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第118話 もう、やめろ

 10月に入って早々に運動会があった。昨年はマイのことで頭がいっぱいで気がつけば終わっていたので、きちんと参加したのは今年が初めてのような気がした。


 清栄学院の運動会では、各クラスが応援の立て看板を作る。高さ4メートルはあろうかという大きさの板に紙を貼って、流行りのキャラクターやスポーツ選手とか、思い思いのものを描くのだ。これも表彰対象になるので、力を入れるクラスは本当に力を入れる。


 美術部員なので駆り出されるのかなと身構えていたら、そんなことは全くなく、クラスの陽キャどもが集まってテキパキと仕上げてくれた。なぜかポケモンだった。しかもピカチュウ。なぜだ。まあ、いいか。


 いや、違う。そんな話がしたかったのではない。僕は運動会で衝撃的なシーンを見てしまった。他の人は大して気にも止めなかっただろう。だが、僕には衝撃だった。


 新田がリレーで負けたのだ。負けたどころではない。一緒に走った他の生徒に、全くついていけなかった。


 嘘だろう。


 新田は僕の知る限り、翔太と並ぶフィジカルモンスターだ。1年生の1学期、黒沢にサンドバッグ代わりにされていた時に、僕を羽交締めにして押さえているのは主に新田の役割だった。全く動けなかった。


 単純に腕力が強いだけではない。新田はすぐにけんかをする男子バスケ部の問題児だったけど、それでもメンバーから外せないくらい運動神経がよかった。跳躍力もすごいし、走っても速い。ノックダウンの会場から逃げた時、僕が一番、恐れていたのは、新田に捕まるのではないかということだった。


 ところが、そんな新田があっさりとリレーで負けたのだ。まるで体に力が入っていないみたいだった。リハビリしたと言っていたが、後遺症が残っているのではないか。


 気になる。


 あんな状態で修学旅行の時の〝戦争〟に出てくるつもりなのだろうか。いや、まだ後遺症があると決まったわけではない。本人に確認してもいないのだから。もしかしたら単に体調が悪かっただけなのかもしれない。


