす。黒沢はよろめいて後退した。


 「なんだよ。久しぶりに口をきいたと思ったら、つれないな」


 少し驚いた顔をした黒沢だが、すぐにニヤニヤとした笑いを取り戻す。


 「マイ、いいって」


 黒沢の前に立ち塞がったマイの肩に、手をかける。怒りなのか恐怖なのか、ブルブルと震えていた。


 なんだよ、朱嶺、何やってたんだ。


 「元カノだろ? 仲良くしようぜ」


 「うっさい。あんたなんか、知らんわ」


 マイの顔色が蒼白になっている。こんなに顔色が変わっているのを見るのは、入院していた時以来だ。少し離れたところで、朱嶺が困った顔をして見ていた。


 「もう一度、言うとくわ。まあくんを巻き込むな。ウチが許さへんで」


 マイはそう吐き捨てると、僕の手を引いて「帰ろ」と言って足早に歩き出した。


 「城山! 考えといてくれよな!」


 背後から黒沢の弾んだ声が追いかけてくる。


 汗びっしょりだった。マイと繋いでいる手のひらも、じっとりと濡れている。これは、暑さのせいじゃない。胸の内に、黒い雲が沸き起こってくるような気がした。


   ◇


 「え、それでその後、どうなったん?」


 ザ・ブルーハーツの「キスしてほしい」って名曲だよな。40年近く前の歌だなんて、とてもじゃないけど思えない。明日斗の熱唱を聞いた余韻を目を閉じて楽しんでいたら、当の本人がそれをぶった切った。


 場所は駅前のカラオケ店だ。日曜日の午後、久しぶりに会った。明科と付き合い始めたと聞いていたので誘っても断られるのではないかと思っていたが、即答でOKの返事が来た。


 黒沢に絡まれて、マイに助けられてしまった。僕がなんとかしないといけなかったのに。


 あの日の帰り道、マイはただならぬ緊張感を漂わせていた。電車に乗るまでずっと無口で、電車に乗ってようやく「よかったね」と言って、無理やり笑ってみせた。


 よかったって、何がよかったのだろう。


 「ごめんね」


 なんとなく謝った方がいいような気がした。


 「ううん、ええよ」


 そういうと、マイは黙ってしまった。夜、例によって僕の部屋に来て勉強していたが、特に昼間の話をすることはなかった。


 で、そのままなのだ。


 「本人はきっと何か思っているはずなのに、何も言わないんだわ」


 「ふうん」


 自分から聞いたくせに、こっちも見ずにカラオケの操作パネルをいじっている。いや、でも、それでいい。明日斗はこんな時、絶対に「気になるんなら、本人に聞けばいいじゃん」とか言わない。ふうんと言うだけだ。それでも、僕は気持ちが楽になった。


 「まあ、マイにしてみれば、決死の突撃やったやろなあ」


 明日斗はマイの性格をよく知っている。今は手芸部にいるけど、本質的には正義の味方なのだ。困っている人を見ると、放っておけない。だから、僕が黒沢に絡まれているのを見て、立ち去ることができなかったのだろう。


 それにしても、だ。


 自分を弄んでボロボロになるまで傷つけた相手の前に飛び出していくなんて、勇敢なんて言葉では片付けられない。


 僕にしてみれば、神様女神様の所業だ。


 「マイの胸の内を思うと、なんて言うたらいいんだろう。なんか、苦しいわ」


 「そうか、苦しいか」


 明日斗はまたザ・ブルーハーツを入れた。次は「人にやさしく」だ。


 名曲続きやないか。


 マイクを握ると、立ち上がった。


 「まあ、雅史がどう思おうが構わへんけど、俺はマイがそこまで復活したんかと、そっちの方が感心したけどな。普通、飛び出していかへんぞ」


 この曲は、ほとんどイントロがない。


 🎵気〜が〜狂いそう〜


 明日斗は鮮やかに入りを決めた。


 復活か。復活したのかなあ。帰りの電車で見た横顔。入院していた時みたいな青白い顔。負担をかけてしまった。


 外はまだまだ暑い。9月なんてまだ夏だ。だけど、学校では運動会の練習が始まり、文化祭の準備が始まり、その先には高校生活最大のイベント、修学旅行が控えている。


 修学旅行。マイと同じクラスだから、行動班も一緒になる可能性がある。仮に別になったとしても、自由時間は2人でどこかに行って、イチャイチャして楽しい思い出を作ろうと思っていたのに。


 戦争とか、マジあり得ない。


 こんなに先行きが不安になるのは昨年、不登校だった時以来だった。

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