ホテルに帰ると、元1年1組は全員、朝食会場に集められた。呼び出しに応じない生徒は部屋まで先生がやってきて、強制的に連れて行かれた。そして全員、正座。
「お前らはアホなのか? どうしてやっていいことといけないことの区別が、高校生にもなってつかない? もう少しで選挙権を手にするんだぞ。いい加減にしろ! 新田に何かあったら、どうするつもりだ!」
元担任の宮崎先生に説教された。
「あのなあ、なぜ戦争をしちゃいけないか、わかるか? 暴力だからだ。暴力をなぜ振るってはいけないのか? 誰かが傷つくからだ。他人を傷つけてはいけないんです。子供でも、大人でも! 当たり前のことなの!」
会場の壁際にずらりと並んだ生徒たちの前を、宮崎先生は行ったり来たりしながら話している。会場には香川先生や僕の担任の山梨先生もいた。
「せんせ〜、なぜ正座しないといけないんですか〜。こんなの体罰だと思いま〜す」
僕の向かい側、反対側の壁際にいる黒沢は足を崩している。
「黒沢ぁ! 誰が足崩していいと言った! 正座せんかい!」
「親に言いますよ〜、体罰受けたって」
「もう連絡済みじゃ! ボケェ!」
宮崎先生はだいぶ頭に血が昇っている。小さい目を血走らせて怒鳴った。黒沢はしぶしぶ、改めて正座をした。
「いいか、お前たちはこれから大人の社会に出ていくんや。大人のルールで動いている世界に出て行くんや。先生らがいつも言っている時間通りに動けとか、言われたことをやれとか、そういうことは全部、大人のルールなの! まずは先生の言うことを聞け! 言われた通りにやれ! それができないやつは、社会でやっていけない!」
なるほど。宮崎先生はカッカしているせいかやや論理が飛躍しているが、言わんとするところはわかる。僕ら未成年がどうのこうの言ったところで、そんなものは大人の社会ではこれっぽっちも通用しないのだ。
正座しろと言われたら、正座しないといけないのだ。
「なんかいい話したつもりなのかもしれないけど、その顔で言われても〜」
黒沢が茶々を入れる。ところどころから、クスクスとつられて笑い声が上がった。
「黒沢ぁ!!!」
宮崎先生は目を吊り上げて、大声を上げた。黒沢は「おお、イカつっ」と半笑いでふざけて言うと、目を逸らす。
説教が終わった後、僕らは小一時間ほど正座させられた。さすがに夜遅くなり、疲れたのか、みんな大人しく正座していた。午後11時過ぎに解放されたが、元1年1組は全員、翌日の午前は探究学習に参加せず、ホテルで反省文を書くことになった。
「各自のクラスに迷惑をかけることになるが、こういうことをすれば、こうして波及して迷惑をかけるのだということを、身をもって知れ。クラスに帰って、明日の午前に力になれないことを詫びてこい」
解散する時に、宮崎先生はそう言った。僕が部屋に戻ると消灯時間はとうに過ぎているはずなのに、ルームメイトたちは起きて待っていた。学級委員長の鯖江が同部屋だったので、こう言うことになって明日午前は参加できない旨を伝えた。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
「いや、別にええよ。逆に、あんなにハメを外せた1年1組がうらましいわ」
鯖江はそう言ってハハハと笑うと、僕の肩をポンポンと叩いた。そして、なんか楽しい思い出を作ろうぜと言って僕を部屋から連れ出すと、自動販売機で寝る前にもかかわらず缶コーヒーをおごってくれた。
「なんで寝る前なのにコーヒー?」
「笑えるやろ?」
公家のような白いつるんとした顔でニシシと笑う鯖江の顔を見ていると、鼻の奥がツーンとして、なぜか涙が出てきた。
「泣くなよ。まだ2日もあるんやで。楽しい修学旅行にしようや」
「ありがとう、鯖江。ありがとう…」
みっともないくらい、ボロボロと涙を流してしまった。鯖江がほら、使えよとハンカチを差し出してきたので、遠慮なく涙を拭いて鼻もかませてもらった。
寝る前にコーヒーを飲んだせいか、その夜、僕はなかなか寝付けなかった。
翌日、朝食終了後、元1年1組は全員、研修室に集められて、反省文を書かされた。どんなに早く書き終えても、午前中はトイレに行く以外は外出禁止。斜め前に座っていた黒沢は、暇そうにしてふんぞり返ったり、足をぶらぶらさせたりしていた。
やっていることが子供。
子供だ。黒沢はめちゃくちゃ子供なのだ。自分のやりたいことにはものすごい情熱を注ぐのに、思いやりが全くないし、周囲を傷つけていることを顧みることもない。それは幼い子供と一緒ではないか。
黒沢という人間を少しわかった気がした。
あまりにも生徒が暇そうなので、宮崎先生が漢字と数学のドリルをコピーして持ってきて、自習となった。
はあ、退屈……。
ここにいる圧倒的多数の人間が、自分が悪いわけじゃないのにと思っているに違いない。実際、僕もそうだ。本当に悪いのは、自分たちのけんかに周囲を巻き込んだ黒沢と郡司である。だけど、それを面白半分に見に行ってしまった連中にも、罪がないわけではない。2人以外、誰も行かなければ、あんなに盛り上がらなかったわけだし。
研修室に移動するときに、遠くにチラッとマイが見えた。探究学習に行くところで、小さく手を振っていた。昨夜の騒動が終わった後、一緒にホテルまでは戻ってきたけど、そのまま僕は朝食会場に呼び出されたので、ろくに話をしていない。助けに来てくれたことに改めてお礼を言いたかった。
