あ、これ。空手だぞ。
エディは左前の半身になると両足を開いて腰を低く落とし、左手は顔の前、右手はお腹の前に拳にして構えた。千葉さんの構えと似ている。伝統派っぽい。ということは、突きが思ったよりも伸びてくるはずだ。エディはトントンと軽くステップを踏んで右に回ると、随分と遠いところから踏み込んできた。
いや、こんなのバレバレ……。
ステップバックして間合いを切ったつもりが、一気に詰められる。まずい。パンチもキックも、もらってしまう距離だ。とりあえず顔面をブロックして、衝撃に備えた。
ズドン!!!
うわっ、なんだこれ!
ボディに右のストレートが飛んできた。腹筋を締めて耐えたつもりだったのに、しびれるような衝撃が全身を襲う。ただ、重いだけではない。当たった後に衝撃波のようなものが残る、不思議な突きだった。
ガン!!!
すぐに返しの左が飛んできた。今度は防御の上だ。腕がしびれて、ブロックが弾かれる。経験したことがない衝撃だった。
新田はこれを顔面にもらったのか? こんなのをもらったら、そりゃ一発で気絶するわ。
大きくステップバックして、間合いを離す。離れた…と思ったら、逃してくれなかった。ステップが、送り足が速い。僕と同じスピードで前進して一発、二発、三発と次々に突きを打ち込んでくる。
腕の骨が軋む。折れそうだ。
ブロックで使う前腕部は、意外に筋肉がついている。だから、少々のことで折れることはない。だけど、エディの突きは強烈で、骨までビリビリと震えた。
これ、フックでボディに振られたら、マジでヤバい。僕が一生懸命、後退して逃げいているせいもあるけど、エディの攻撃は前面ばかりだ。ブロックしていれば、なんとか耐えられる。だけど、顔面や胴の側面はガラ空きだ。フックやミドルキックが当たる間合いではないものの、そっちに振られたらどうしようとハラハラした。
「モラシ、逃げているばかりでは勝負にならへんぞ!」
黒沢が野次る。周囲からも「逃げるな!」「どつき合わんかい!」と罵声が飛ぶ。
そんなこと言われたって、この強烈なパンチと打ち合えるわけないだろう。逃げ回って、ベンチに詰まった。座っていた生徒たちが僕の背中を押す。まずい、もう後ろに下がれない。そこに、エディの前蹴りが飛んできた。
ギュン!!
腹に食い込み、腸をえぐる。つま先まで神経が行き届いた、強烈な蹴りだった。一発で効かされてしまう。気が付けば汗びっしょりだった。パタパタと音を立てて、僕の汗が地面に飛び散った。
うわあ、ヤバい!
この前蹴り、怖い! 完全に意識させられてしまった。前蹴りに行くと見せかけて、顔面への突きというコンビネーションをもらってしまう。どうする。この前蹴り、もう一発もらったら間違いなくダウンしてしまう。
たまらずに東屋の中をよろよろと走って逃げた。足が上がらず、途中でけつまずく。何とか転ぶのを耐えて、間合いを離した。エディは構えを解くと、スタスタと歩いて追いかけてくる。
「ガードしているばっかりじゃ、面白くもなんともないなあ。空手家なんでしょ? ちょっと、あんたの空手を見せてくれよ」
そう言って、スッと腰を落とす。
いやあ、ダメだ。
空手は、そもそもカウンターの技が圧倒的に多いのだ。こっちから攻めていったら、まず間違いなくカウンターをもらうだろう。
だってこの子、めちゃくちゃ強いもの。僕が何かできるとは、思えなかった。
突きも蹴りも強烈だ。黒沢や新田なんか比べものにならない。僕が知っている最もパワフルな打撃の持ち主は碧崎さんだけど、碧崎さんとはまた違った強さだ。質が違う。当たった後に不思議な衝撃が残る、あの突きと蹴り。こんなのを何発ももらっていたら、ガードの上から効かされてしまう。
ましてや直撃しようものなら……。ゾッとする。それでなくても、ボディに何発がもらって、もう力が入らなかった。お腹に力が入らないとスタミナが一気に落ちるし、パンチもキックも威力が出ない。あごをぬぐうと、ポタポタと地面に汗がこぼれ落ちた。もう息が上がっている。ボディにもう一発もらって、立っていられる自信はなかった。
宮崎先生、早く来て!
