修学旅行から帰ってくると、すぐに進路の面談が始まった。
どうしよう。まだ何も決めていない。
2年生になると定期的に模試があり、志望校を書く欄がある。何となく、関大の経済学部と商学部と書いていた。国公立は大阪公立大。こちらも経済学部と商学部だ。関大の理由は以前、マイが名前を挙げていた記憶があるから。関西では名の通った大学だし、清栄学院からも割とたくさん進学する。関東で言えば中央や法政と同じくらいのレベル。就職にも困らない。経済学部と商学部の理由は、何となく潰しが効きそうだというイメージがあったからだった。
この2年冬の面接を踏まえ、最終的な2年生までの成績をもとに、3年生のクラス分けが行われる。つまり、ここでマイと足並みをそろえておかないと、3年生は別のクラスになる可能性がある。修学旅行が終わったらすぐに相談しないといけないと思いながらも、なかなか言い出すきっかけがつかめずに2、3日が過ぎていた。
さあ、今日こそ言うぞ。
下校時だった。もうすぐ12月というのに、昨年に続いていつになれば秋が来るのかというくらい暖かかった。暖かいというか、暑い。運動部に所属している生徒の中には、まだ半袖ポロシャツで登校してくる者もいるくらいだ。マフラーも上着もいらない。僕も長袖シャツを袖まくりしている。マイは長袖シャツの上にベージュの、朱嶺はグレーのチョッキを着ていた。
「まいまい、また明日ね」
「こはこは、また明日」
マイと明科が抱き合って別れのあいさつをしている。白いほっぺたをむにゅっとくっつけ合って、本当に仲が良さそうだ。
「先輩、私たちもやります?」
朱嶺が真顔で僕の肩をつついた。そして、自分のほっぺたをちょんちょんとつつく。朱嶺のほっぺたも柔らかくて気持ちがいい。だけど、やらないぞ。それに、まだ朱嶺は帰らないだろう。
「ちょっとお茶していかない?」
明科を見送ると、マイは僕たちの方に振り向いた。指差す先にはスタバがある。
「え……」
帰り道にマイがお茶に誘うなんて、珍しい。何か話したいことがあるのだろう。だけど、僕は練習に行きたかった。試合が近い。体を動かしておきたかった。とはいえ、マイの誘いだ。無下に断れない。いや、でも、練習が……。
「いや、ちょっと練習に行きたい……」
僕はあらぬ方向を向いて、小さな声でモゴモゴと言った。マイはムッとした顔をする。
「先輩、きょうの夕方からの練習はブラジリアン柔術でしょう? 打撃の時間ではないはずですよ」
朱嶺が口を挟んできた。
よく知っているな。確かにそうだ。きょうは金曜日だから、夕方からのクラスはブラジリアン柔術だ。その後にキックボクシングのクラスがあるのだけど、僕のお目当ては全てが終わった後の自主練。翔太にミットを持ってもらうつもりだった。
「うん、そうだけど……。え!」
ちょっと待って! ドキッとした。
「なんで朱嶺がそんなこと知ってるの?」
朱嶺を見ると、平然とした顔をしている。
「なんでって。言ったじゃないですか。私、先輩ウォッチャーだって」
ウォッチャーか何だか知らないが、僕が所属しているジムのクラススケジュールまで把握しているなんて、ちょっとヤバくないか? それ、ウォッチャーじゃなくて、もはやストーカーなんじゃない?
動揺してもう一度、朱嶺の顔を見る。朱嶺は少しだけ目を細めて、目だけで微笑んだ。
「そうなんや。じゃあ、きょうは練習休んでもええやん。てゆうか、練習より大事な話があるねん」
マイは僕のシャツのお腹の辺りを引っ張った。
「話なら、僕の部屋ですればええやんか」
そうだ。なぜスタバに行かなければいけないのか。スタバ、あまり好きじゃない。だって、高いんだもの。
「まあくんの部屋に行ったら、いっつもグダグダになってちゃんとした話にならへんやん? あのね、進路の話、したいねん。もう決めへんと、時間ないやんか」
マイは口をとがらせた。
「だから、ちょっといつもと違うところで話そうよ。サイゼはあかんで。ご飯食べるわけじゃないんやし」
マイは僕の手を引くと「さあ、行こう。すぐ行こう」と半ば無理やりスタバへと入っていく。なぜか後ろから朱嶺がついてきていて、逃げ出すことができなかった。
スタバ、やっぱり高ぇ。普通にアイスコーヒーにしておこう。だが、女子2人はなんとかフラペチーノという、生クリームがモリモリと上に乗った飲み物を注文した。テーブルにつくとマイが僕の正面、朱嶺は僕の隣に座った。
「何それ?」
マイのは色的に抹茶だろうか。朱嶺のはミルクティーっぽい色にブルーベリーっぽい何かが溶け込んでいる。
「季節限定の宇治抹茶フラペチーノ」
マイは早くもモリモリの生クリームをすくって口に運んでいる。
「朱嶺のは?」
「季節限定のアールグレイとベリーベリーミックスです」
