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第143話 友達である理由

 師走とはよく言ったもので、凄まじい勢いで一日一日が過ぎていく。この調子ではマイの言う通り、あっという間に受験の日がやってくるのではないか。


 その前に空手の試合がある。刻々と近づいてくるので、例によって明日斗にLINEで愚痴っていたら、急きょ「直接会って話そうぜ」となり、日曜日の午後にサイゼリアに行った。冬休みの間にマイに誘われて初めて予備校の冬季講習に行くことが決まっていて、その予習をする予定だったのだが、マイに頭を下げてなんとか家を出てきた。「明日斗の誘いなら、仕方ないなあ」なんだそうだ。


 「おお、なんか、一杯一杯に見えるぞ」


 席につくなり、明日斗はニヤニヤと笑った。


 「そう?」


 自分ではそんなつもりはないんだけど。


 「うん。なんか、やつれてんで。しっかり飯、食ってるのか?」


 パラパラとメニューをめくる。そんなの見なくても全部、覚えているくらいサイゼリアに来ているだろう。と思ったら、若鶏のディアボラ風という普段、注文しているのを見たことがない一皿を選んだ。それとミラノドリア。僕はペンネアラビアータと、柔らか青豆の温サラダを注文する。


 「次、試合いつなの?」


 「年明けやな。2月」


 そう言い残して「水、取ってくるわ」と立ち上がる。しばらくすると僕の分のコップも手にして、戻ってきた。


 「俺の話じゃなくて。きょうは雅史の話を聞きにきたんやから」


 座ると早速、水を口にする。


 「ああ、そうね。僕の試合……」


 夏に全日本選手権に出て、もう試合に出るのが嫌になってしまった。でも、一度でいいからマイに優勝したところを見せたくて、今月の真正会館の大阪府大会に出ることにした。正直、大変だった。試合に出続けている時は絶え間なく試合用のきつい練習をしていたから大丈夫だったけど、一度、強度を落としてしまうと、改めて試合用の練習に体を順応させていくのは、本当に大変だった。


 「めちゃくちゃキツいわ。この前、試合に出た時って、こんなにしんどかったかなぁ」


 ため息をついて、両手で顔を覆った。


 「やり過ぎなんとちゃう? 練習して、週末にその延長で試合するって感じでいけば、そんなにしんどくないと思うけど」


 明日斗は早くもフォークとナイフを準備しながら言う。


 「普通の練習って試合用の練習でしょ?」


 僕の前にもフォークとスプーンを置いた。


 「練習に普通も試合用もないやんか」


 「いや、ネバギバにはあるねん」


 「何が違うのよ」


 「ビッグミットをたくさんやったり……」


 明日斗は「ああ」とわかったのかわかっていないのかよくわからない相槌を打つと、椅子に深く腰掛けた。


 「明日斗のジムはそういうの、ないの?」


 「ないなあ。いつ試合があってもいいように、普段から作っている感じやわ。少しだけ減量したら、仕上がるくらいに」


 「そうなんや」


 確かにそういう調整方法の方が、楽な気がする。次に試合に出る時は、そのパターンでやってみるか。いやいや、次の試合なんかないだろ。すでに目の前の試合でこんなにしんどいのに。


 もう二度と、試合なんかしたくない。完全な試合鬱だった。


 「そりゃそうと、なかなか見つからへんわ」


 僕は話題を変えた。


 「ああ、沖縄のやつか」


 明日斗が返事をしたところで、料理がやってきた。若鶏のディアボラ風は鉄板に乗っていて、じゅうじゅうと美味しそうな音を立てている。鶏の脂が焼ける香ばしい匂いが漂ってきて、思わず唾を飲む。あんなにガッツリ食べられないと思ったけど、実物を目の前にすると僕も頼めばよかったと少し後悔した。


 「このソースに最近、ハマってるねん」


 野菜を刻んだソースがかかっている。明日斗は早速、フォークで大ぶりに切り分けると、実に美味そうに口一杯にほお張った。


 「うん、うめえ!」


 明科も実に美味そうに食べるけど、彼氏の明日斗も、本当に美味しそうに食べる。見ていて気持ちがいい。


 沖縄の……というのは修学旅行で会ったエディのことだ。あのパンチは、経験したことがない強烈さだった。その秘密が知りたくて、コンタクトが取れないかとSNSで探していた。大阪に戻ってきてから、明日斗にも話していた。


 「しかし、見つけたところでLINEとかメールで説明されて、理解できるんかなあ」


 明日斗はすごい勢いで鶏肉を平らげながら、言った。


 「ほら、身体操作って、言葉で説明しにくいものが多いやんか」


 確かにその通りだ。碧崎さんにたくさん体の使い方を教わったが、その時も手取り足取りで腕や足の位置を調整したり、手本を見せてくれたりして、理解することができた。


 YouTubeでいろいろな技術が紹介されているが、見てすぐにできるわけではない。多くはリアルで誰かに見せてもらわないと、なかなかできない。仮にエディにコンタクトできたとしても、SNS経由では十分に理解できない可能性が高かった。


 とはいえ、僕はエディのことを諦めることができなかった。あのパンチが打てれば、いつも負ける決勝で勝てそうな気がした。決勝どころか、黒沢にだって勝てそうな気がする。それを「教えてやろう」とまで言ってくれたのだ。教わらずにズルズルいくのが嫌だった。