僕は改めて顔面をガードした。腹を効かされて倒れたら、もう仕方がない。顔面はヤバい。意識が飛ぶのだけは、避けたかった。いつぞの岩出の姿が、ちらりと頭をよぎる。あんなことにならないとは、限らない。
「なんだ、来ないのか? 真正館って、大したことないんだな」
ネバギバってと言われていれば逆上していたかもしれない。だけど、真正館ならば、馬鹿にされても構わなかった。
「モラシ、元真正の意地を見せろや!」
黒沢が楽しそうに笑っているのが、チラッと見えた。ムカつく。自分はやらないくせに。
「じゃあ、とどめを刺しにいかせてもらうよ? 必死になって戦わないと、もう終わっちゃうからね」
エディはそう言うと、スッと近寄ってきた。
まただ。
でも、さっきの攻防でエディの間合いがわかったぞ。背の高さならば僕も負けていない。つまり足の長さも、そう負けてはいないということだ。震えが来ている足を必死になって動かして、ステップバックする。
突きを放とうとしてエディは、やめた。届かないのがわかったのだろう。そして改めて、グイと間合いを詰めてきた。
ええい、よく足が動くやつだな。
ドン。またベンチに詰まった。
ガツン! ガツン!! ガツン!!!
突きが3発ともブロックに当たる。痛ぇ! めちゃくちゃ痛い!!
顔面に意識を集中させて、最後はボディで仕留めにくるつもりだろう。そこまでわかっていても、この強烈な突きの前には、ガードを下げてボディを守りにいく勇気が出なかった。
エディの体が沈む。
ボディに来る。ダメだ、もう避けられない。目を閉じて倒れる覚悟をした、その時だった。
「やめぇ〜!」
誰かが飛び込んできて、エディに体当たりを食らわせた。
「うわっ」
不意をつかれたエディはよろめく。
僕の前に立ち塞がったのは、
そう。
僕のスーパーヒーロー、マイだった
「やめんかい! まあくんをいじめるやつは、ウチが許さへんで!」
眉毛をキリリと引き締めて、仁王立ちする。見物していた生徒たちがざわめいた。
「な、なに? 誰?」
エディは突然の乱入者に驚いていた。
「マイ、邪魔すんなや!」
黒沢が立ち上がって怒鳴った。目を吊り上げて、凶悪な顔になる。
「なんやと、ボケェ! こ◯してまうぞ、このクソがあ!」
マイは腕まくりすると、周囲をにらみつけて一喝した。ああ、なんと品のない。でも、小学校時代を思い出す。僕がいじめられていたら、こうたって助けにきてくれたっけ。
「黄崎、邪魔すんな! この戦争、ウチらが勝たへんとあかんのや!」
郡司が顔をゆがめて近寄ってきた。
「はあ? 知るか! 言うたやろ、まあくんを巻き込むなって! 死にたいんか、このクソアマが!!」
マイの剣幕に押されて、郡司だけではなくエディも後退りした。
「マイ、もういいよ。僕は大丈夫だから」
「あぁ?! まあくんは黙っとり!」
目をむいて、僕にも噛みつきそうな勢いだ。
「なんやこれ」
「なんで黄崎が出てくんの?」
周囲がザワザワしだした。
「おい、お前ら! 何やってるんだ!」
聞き慣れた声が響いた。宮崎先生だった。数人の先生を連れて、東屋に向かってくる。
「やべえ! おい、ずらかるぞ!」
黒沢は言うなり、東屋から飛び出した。それを見た周りの生徒たちも、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「あ! お前ら、逃げるな! こら!」
先生たちが黒沢らを追いかけようとする。見ると、郡司も一目散にホテルの方へと逃げ出したところだった。
「まあくん、大丈夫?」
すごい喧騒の中、マイが僕の腕を捕まえている。先ほどまでの烈火のごとく怒っていた表情とは一変して、とても心配そうな顔をしていた。
「ああ、ごめん。助かったよ。もしかして、マイが先生たちを連れてきてくれたの?」
「ん、そうのような、そうでないような。ウチが先生を呼びに行ったのと、先生らが出てくるのがほぼ一緒やったから」
マイは寒くもないのに、少し震えていた。
「ごめん、怖い思いをさせてしまって」
僕はマイを小脇に抱き寄せた。マイは僕のシャツをつかんで、ギュッと体を寄せる。
「城山、大丈夫か?」
宮崎先生がやってきた。他の先生たちが倒れている新田を介抱し始めた。よかった。とりあえず一発も殴ることなく、新田の救出に成功だ。これで岡山さんにも胸を張って報告できる。