マイが手芸部の展示の後片付けに行ったので、僕も美術準備室を閉めに行った。米沢さんが掃き掃除をしているところだった。
「おお、2回目のステージ、どうやった」
「いや、びっくりしました。あまりに本格的だったので」
「そうやろ。俺も行きたかったなあ」
僕もほうきを手にして、掃除に参加する。
「きょう、ほとんど部室に来られなかったんですけど、どうでした?」
「ああ、結構、盛況だったよ。ま、みんな滞在時間は少ないけどな」
まあ、そうだろうな。絵しかないし。
「そうそう、朱嶺の絵を売ってくれという生徒がいたよ」
「え! そうなんですか?」
僕は朱嶺が描いた、神戸先生とわれわれ3人の絵を指差して「これ?」と聞いた。
「違うって。俺たちが描いた、朱嶺の絵だよ」
米沢さんはあごをしゃくって、壁に掛けられている4枚の絵を示した。
「ダンス部のステージを見て、ファンになったんだとさ。3000円でどうですかというから、ふざけんなって言ったよ」
「えー……」
美術部みたいな弱小クラブが、そんな強気に出ていいのか? と、そこに朱嶺が戻ってきた。制服に着替えている。
「おお、お疲れ」
米沢さんが笑顔で声をかける。
「午前のステージ、見に行ったよ。いや〜すごかった。朱嶺、主役だったね」
「ありがとうございます。ですが、すみません。全然、お手伝いできなくて」
朱嶺は丁寧に頭を下げると、米沢さんに近づいていく。「せめてお掃除します」と言ってほうきに手をかけた。
「いや、いいよ。ダンス部の活動で疲れてるだろ。掃除は俺たちがやっとくから」
朱嶺はあっさりと米沢さんからほうきを奪うのを諦めた。そしてくるりと僕の方に向き直ると「先輩、ほうきをください」と言う。
ほうきを渡さなければ、ぞうきんがけでも始めかねない。僕はおとなしく渡した。米沢さんが「おいおい、城山」と嫌な顔をしているが、朱嶺は一度言い出したらきかない。
朱嶺はホッとした表情で掃除を始めた。美術部のためになりたいと思っているのだから、やりたいようにやらせてやろう。
「先輩は見にきてくださいましたか?」
掃除の手を休めずに聞いてくる。
「ああ、午後のステージに行ったよ」
僕は手持ち無沙汰だ。米沢さんからほうきを奪い取ろうか。
「どうでした?」
「いやあ、びっくりしたよ。あんなに本格的だとは知らなかったなあ」
朱嶺はスッと薄く笑った。
「舞台ごとに衣装を少しずつ変えますので、明日も見にきてくださいね」
「そういえば、朱嶺の絵を売ってくれという生徒が来たよ」
米沢さんが4枚の絵の方にあごをしゃくる。
「私が描いた絵をですか?」
「違うって。なんで城山と同じボケをするんだよ。俺たちが描いた朱嶺の絵をだよ」
「ああ」
朱嶺はゴミを集めると、ちりとりを取りに行った。清掃道具入れの底に突っ込んであるので、取り上げる時に大きなお尻をこちらに突き出す格好になる。週に何度も見ているが、いつ見ても壮観だ。
「城山、お前、毎日これを見ているのか」
米沢さんが僕を横目で見る。
「毎日じゃないです。部活の日だけです」
「なんの話ですか?」
朱嶺は気づいていない。
「それで、売るのですか?」
しゃがんでゴミを集め始める。
「いや、断った。3000円って言うから。俺たちの愛情がたっぷり込められた絵だぞ。そんな値段で売るかっつーの」
米沢さんは胸を張る。
「確かに、画廊とかでも3000円で買える絵って、本当に小さいですよね。このサイズなら、2万円は下らないですよ」
朱嶺はちりとりの中身を、部屋の隅にあるゴミ箱に捨てに行った。
「あした、2万円で売ってくれってやつが現れたら、どうする?」
米沢さんの言葉に、朱嶺はちらりと僕を見た。なぜ僕を見るのか。でも、確かに売ってくれという人が現れた以上、あす僕が店番をしているときに、また同じことが起きないとは限らない。
「え、神戸先生に相談します」
そもそも売り物じゃないし。だけど、ダンス部での人気ぶりを見ると、売ってくれという生徒が明日も現れるかもしれない。朝イチで相談すべしだろうと思った。
帰り道、マイが興奮気味に朱嶺をほめた。それを聞いていた朱嶺は、実に満足げだった。
◇
文化祭2日目が始まった。朝イチでクラスのメイド喫茶に出ていると、父さんと母さんがやってきた。
「はあ? 何しに来たん?」
思わず不機嫌に言ってしまう。
「何しにって、雅史のメイド姿を見に来たんじゃないか」
父さんは当たり前のことを聞くなと言わんばかりの真顔だった。母さんはニヤニヤしながら、すでにスマホで僕のメイド服姿を撮影している。いや、ここ撮影禁止なんだけど。
「雅史、ほら、あれやってよ。あの、ほら、ご主人さまがどうたらってやつ」
母さん、うろ覚えすぎ。しかし、自分の親をむげにするわけにもいかず、仕方なく萌え萌えきゅんをやってやった。どこで聞きつけたのか、マイが家庭科室から飛ぶようにして戻ってきて、僕と父さんと母さんの3ショットを撮った。そして、なぜか鯖江がそこにマイを入れて記念撮影した。
「見て、近い将来の家族写真よ!」
母さんが満面の笑みで興奮している。
「今もそうじゃないか」
父さんが冷静につっこむ。何を言っているんだ。
クラスの当番が終わり、ちょっとだけ美術部に顔を出した。店番は神戸先生だ。前日、朱嶺の絵を買いたい人が現れた話をした。
「朱嶺くんの絵って、あれかね?」
自分と男子部員3人の絵を指差す。
「違います。あっちの4枚の方です」
なぜみんな同じボケをかますのか。
「おお、そうか。そうだろうな。ジジイと男子の絵がほしいだなんて、おかしいと思ったんだわ」
じゃあ、ボケなさんなよ。
「きょうも買いたいと言われたら、どうしましょうか」
「うーん、そうだなあ」
神戸先生は腕を組んで考え込んだ。
「城山くんは、あの絵を売りたいかね?」
「いえ、売りたくありません。いくらくらいの値段がつくのかには興味がありますが」
僕は学生だし、絵描きといってもアマチュアの端くれみたいなものだ。それでも、自分の絵を買いたい人が、いくら出してくれるかということは少し知りたかった。
もし、高額で売れるというのならば、僕も絵で生活してみたい。その思いが全くないといえば、嘘になる。
「僕も3000円とか4000円では売りたくないなあ。10万、20万なら考えるけど」
神戸先生は絵を眺めながら言った。
「まあ、基本、売らないことにしよう。ただ、きょうは保護者も多いからね。どうしてもという人が現れたら、またその時に考えようじゃないか」
神戸先生はそう言って、僕の肩をポンと叩いた。