電車で難波に出て、映画を見た。
マイはなんでもいいと言う。
それが一番、困る。はっきりと朱嶺みたいに「これが見たい」と主張してほしい。僕に一任して、それが面白くなかったら僕のせいになってしまう。マイはおそらく「面白かった」と言ってくれるだろうけど、それは僕を傷つけないための嘘だ。
くそっ、責任重大だぞ。
マイとの付き合いは長いが、こうして一緒に映画を見にきたのは初めてだ。少年漫画が好きということは知っている。でも、どんな映画が好みなのか、知らなかった。
「どんな映画が好きなの?」
「まあくんが見たいやつなら、なんでもいいよ。あ、でも、ホラーはちょっと苦手」
そう言って、指でバツを作った。ちょっと苦手じゃなくって、ダメなんじゃないか。
悩んだ挙句、無人島に漂着したロボットがそこに住んでいる動物と交流しているうちに、愛が芽生えていくというアニメにした。子供っぽいチョイスだったかな? もっと大人っぽいものの方がよかった? せっかくデートなんだし、恋愛ものがよかったか? 上映中、気になってマイの様子を横目で見ていたら、コミカルなシーンでは笑っていたし、クライマックスで号泣していたので、退屈ではなかったようだ。
「ああ、面白かった!」
目の周りが赤くなっている。
「最後は泣けたねえ」
「ほんま。めっちゃ泣いたわ」
そんなことより、マイが映画を楽しんでくれてホッとした。それが一番。
ランチはなんばパークスの飲茶ビュッフェに行き、食後はそのままウインドウショッピングをした。特に何か買いたいものがあったわけではなかったが、いろいろ見て回っているだけで、楽しかった。
映画見ている間、手を握る機会がなかったなあ。朱嶺はここぞとばかりに手を繋いできたのに、マイはポップコーンのバスケットを持っていたこともあって、自分から手を伸ばしてくることはなかった。
なんかさっきから、朱嶺と比べてばっか。ちょっと自分が嫌になる。
「ああ、疲れた。ちょっと休もうよ」
午後3時もだいぶ回った頃、マイの提案でお茶をすることになった。すごく高そうなパンケーキの店に入る。飲み物をつけたら、普通に2000円いっちゃうのに、マイは「大丈夫、ここはウチがおごるから」と笑顔だ。前から来たかったらしく、そのために貯金をしていたという。それにしてもランチで腹一杯、飲茶を食べたのに、まだ食うのか。
「いや〜美味しかった。ごちそうさま!」
ふわふわフルーツミックスパンケーキなるものをペロリとたいらげて、満足げにアイスカフェラテを飲んでいる。
よく食うな。
僕はあまり食べる方ではない。だから、格闘技でもなかなか体を大きくできなくて、苦労している。マイくらい食べられれば、そんな苦労もないんだけど。うらやましい。
「どう、まあくん。スッキリした?」
不意に想像もしていなかった質問をされて、ドキッとした。
「え? スッキリ? なんのこと?」
「最近、ずっとなんかで悩んでたやんか」
マイはニコッと笑った。
「ああ…」
まだ気にしていたのか。
確かに郡司と黒沢のことや、新田のことでモヤモヤしていた。絶対にやらないと心に決めていたけど、新田のあの状態を確認してしまっては完全に無視することもできない。
「なあ、まあくん。何で悩んでるの? ウチに言えないことなん?」
「うん……。まあ、そうだね……」
心配してくれるのはありがたいが、これはマイには相談できない。
マイはふう〜とため息をついた。
「あんな、ウチらカップルなんやから、隠しごとはやめようよ。まあくんが抱えていること、ウチも一緒に背負わせてよ」
不満なのだろう。眉毛に力が入っている。
「ああ、うん。ありがとう。でも、隠しているわけではないんだ。まあ、その、いろいろと細かい悩みがあってさ」
「だから、それを一緒に考えたいって言ってるの」
……。
どうして放っておいてくれないんだ。
それがマイのいいところでもある。困っている人を放っておけない。よく言えば親切。悪く言えばお節介。それに何度救われてきたことか。だけど、今回に限れば正直、迷惑だ。胸の内に踏み込んでこないでほしかった。
「カレンちゃんのこと?」
なんでそうなるの。
「いや、違う」
僕が朱嶺のことで、何が悩んでいるように見えるのか?
