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第145話 セコンド

 天気予報で知っていたけど、翌朝は雨だった。試合の日に雨なのは初めてだ。暑い時期は気にならないが、寒い時期は濡れると体の芯まで冷える気がするので、好きじゃない。


 珍しくマイが最初からついてきた。京橋駅で翔太と合流し、舞洲アリーナへと向かう。気をつけていたのに、到着する頃にはつま先に少し雨が染み込んでいた。冷たい。


 受付を済ませて、対戦表を確認する。昨年は3人の巴戦だったが、今年は参加者が5人いて、トーナメントだった。僕は他流派だからだろう、1試合だけ組まれている1回戦から出場。優勝するまで3回、試合がある。


 受付の後方の壁に貼ってある対戦表を見ていたら、どこからどう見ても反社会勢力の構成員にしか見えない若い男が僕の後ろにやってきた。背が高く、僕の肩越しに対戦表をのぞき込んでいる。色黒でポテッと太っていて、ソフトどころか完全にモヒカンに刈り上げた髪を金色に染めていた。細いサングラスをかけて、黒いジャージーのセットアップに金のネックレスをかけていて、とても堅気の人間に見えない。


 なんだ、こいつ。なんで僕と一緒に、高校生上級重量級の対戦表を見ているんだ? 選手の父親だろうか。それにしては若く見える。まさか、これで高校生なのか?


 「2回勝ったら優勝やんけ」


 そいつの隣にいた、これもどう見てもチンピラにしか見えない茶髪の若者が言った。


 「オウ、楽勝や」


 モヒカンサングラスは、ドスのきいた声でそう吐き出すと、分厚い唇の端を持ち上げてニヤリと笑った。


 何? 2回勝ったら? じゃあ、やっぱり選手なのか? どっちのヤマにいるんだ? もし当たるとすれば、僕の準決勝か決勝の相手だぞ。


 「2人ともぶっ殺したるわ」


 モヒサンはそういうと、舎弟っぽいチンピラを連れて、対戦表の前から離れて行った。



 アップを終えて会場の壁際でマイにもらったアンパンをかじっていると、明日斗が現れた。黒いジャージーにカーキ色のジャンパーという、選手のような出立ちだ。明科を連れてきていた。


 「なんや。どうしたん、その顔」


 いきなりニヤッと笑って話しかけてきた。


 「え……。なんかついてる?」


 思わず自分の口元に手をやる。


 「違う。これから処刑されそうな顔してるから」


 ポケットに手を入れて、僕を見下ろした。僕の隣で、翔太が声を出さずに口だけ動かして「あ……」と言った。いつか対戦したやつじゃないかということだろう。その視線に明日斗が気づいた。


 「あ、これはどうも」


 明日斗はポケットから手を出すと、翔太にペコリと頭を下げた。翔太も立ち上がって、頭を下げる。ああ、いいな、この光景。一度、拳を交わした者同士が、礼儀正しくあいさつしている。これぞ武道だ。


 僕はアンパンを口に押し込むと、会場の反対側の壁際に座っていたモヒカンサングラスを、本人に気づかれないように指差した。


 「たぶん、あの人と準決勝か決勝でぶつかるんだよ」


 もうその姿を見ただけで、お腹が痛くなった。どこからどう見ても、いじめる方の人間じゃないか。


 「ふうん」


 明日斗は少し目を細めて、モヒカンサングラスを見る。


 「オモロいくらい、イカついな」


 まるで他人事のように、アハッと笑う。


 「笑いごとじゃないわ」


 抗議の意思を込めて、あからさまにムッとしてみせた。


 「何言うてんの。昨日言ったこと、もう忘れたんか」


 いつの間にか、僕の背後でマイも立ち上がっていた。


 「昨日言ったこと?」


 「そうや」


 振り向くと、少し怒った顔をしている。


 「言うたやんか。試合相手はパフォーマンスを引き出してくれる存在やって。外見がどうかとか、関係ないわ」


 そういえば、そんなこと言われたな。終わった後にマイとチューするところしか、覚えてなかった。


 「マイ、ええこと言うやんか。そうやで。試合相手なんて、記号みたいなもんやから。それをどう解き明かすか、なんやから」


 明日斗はさらに難しいことを言った。


 「まあ、自分に自信がないから、あんなイカつい外見しとるんやろ。実際に戦ってみたらそんな強くないかもしれへんし、今から心配してもしゃあないやんか」


 まあそりゃそうだけど。


 「でも、あんなにデカいじゃん。絶対に強いって!」


 僕が一生懸命主張しても、明日斗もマイも翔太も「何を言っているんだ」みたいなキョトンとした顔をする。他人事じゃないか! 実際に戦うのは僕なんだぞ!?


 開会式が終わった頃に、代表や朱嶺が到着した。この日はネバギバから少年部の選手がたくさん出場していて、代表はまず少年部のセコンドに入ることになった。


 「きょうは雅史の応援、多いな。ああ、君は確か関西選手権の時の……」


 「BULLET|(バレット)の奈良です」


 BULLETというのは、明日斗が所属しているジムだ。プロの選手がたくさんいて、大阪では老舗で知られている。明日斗はハッキリとした声であいさつすると、代表にきちんと頭を下げた。


 代表も「ああ、どうも、宮城です」と軽く頭を下げてから、ちょっとあごを触った。少し考えてから、おもむろに口を開いた。


 「奈良くん、雅史のセコンド、入ってくれない?」


 「えっ」


 さすがの明日斗も予想外の流れだったのか、驚きの声を上げる。


 「それともマイちゃん、入る?」


 代表は、僕の隣にいたマイの方を向いた。


 「え、ウチが?」


 マイは明日斗の方を向いた。目と目が合って、うなずき合う。


 「いいですよ。僕が入ります」


 明日斗が代表に返事をした。


 「助かるわ。俺、きょう少年部のセコンドで忙しいし、俺がセコンドに入ったら、雅史は準優勝ばかりだからな。気分転換になっていいだろう?」


 代表は、ニコリともせずに僕の肩に手を置いた。いや、そこはニコリとしましょうよ。真顔だと、洒落になってないですよ!

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