ああ、せっかくの修学旅行なのに。
研修室はホテルの端の方にあり、トイレが少し遠かった。1階ホールを突っ切らなければならない。歩いていると、柱の影から見覚えのある金髪の少年がこちらをうかがっているのを見つけた。
エディじゃないか。
僕が少し用心しながら近づくと、あちらもこちらに気づいて、柱の影から出てきた。
「昨晩は、ごめんね」
高校生らしき制服を着ている。白いワイシャツに黒いボンタンだった。こうして明るいところで見ると、不良っぽい。だけど、口調はおとなしいというか、かわいらしかった。
「ああ、いや、いいけど」
それよりも、今は授業中だと思うのだが。
「なんでここにいるの?」
そんなこと聞いてどうするのかと思いつつも、聞かずにいられなかった。
「あの、昨日、俺がKOしてしまった人、大丈夫かなって。意識なかったでしょ」
新田のことか。朝食会場で見かけたので、少なくとも死んではいない。
「ああ、大丈夫だよ。さっき、普通に朝ごはん食べていたから」
「え、ほんとですか! よかったぁ〜」
エディは大袈裟に顔を覆った。
「死んじゃってたらどうしようと、不安で不安で仕方がなかったんですよ〜。なんしろ今まで、あんなにきれいに倒れたことなかったから」
先ほどまでの不安そうな表情から一転、にっこりと笑う。幼い感じがして、改めてかわいらしいなと思った。
「ああ、そうなんだ」
「金で雇われただけとは言え、殺しちゃってたら、洒落になんないでしょ。だって、ただのけんかなんだもの」
恐ろしいことをサラッと言っている。そりゃ洒落にならんわな。
「君、高校生なの?」
「え? いや、中学生です」
「授業は?」
「サボってるに決まってんじゃん」
エディは胸を張ってドヤ顔をした。
やれやれ。人のことは言えないが、やはり学校に行ってないのは良くないと思う。
「それにしてもあんた、頑丈だったなあ。俺にあんなに腹を打たれて立っていた人は、初めてです」
目を丸くして、ニコニコ笑っている。学校をサボっていることはほめられないが、そうまでして新田の様子を探りに来たということは、本当は優しい子なのだろう。
「ああ、いや、めちゃくちゃ効いたよ。もう一発もらっていたら、倒れていたと思う」
「え、そうなんだ! 惜しかったなあ」
ふとエディの手を見る。うわっ、すごい。立派な拳ダコができていた。
「空手やってるの?」
早く戻らないとと思いつつ、聞いてしまう。
「あ、はい」
「流派は何?」
「知らないと思いますけど、キタティって言います」
「きたてぃ? どんな字を書くの?」
「東西南北の北に、ハンドの手ですね」
エディは自分の右手を広げてみせた。聞いたことがない。ユーチューブでいろいろと沖縄の伝統空手を勉強してきたつもりだったけど、まだ知らない流派があるんだ。
「突きも蹴りもすごい威力だったよ」
そういうと、エディはすごくうれしそうにニンマリと笑った。
「でしょ? すごいでしょ? 本土の空手には、あんなのないでしょ?」
またドヤ顔をして、胸を張った。
「うん。僕は本土の空手をいっぱい知っているわけじゃないけど、少なくともあんな突きや蹴りをもらったことはなかった」
ほめすぎたつもりはなかった。実際、そうだったから。エディはすごく喜んで、ぴょんぴょん飛び跳ねると「よかったら、教えようか?」と言い出した。
いやいや、今、反省会の真っ最中だし。それに君は、授業サボっている最中だし。
「いや、実は今、トイレに来ただけで。すぐに戻らないといけないから……」
僕がそういうと、エディはスマホを取り出した。
「アドレス、交換しようよ」
「ごめん。今、スマホ持ってきてない」
エディはなんだよ……とつぶやいて、困った顔をする。
「じゃあ、インスタで検索してよ。三十里エディで出てくるはずだから」
「うん、わかった」
僕が返事した瞬間、廊下の角を曲がって宮崎先生が現れた。
「あ、ヤバっ。じゃあ、またね」
エディは身を翻して、ホールから駆け出して行った。
反省会は一応、午前中で終わった。昼食を挟んで、それぞれのクラスに合流した。2年5組は午前中にみっちりとエイサーの特訓を受けていて、とても遅れてきた元1年1組勢が割って入れる雰囲気ではなかった。山梨先生と相談して、僕らはエイサーとは何か?というパネル作りに参加した。
少し離れたところでマイが心配そうにこちらを見ている。残念ながら一緒に演舞することはできない。全部、黒沢と郡司のせいだ。
ホテルに戻った時に、小走りに駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとう。僕は大丈夫だけど、マイこそ大丈夫?」
「え? なんでウチが大丈夫なん?」
キョトンとした顔をしている。
いやだって、あなたエディに体当たりかましたり、大見え切ったりしてたじゃない。
「あ、そう。大丈夫ならいいんだけど」
マイの変にタフなところに、少し驚く。
2年5組には僕を含めて数人の元1年1組生がいたが、僕らが欠けても全く影響がないほど、同級生たちは夜の発表会で見事な演舞をやってのけた。あんなことさえなければ、ここで僕も彼らと一体感を得ることができていたのに。舞台袖でマイが踊っているのを見ながら、やりきれない思いを抱いていた。