 「できればもう一度、会いたいなあ。会って教えてほしい」


 思っていたことが、口に出た。


 「沖縄やろ? 遠いやん。京都とか神戸に行くんとちゃうんやで」


 明日斗はミラノドリアに取り掛かっている。


 「でも、ジェットスターとかで行けば、東京に行くのとそう変わらんし」


 実は沖縄に行くつもりで、すでに下調べをしていた。早ければ冬休みにでも。いや、冬休みはマイと予備校に行くから、ダメだ。


 「すごいなあ」


 明日斗は目を丸くした。


 「すごいって、何が?」


 「雅史の行動力が、やんか」


 そう言って、スプーンで僕を指差す。


 「いや……。そうかな? 単に諦めが悪いだけなんとちゃうの?」


 僕はフォークでつついていたペンネアラビアータを、少し口に入れた。


 「いや、すごいって。諦めが悪いと言えば聞こえが悪いけど、雅史の粘り強さはすごいと思うで。昔から全然変わらんわ」


 明日斗はミラノドリアをきれいにさらえた。


 「それに、京大にも行くんやろ?」


 鼻の穴を膨らまして、目をキラキラさせる。


 「いや、まだ行くと決まったわけじゃないから。挑戦すると決めただけで」


 「挑戦すると決めただけでも、大したもんやで。さすが俺の憧れやな!」


 早く食べないと。明日斗はもう食べ終わってしまった。考えごとをしながらもたもたしていて、青豆には全く手をつけていない。


 「さすが俺の憧れかあ……」


 明日斗の言葉をなんとなく反芻して、違和感を覚えた。ん? 俺の憧れ?


 「え? 誰が?」


 ペンネをほお張りながら、聞いた。明日斗は食べ終わって、水を飲んでいる。


 「誰がって、何が?」


 「いや、さっき明日斗の憧れって」


 明日斗はコップをテーブルに置くと、ああ!と言いながらポンと膝を打った。


 「俺の憧れは、雅史やってことやんか」


 ……。


 え?


 「どういうこと?」


 意味がわからなくて、聞き直した。


 「んん、だから」


 座り直すと、グッと目に力を込めた。


 「俺は、ずっと雅史に憧れてたってこと」


 ……。


 え?


 「何、言ってるの?」


 聞き直しても、意味がわからなかった。僕に憧れていた? 明日斗が? なぜ? 明日斗が知っている中学生までの僕は、ずっと惨めないじめられっ子だったはずだけど?


 「何を言ってるもくそも、俺はずっと雅史に憧れて、雅史の背中を追いかけて、ここまでやってきたんやで。あれ? 今まで言ったこと、なかったっけ?」


 明日斗は照れ臭そうにコップをいじりながら、ニコッと笑った。頭の中にクエスチョンマークが渦巻いて、言葉が入ってこない。


 「え。明日斗の知っている僕は終始、みじめないじめられっ子だったはずなんだけど。憧れられるところなんて、微塵もなかったと思うんだけど」


 「いや、そんなことないって」


 明日斗は真剣な目をして、身を乗り出した。


 「雅史が『鉄拳メンマ』を教えてくれたから俺は空手を始めたんやし、殴られても蹴られても頑張って学校に来ていたから、俺も道場でコテンパンにやられてもまた行くぞって踏ん張れたんやで。雅史がどんどん絵がうまくなっていくから、俺ももっとうまくなりたいと思ってキックに行って、総合格闘技に行ったわけやし。雅史はずっと俺の前を走って、俺を引っ張って行ってくれてるんやで」


 一気にまくし立てた。


 「それで、今度は京大目指して頑張るって。刺激にならないわけがないやんか」


 店内にはなんだかよくわからないイタリアの音楽っぽいBGMが流れていた。周囲のざわめきの中で、軽快なリズムが妙に耳に残る。そうか。そうだったのか。明日斗は、僕のことをそんなふうに見ていたのか。


 初めて知った。幼稚園の頃からだから13年くらいずっと友達だけど、知らなかった。なんでこんなにいいやつが僕の友達なんだろうと不思議に思ったことはあったが、そういうことだったのか。


 いや、ちょっと待って。それこそ買いかぶりというやつではないのか。


 「いや、まだ京大行ってないし……」


 自分でもトンチンカンだなと思うことを言ってしまった。


 「行くやろ。雅史やったら、行くって。不死鳥やから」


 明日斗はテーブルに肘をついて、ハハッと笑った。僕がまだ食べ終えていない柔らか青豆の温サラダに、手を伸ばす。


 「今度の試合、応援に行くわ」


 青豆をスプーンですくうと、ひと口でほお張った。


 「え、いいの?」


 「ええよ。いつも俺の試合、応援に来てくれてるやろ」


 それは心強い。だけど、そんなことよりも、僕は自分がずっと明日斗の憧れだったということが衝撃的すぎて、上の空だった。朱嶺に告白された時と同じくらいの、衝撃だった。


 「ありがとう……。今度こそ優勝できるように、頑張るわ」


 口元を引きつらせながら、なんとか返事をする。


 「あ、それはあかんぞ、雅史。優勝するんとちゃうねん。まずは目の前の1勝や。優勝はそれが積み上がっただけやで」


 明日斗はさらにもうひと匙、僕の青豆を持って行ってしまった。

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