 そもそも、僕が新田のことを気遣ってやる義理はない。


 無視だ。無視しろと思っても、新田を止めなければという気持ちは抑えきれなかった。


 運動会の数日後、僕は新田を土手に呼び出した。2年2組に行くと、すぐに僕を見つけてうれしそうに近寄ってきた。


 「お前の方から来るなんて、珍しいな」


 ニヤニヤとうれしそうに笑いながら、不必要なくらいに顔を寄せてくる。学年屈指の長身2人が並んでいるので、クラス中の生徒が僕たちを注目していた。


 「やめろよ。ちょっと話があるんだ。放課後に、いつもの場所で」


 「いつもの場所だって。恋人同士みたいだな」


 新田は今にも小躍りしそうだ。言葉も弾んでいる。そこにも違和感を覚えた。新田はこんなやつじゃない。大袈裟なやつだけど、こんなふうに喜びを表現しない。



 放課後に土手に行ってみると、僕より早く新田は到着していた。


 「まだ暑いなあ」


 額に手をかざして、川の方を見ている。


 真夏かと思うほど強烈な日差しが降り注ぎ、土手に生えた名もない草たちもしおれて元気がない。あまりの暑さに枯れてしまったのか。


 「力が入らないんじゃないのか」


 単刀直入に聞いた。


 「あ?」


 意味がわからなかったのか、口を半開きにしてこちらを見た。あまり気は進まなかったが、近づくと手首をつかんだ。


 「振り解いてみろよ」


 新田は不思議そうな顔をして、僕の手を引き剥がそうと腕を振った。


 やっぱり。やっぱりそうだ。全然、力が入っていない。僕は手を離した。勢いで新田はふらつく。


 「それ、頭をやられた後遺症なの?」


 「後遺症なんてねーよ。もう完全復活してるっつーの」


 新田は僕に握られていた手首をさすると、目を細めて少し不機嫌な顔をした。


 「でも、全然、力入ってないじゃん」


 新田は唇を尖らせて、手首をさすっている。


 「郡司についたらしいな」


 僕は話題を変えた。いつまでも力が入るかどうかの話をしている場合ではなかった。


 「ヒッキーのくせに、耳が早いじゃん」


 ニヤッと笑うが、なぜか無理をして笑っているように見えた。


 「そんな体で〝戦争〟すんのかよ」


 新田はニヤニヤしていたが、次第に目を伏せて、手首を握ったままうつむいてしまった。


 「無理だよ。やめとけよ。今度こそ本当に死ぬぞ」


 「うるせーな」


 新田は首を傾けて、こっちを向いた。ギロリと目を見開いて、僕をにらむ。


 「俺からけんかを取ったら、何が残るって言うんだよ?」


 少し、以前の狂気じみた表情を取り戻す。


 「そういうお前は、どっちに付くんだよ。郡司に誘われたんだろ? さすがに黒沢にはつかないよなあ」


 人を舐め回すような冷たい口調。〝狂犬〟新田が目を覚ましたみたいだった。


 「つかないよ。郡司にもつかない。どっちにもつかない」


 僕は首を横に振った。新田はしばらくポカンとしていたが、口の端を釣り上げると、笑い始めた。


 「そんなこと、できるわけないだろう!」


 手で顔を覆って、なんとか笑いを堪えようとしている。


 「なんでさ」


 「だって、俺もお前も、所詮は黒沢の駒だからだよ」


 くっくっくと肩を震わせて笑う。


 僕は、そんなつもりはない。


 「だから、そうなる前に先に俺から言っとくわ。城山、不本意かもしれないけど、黒沢につけ。で、俺ともう一度、戦おう。今度はリングの上じゃねえ。ステゴロだ」


 何を言い出すんだ。そんなことするわけないだろう。


 「だから、やらないって言ってるだろ」


 「じゃあ、どこかの誰かに、俺がぶっ倒されるのを見てるのか?」


 新田はようやく笑うのをやめた。涙が出たのか目元を拭って、僕を指差す。


 「だから、新田もやるなって」


 「俺はやる。どうせならお前とやりてえ。見ている黒沢は満足するだろうし、やっている俺たちも3月のリベンジマッチで、損はしねえ。どうだ、悪い話じゃないだろ」


 リベンジするのは新田だけじゃないか。


 「なんでそんなにけんかしたいんだよ!」


 僕は思わず声を荒げた。


 新田は涼しげな笑みを浮かべて、両腕を広げた。


 「なんでって、俺にはこれしかないからじゃん」


 そんなことない。そんなことないと、言ってやりたかった。


 ああ、くそっ。


 こいつ、僕をいじめていたやつのくせに、めちゃくちゃ哀れじゃないか。暴力を振るうことしかできなくて、こんな体になっても、けんかをするしかないんだ。慈悲をかける必要なんてない。かつて僕をいじめていた連中の一人だ。だけど、僕は新田が哀れで仕方がなくて、見捨てることはできなかった。


 「新田、もういいんだ。もうやめろ」


 どうすればいい。こいつ、もう一度、殴り合えば、本当に死んでしまうかもしれない。嫌いだけど、真剣勝負した相手だ。


 お前は、誰かの駒なんかじゃない。自分が好きなように、青春を謳歌したらいいじゃないか。友達とだべったり、バスケに打ち込んだり、カラオケに行ったり。それでいいじゃないか。もうこれ以上、危ない目にあってほしくなかった。


 気がつけば、僕は新田を抱きしめていた。


 暑い。いや、熱い。


 新田の体は、思った以上に熱かった。


 「お……。城山、何やってんだ」


 耳元で動揺した声が聞こえる。


 「今まで全然、触らせてもくれなかったくせに、何やってるんだよ……」


 新田は身を固くしている。


 「もういいんだ。新田、もう戦うな」


 新田が勃起するかと思ったが、僕の太ももに触れているやつの下半身は、おとなしかった。驚いて勃たなかったのか、それとも後遺症で勃たなくなったのか、わからない。だけど、それは少し僕を安心させた。


 体を離す。


 「僕は絶対やらない。楽しい思い出でいっぱいの修学旅行にするんだ。だから、郡司と黒沢の痴話喧嘩に参加するつもりはない」


 痴話喧嘩の域を超えていると思うが。


 「けんかも楽しいぞ」


 新田は呆けた顔をして、反抗した。


 「いや、楽しくない。けんかして、けがをして、した方も、させた方も傷つくだけだ」


 岡山さんの受け売りだ。新田はスッと素の顔になると、無言で僕の顔を見ていた。相変わらずきれいな顔してやがる。変な間が気持ち悪い。


 「とにかく、やめろ。僕は絶対にやらない。だから、僕とリベンジマッチもできない。それじゃあ、面白くもなんともないだろ?」


 沈黙が気まずくて、同じようなことを繰り返した。新田は僕から目を逸らして斜め上を見ると、スーッと鼻から息を吸って、フーッと大きく吐き出した。


 「ま、考えとくわ」


 そう言って、頭をぼりぼりとかく。


 「ハグしてくれたことに免じて、ちょっと考えといてやるわ」


 なぜか少し恥ずかしそうな顔をしながら、新田はそうつぶやいた。

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