「ウチと付き合っているのに、カレンちゃんのことも気になっているのが、嫌なんじゃないの?」
いや、嫌じゃない。嫌じゃないどころか、むしろ現状はうれしい。
だって、マイとはまだキスすらしてないけど、朱嶺はすぐにキスさせてくれる|(あっちからしてくるとも言う)。マイと一緒にいるとほっこりするけど、朱嶺と一緒だとドキドキする。全くタイプの違う彼女が2人いるみたいで、ハーレムみたいだった。
「嫌じゃない。前にも言ったけど、朱嶺のことはかわいい後輩と思っている。LOVEじゃなくてLIKEだから。って、マイは僕と朱嶺を、そんなふうに見てるの?」
「え?」
マイはちょっと驚いた顔をしてから、少しむくれて横を向いてしまった。
「見ているというか、なんというか……。だって、まあくんとカレンちゃん、2人でいると、どう見てもカップルやもん。ウチがまあくんの彼女じゃないみたい」
そんなこと気にしていたのか。照れる場面ではないはずだが、マイはほおを赤く染めて、ワンピースのお腹の辺りをいじっている。
なぜそこで、赤くなるのか。
「心配しなくても僕はマイの彼氏だから」
「まあくんがそう言っても、他の人はそういうふうには見てへんって!」
マイは少し声のトーンを上げたことに自分で驚いて、口元を押さえた。そういえば郡司は朱嶺のことを僕の彼女と勘違いしていたな。
「気にしてるの?」
「何が?」
また赤くなって、下を向いてしまった。
「僕が朱嶺としょっちゅう一緒にいることを」
……。
カフェオレの氷が溶けて、グラスの中でカランと音をさせる。
「……うん」
あ、やばい。さっきからなぜ照れているのかと思っていたけど、違う。これは泣くのを我慢しているのだ。
「だって、やっぱり、ウチだけを見てほしいから……」
いやいや、ちょっと待って。こんなところで泣かないで。マイの唇が震えている。
「あの子がそばにいたら、ウチ、かすんでしまうもん。全然、比べもんにならへん」
見る見るうちに涙が浮かんで、こぼれた。
「マイ」
本人も持っているだろうとは思いながら、ハンカチを出して差し出す。自分で手の甲で拭い出したので、椅子から腰を浮かせてハンカチで拭いてあげた。
「大丈夫。そんなことないから」
「まあくんがそう思っていても、ウチはそう思ってへんもん」
ああ、もうダメだ。止まらない。
「出ようか」
僕は泣いているマイを促して、勘定を済ませて廊下に出た(結局、僕が払っているじゃないか!)。思った通り、店員さんに「大丈夫ですか」と聞かれてめちゃくちゃ恥ずかしかった。「大丈夫です」としか答えようがない。店から少し離れたところにベンチがあった。幸い、人通りは少ない。マイを座らせて隣に腰掛けた。肩を抱いて頭をなでる。
「マイ、大丈夫。マイは十分に魅力的だから。朱嶺よりもずっと魅力的だから。心配しなくて、大丈夫だから」
言葉が全部、空回りしている。本音の部分で自分がそう思っていないので、なおさら薄っぺらいことを言っている気がした。
そりゃあ、朱嶺はヤバいくらい魅力的だ。セクシーという意味では、マイを遥かに凌駕している。気が利くという点でも、どんどん僕を引っ張っていってくれるという点でも、マイより遥かに優れている。
だけど裏を返せば、朱嶺みたいに見た目がずば抜けているわけでもなく(それでも十分にかわいいと思っているが)、気が利かないし、手を引いてあげないとすっ転んでしまいそうなマイだからこそ、僕はそばにいたかった。異性としてだけはなく、親友としても大好きという点では、朱嶺は足元に及ばない。
「よしよし」
マイは声を殺して、めそめそ泣いていた。
なんなんだろう。
いや、なんなんだろうじゃない。もう気がついているんだ。朱嶺を眼中から押しやるほど、マイに没頭できない理由が。それは、マイが黒沢の彼女だったからだ。
マイは一度は僕から去っていった女の子なんだという思いが、心のどこかに引っ掛かっている。それは目をつぶって気にしないでおこうと頑張ってみても時々、ちくちくと棘のように僕の心を刺激した。マイはもう黒沢のことはなんとも思っていないとは言うものの、まだやつは同じ学校にいるし、馴れ馴れしく「マイ」と呼ぶ。僕はマイと付き合い始めてから、自分が黒沢と比べてどうなのだろう、黒沢よりも優れた彼氏なのだろうかと、いつも気になっていた。
それに比べて、朱嶺はどうだ。朱嶺は僕に痛々しいくらい真っ直ぐだ。脇目も振らない。全てを捧げてくる姿は、いとおしいなんてものではない。気になる昔の彼氏もいない。
マイといるとヒリヒリするのに、朱嶺といるとドキドキするのは、そのせいだ。朱嶺が僕の前に出現したことを、心の底から恨んだ。朱嶺がいなければ今、もっとマイに没頭できていたはずだ。そうやって朱嶺のせいにしている自分が、本当に嫌だった。
随分と時間が経ったような気がした。時々、前を通っていく人が、物珍しそうに僕らを見ているような気がする。
「ごめん」
やっとマイが泣き止んだ。
「泣くつもりはなかったんやけど」
ハンカチで、ほおに残った涙を拭いてやる。
「いいよ」
「ごめん。カレンちゃんのことが嫌いなわけじゃないねん。そんなふうに聞こえたら、ほんまにごめん」
残念ながら、そんなふうに聞こえたよ。
「ただ、なんか自分が情けなくて……」
マイの気持ちは、わからないでもない。僕の黒沢に対する気持ちも、それと大して変わらない。気にしてないと言いながら、大いに気にしている。気にしすぎて、本当に好きな人と正面から向き合うことすらできない。
僕はマイの肩を抱いて、さすった。
「さす、さす」
「効果音、いらん……」
と言いながら、マイはふっと笑ってくれた。気がつけば、もう午後5時に近かった。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
マイの手を引いて、歩き始めた。