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第126話 朱嶺城太郎

 2日目午前も、ダンス部のステージは人でいっぱいだった。マイと明科と待ち合わせして、同じ立ち見でも前日よりは舞台に近いところに陣取ることができた。


 朱嶺の言っていた通り、舞台衣装が少し変わっていた。前日、僕が見た時には白いワイシャツに黒いピタッとしたスラックスだったのだが、この回はみんな色の異なるパーカーで、下はスリムジーンズだった。衣装が変わるだけで、舞台の雰囲気もガラリと変わった。朱嶺は相変わらずキレキレのダンスを披露して、存在感抜群だった。文化祭に向けての練習期間だけで、よくもこんなに仕上げてきたものだと感心する。


 マイも明科もサイリウムを振って大興奮だった。女子って不思議だな。恋敵なのに、恋愛の部分でなければこんなに応援したりできるんだ。まあ、もともとマイと朱嶺は仲良しだったわけなので少し違うかもしれないけど、僕だったら黒沢が舞台で踊っていてもなんとも思わないし、むしろ見たくない。


 ああ、残念だな。朱嶺のステージを見るのは、今年はこれで最後なのか。がっかりしながら体育館を後にして、午後から美術部の店番に向かった。マイのメイド姿をもう一度、目に焼き付けておきたかったけど、それもできない。


 美術部の展示には結構、人が来ていた。ただ、米沢さんが言っていた通り、滞在時間は短い。部屋に入ってきて、ぐるっと見て回って出て行ってしまうという感じだ。仕方ない。だって、絵しかないんだもの。


 それでも、僕らが描いた朱嶺の肖像画は人気だった。ほとんどの人が、この4枚の前で足を止める。同じテーマの作品を並べたことで目を引くのだろう。何度も言うが、モデルがいいということもあるのだろうけど。


 「これってダンス部の子じゃない?」


 「センターで踊っていた子だよね」


 「めっちゃかわいくない?」


 耳をそば立てていると、そんな声が聞こえた。そうです。実はうちの部員なんですよ。


 密かにニヤニヤしていたら、部室にひと際目を引くカップルが入ってきた。生徒の保護者だろう、中年の男女だが、中年というにはあまりにも派手だった。


 男性はグレーのダブルのスーツをビシッと着こなしている。グレーのシャツにブルーのネクタイという一歩間違えばダサくなりそうなカラーコーディネートを、男性ファッション誌に出てくるモデルのように鮮やかに着こなしていた。いや、そもそもこの人自身のスタイルがいいのだ。胸板が厚く、腰がキュッと引き締まっている。色黒で、きれいになでつけたオールバックと手入れされた髭がクールだ。そう、ダンディ。渋い。少し異国風の顔立ちも、その印象を強くしていた。


 女性は明らかに欧米人とのハーフだ。背が高くて色が白く、金髪で目も青い。しかし、顔立ちは少しアジア人っぽかった。間違いなく十人いれば十人とも美人というだろう。鼻が高く、目がぱっちりとしている。深いスリットの入った黒のロングドレスを着ている。


 高校の文化祭に来る服装じゃない。どこかのパーティーと勘違いしていないか?


 2人は部屋に入ると、ぐるっと一周してから、やはり朱嶺の肖像画の前で立ち止まった。


 「ほほう、これは見事なものだな」


 「そうね。高校生にしては上手だわ」


 「モデルがいいからだろう」


 「私もそれを言おうとしていたところよ」


 2人の会話を耳ダンボにして聞いていると、男性の方が僕に近づいてきた。


 「君、ここで展示している絵は、売ってくれるのかね?」


 ニコッと人懐っこい笑顔で話しかけてくる。


 「え、いえ、基本的に生徒の作品なので、売り物ではないのです」


 僕は神戸先生と打ち合わせしていた通りの受け答えをした。


 「ふうむ、そうか。だが、是が非でも売ってほしいと言えばどうだい? 例えば、あそこの女の子の連作だ」


 男性は朱嶺の肖像画を指差した。


 「4枚セットで25万円で買うと言ったら、どうする?」


 リアルな料金提示に思わず息を飲んだ。このサイズだと少し名のある作家が描けば、たぶん5〜6万円はする。4枚で計25万円。十分にアリな値段だろう。


 「え、マジですか」


 「マジだとも。即金で買うぞ」


 男性はスーツの内側に手を差し込んだ。財布を取り出そうというのか。背後で女性が「あなた、あまりからかうのはよくないわ」と言っている。


 「おお、そうだ。申し遅れたけど、僕はこういう者だよ。これを見せれば、僕が本気で買うつもりだとわかってくれるかな」


 男性はスーツの内ポケットから長い札入れを取り出すと、中から名刺を取り出して僕に手渡した。


 芸術家

  朱嶺 城太郎


 なっ!