「ウチもそれ気になっててん。どっちにしようかなと迷いに迷って抹茶にしたわ〜」
「じゃあ、一口ずつ交換しませんか?」
「ええの? カレンちゃん、ありがとう」
マイと朱嶺はそれぞれのグラスを交換して、生クリームを口に運ぶ。
「うん、美味しい!」
「抹茶も捨て難いですね」
君たち、それが飲みたいだけだったんじゃないの? そもそも、どうしてここに朱嶺がいるんだ。マイが僕と進路の相談をするために、立ち寄ったんだぞ。それにこの2人、僕をめぐって恋の鞘当てをしているはずなのに、どうしてこんなに仲がいいんだ。
女子って本当に理解不能。
「どうして朱嶺がここにいるの?」
僕は少し声を低くして、今更聞いても仕方がないことを聞いた。
「お邪魔でしたか?」
立ち去る気なんて全くなさそうなのに、朱嶺はすっとぼけている。
「いや、ええよ。カレンちゃんがいてくれた方がええし。第3者の目がないと、またまあくんともめそうやし」
マイはマドラーで僕を指差す。
「もめたことなんて、あったかな……」
「あったよ! ほら、なんばパークス行った時とか」
ああ、マイがパンケーキ食べて、泣いた時ね。でも、あれってもめたんかな? 何ももめてないと思うんだけど。
「先輩方がどんなふうに進路のことを考えているのか、そばで聞かせていただければ、来年の参考になるかなと思いまして……」
朱嶺はしれっとした顔で、取ってつけたような理由を口にした。いや、そういうことはスタバに入る前に言うことでしょ。で、ご一緒させていただいてよろしいですか?と了承を得るものなんじゃないの? 抜け抜けと同席した後に言われても、何の説得力もない。
朱嶺はマドラーを器用に使って、生クリームを口に運んでいる。さも当然のように僕とマイの間に割り込んできていることに、少しイラッとした。
「それって、生クリーム食べてるだけだよね?」
イラッとしたついでに、ちょっと意地悪な質問をしてしまった。
「いいえ。紅茶やベリーの味もして、とても美味しいですよ。ひと口食べます?」
勘のいい朱嶺のことだ。僕が苛立っていることに気づいているだろう。だけど、そんなこと全く気づかないふりをして、マドラーに生クリームを山盛りにして差し出してくる。
いや、それ、間接キスだし!
「まあくんもひと口食べたら、季節限定の偉大さがわかるで」
マイも僕に食べさせたいのか、マドラーに生クリームを盛り始めた。そんなことより、自分の恋敵が自分の彼氏に間接キスさせようとしているのを止めてくれ!
「はい、マイのもどうぞ!」
ん。もしかして、これってハーレム状態じゃないのか? 正面と隣から差し出される生クリーム。正直、あまり好きではないのだが、要らないとも言えず、僕は仕方がなく朱嶺の、マイのという順番で口をつけた。うん、生クリームだ。確かに紅茶や抹茶の香りがするけど、それ以上でもそれ以下でもない。
「ところで、進路の話をしに来たのではなかったのですか?」
生クリームをひとしきり食べ終えて、朱嶺はハンカチで口元を押さえながら言った。
「そうそう。忘れるところやったわ」
マイは、まだグラスの内側についた生クリームをマドラーで名残惜しそうにこそげ取って舐めている。
「まあくん、それで結局、どこに行くつもりなん?」
マドラーをしゃぶりながら、僕を見た。今日のお昼ご飯、何にする?と母さんが聞いている時と、ノリが全く一緒だった。
「どこって言われても……」
正直なことを言うのは、少し照れる。顔が熱くなるのを感じた。
「マイが行くところに、一緒に行ければなあって思ってるよ」
チラッとマイを見ると、まだマドラーをくわえていた。くわえたまま、真顔で固まっている。何か、変なこと言ったかな? もう一度、同じことを言おうと口を開きかけたところで、マイが言った。
「いや、そうじゃなくて。まあくんがどこに行きたいかを聞きたいんよ」
マドラーを離すと、またそれで僕を指し示して口をとがらせた。
「いや、だから、マイが行くところに」
「違うって。それはずるいわ。先にまあくんが、自分が行きたいところを言ってよ」
要するに、僕の志望校を聞きたいということか。それこそ、マイの行きたいところが僕の志望校なんだけど。困ったな。助けを求めて朱嶺を横目で見ると、僕のことをまじまじと見つめていた。僕が何か発言するのを待っている時の顔だ。これは、助け舟を期待できそうもない。
ええい、仕方ない。漠然としているけど、とりあえず考えていることを話そう。
「あの。行きたいところというか、僕の夢なんだけど、それでもいい?」
マイを見て、おずおずと切り出した。
「え? 全然、ええよ」
マイはストローをフラペチーノに差し込んで、ジューッと変な音を立てて吸い上げた。
すうっと息を吸って、吐く。よし、言うぞ。