 「あ、朱嶺……くんのお父さんでしたか」


 「そうそう。君は確か、城山くんかな?」


 驚いた。文化祭には保護者も来るので、朱嶺のお父さんとお母さんが登場しても何もおかしくないのだが、全く心の準備ができていなかった。


 言われてみれば、この女性、朱嶺にめちゃくちゃ似てるじゃん。それに、芸術界にとどまらずデザインの世界でも辣腕を振るう売れっ子芸術家・朱嶺城太郎が僕の名前を知っていることも、驚きだった。


 「あ、はい。そうです」


 ドギマギしながら返事をする。


 「いつも娘がお世話になっております」


 夫婦そろって頭を下げてきた。となると、こっちのハーフっぽい外国人の女性が、朱嶺のお母さんなのか。


 「いや、お世話になっているのは僕の方で……。朱嶺さんはなんでもできるので、本当にいつも助けてもらってばかりで」


 僕はしどろもどろになった。


 まずい、まずいぞ。娘とチューしたり、ベッドに押し倒したり押し倒されたりしている男が目の前にいるのだ。父親の怒りがいつ爆発しても、おかしくない。


 「いやいや、いつもカレンが城山くんにはすごくお世話になっているとうちで話しているんで。なあ、マルチナ」


 「そうね。カレンはうちでは君の話ばかりしているわ。もしかして、カレシなの?」


 ぶっ! コーヒーを飲んでもいないのに、思わず吹きそうになった。朱嶺のお母さん、マルチナっていうのか。マルチナさんは腰に手を当てて、ウフッと笑った。笑い方が、娘と本当によく似ている。


 「あ、いや、仲はとてもいいですけど、そんな付き合っているとかではないんです!」


 それに僕、彼女いますし……。


 「そうなのか! いやあ、安心したぞ。ついにカレンに彼氏ができてしまったかとガッカリしていたんだ!」


 朱嶺城太郎は手を目元に当てると、大袈裟にホッとしてみせた。


 「どうしてガッカリするんですか!」


 「だって、あんなかわいいわが娘が、どこの馬の骨とも知れないやつのものになってしまうんだぞ。腹の底から怒りが沸いてくる。君も女の子の父親になったらわかるよ」


 ああ、父親と母親にチューしたこととかは話していないみたいだ。よかった。


 「はあ、そうですか…。まだその気持ちはよくわかりませんが、先輩として悪い虫がつかないように、よく見ておきます」


 「頼むよ、先輩。時に……」


 朱嶺城太郎は娘の肖像画に向き直ると、一番左側、僕が描いた絵を指差した。


 「君が描いたのは、あれだろう?」


 ビンゴだ。


 「はい、そうです」


 驚いた。なぜわかったのだろう?


 「だって、この絵を描いた人が一番、カレンと親しい人だってすぐわかるじゃないか。あの子は本当に信頼している人の前でなければ、こんな顔はしないからね」


 確かに4枚の肖像画のうち、僕が描いたものだけ、軽く微笑んでいる。他の3枚はいつものクールな表情なのに。デッサンした時には朱嶺はいつもの無表情だったのだが、仕上げていく過程で、僕は朱嶺に表情をつけた。


 その方が朱嶺の愛らしさが際立つからだ。


 「それに、君は目がいいな。才能がある」


 「はあ、ありがとうございます」


 プロに才能があると言われたのは、少しうれしかった。


 「お世辞じゃないぞ。目がいいというのは、見たものを正確に捉える力があるということだ。目が悪いやつは見た通りに描けない」


 そうなのか。確かに僕は見た通りに描けるけど、それは小学生の頃からたくさん描いてきたからだと思っていた。才能だと言われるとは、思ってもみなかった。


 「どうだ、俺の個人レッスンを受けてみないか? 芽が出るようなら、美大に推薦してやってもいいぞ」


 「え!」


 驚いて一瞬、固まった。


 これが人生の分岐点というやつだろうか。絵を描くのは好きだけど、美大に行くなんて考えたこともなかった。才能のある、僕よりもっと本格的に、真剣に取り組んでいた人が行くところで、縁がないと思っていた。プロで、大阪公立芸大の客員教授も務めている朱嶺城太郎の推薦ならば、絵で生計を立てる生活への道が開けるかも知れない。


 「え、本当ですか。僕、そんな才能ないと思うんですけど」


 ドキドキして、少し声が震えている。


 「才能なんて最初はみんな、ないよ。才能は磨いて作るものさ。どうだ、月3万円で」


 朱嶺城太郎は僕の肩をガシッとつかむと、白い歯を見せてニカッと笑った。


 「あなた! 若い人をからかうのも、いい加減にしなさい」


 背後でマルチナさんが怖い顔をしている。


 「それに、そろそろカレンのステージの時間よ」


 「おお、そうだったな。城山くん、カレンの友達ならいつでもウエルカムだ。名刺に電話番号が書いてあるから、連絡してくれたまえ」


 ああ、びっくりした。この場で答えを迫られたらどうしようと、ドキドキしていた。朱嶺城太郎は僕の肩から手を離す。くるりを背を向けて、もう一度、振り返って笑みを浮かべながら、去っていった。

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