「どうるるるるるるらぁ!!」
モヒカン細目はいきなり形容し難い声を張り上げて、突っ込んできた。
上体がデカい。あの大きさではフックしか打てないだろう。きれいなストレートの打ち合いなら、絶対に負けそうもない。
左のストレートを先に当てると、すぐに左のフックを当てて、左へステップした。突っ込んできた相手は、勢い余ってよろける。体勢を立て直すところに右ストレートを当てて、左のインローまで繋げた。
「うららあああああぁ!」
腕を振り回して追いかけてくる。左にステップして、ついてきたところを右へ切り返した。再び右ストレートから今後は右ロー。思った以上に簡単に、足が流れた。
「逃げんな、ゴラァ!!」
「殺し合いせんかい、ボゲェ!!」
「根性ないんか、グエェ!!」
「相手ビビってんぞ!!ウラァ!!」
応援団から罵声が飛んでくる。ルール無用のノックダウンならいざ知らず、ルールがあるこの大会で、殺し合いはないだろう。そうツッコんでいる自分の冷静さに、驚く。
「ぼげええええええぇ!」
再び突っ込んでくるので、また左のジャブを当てて左にステップして避けた。今度は右のローを当てて、勢いで右のインローに繋げる。相手の右足が流れた。
足元は思った以上に弱そうだ。
「ごらああああああぁ!」
「うぉらああああああぁ!!」
耳をつんざくほどの大声を上げながら突っ込んでくるのだが、恐ろしいくらいによく見えていた。先ほどまで試合場の脇で、自分がものすごく怖がっていたのが嘘みたいだ。突進をさばき、よろめいたところにローキック。段々、深く食い込んでいく感触があった。効いているに違いない。
「止め、止め!」
突然、主審が試合を止めた。開始線まで戻される。
「気合を入れるのは構わないけど、意味のない大声を上げない!」
主審はそう言って、相手選手に注意した。
「審判、どこ見とんねん!」
「時間なくなるやろが!」
「はよ試合、やらさんかい!」
そんなこと言ったら、主審の心証はどんどん悪くなっていくんだけどなあ。そう思いながら、僕は手の甲であごを伝う汗を拭った。よく見えていて、ほとんど技ももらっていない。とはいえ、こっちも強いプレッシャーをかい潜りながら絶え間なくステップして、相手の3倍近く手を出しているので、それなりに疲れてはいた。
モヒカン細目を見る。顔中にびっしりと汗の粒が浮き、ほとんど技を当ててないにも関わらず、肩で息をしていた。苦しげな顔をしているのだが、それがすごく怖い。白目をむいているように見える。
スタミナ、ないんやな。
「まあくん、記号やで! 記号!」
セコンド席からマイの声が聞こえる。「あと何秒」とか「もっとパンチ出して」とか、もう少し具体的なアドバイスがほしかったけど、それをマイに求めても仕方ない。むしろ、すぐ背後から声が聞こえてきて、なんだかほっこりと癒された気持ちになった。
いやあ、いかんいかん。まだ試合中だ。
だけど、不思議だな。試合中なのに、こんなに冷静にいろいろなものが見えているなんて。これまでも試合中に「今、冷静だな」と思ったことはあったけど、こんなに落ち着いているのは、初めてかもしれない。
「構えて、続行!」
「どらあああああぁ!!」
一体、何を聞いていたのだろうか。モヒカン細目は、また大声を上げて突っ込んできた。太い腕を振り回す。軽くバックステップしてかわすと、僕の目の前を大振りのアッパーが通り過ぎていった。そこに右のローを合わせる。ドシッとめり込む感じがして、相手の足が崩れた。
これは、効いたぞ。
右のストレートから、さらに右ロー。ずっとガードしなかったのに、モヒカン細目は左足を上げてカットし始めた。これはもう、確実に効いている。足を上げていても、構わずに右のローキックを叩き込んだ。
モヒカン細目の前進が止まった。ほおを引きつらせて、チョンチョンと左足を上げている。スッと右ローのフェイントを出すと、よろめきながら後退した。
「ビビんな、ショウタ!」
「行けや、ゴルァ!」
「根性見せろ!!」
ああ、こいつ、ショウタって言うのか。同じショウタでも、うちの翔太とは大違いだなあ。ネバギバの翔太なら、仮にローキックを効かされても、何食わぬ顔をしてタックルに行く。それ以前に、僕のローキック程度で効かされるような、やわな足をしていない。
「雅史、残り15秒!」
背後から代表の声が聞こえた。ああ、よかった。セコンドには入ってくれなかったけど、ちゃんと見てくれているんだ。
流せる時間だった。流しても勝てる。だけど、そんなのネバギバじゃない。最後まで仕留めにいく。それが、僕が教えてもらった格闘技だった。腹の底から、情熱が噴き上がってくるのを感じた。そうだ、僕はネバギバで鍛えられた。あの厳しい練習で作り上げられたんだ。決める。決めてやる!
「セイヤ!」
掛け声一閃、ローキックのフェイントをかけた。モヒカン細目は見事なほどに引っかかって、左足を上げる。腕も下がって、顔面がガラ空きだ。その横面に向かって、フルパワーのハイキックを叩き込んだ。耳の下あたりに背足がスローモーションのように吸い込まれていく。ドシッと脛が首の筋肉に食い込む感触があった。細目の目がグルンと裏返って、本当に白目をむいたのが見えた。両手を前に出して、泳ぐようにゆらゆらさせる。なんとか倒れまいと1、2歩右足を踏み出して、そこで糸が切れたように畳に突っ伏した。
ピピッ!
副審2人がサッと旗を真上に上げる。主審も副審を確認せずに、バッと右手を真上に差し上げた。一本のポーズだ。
「一本! 担架! 担架だ!」
記録係が救急班を呼びに飛び出していく。相手のセコンド席にいた、モヒカン細目の指導員らしきパンチパーマの中年男性が立ち上がって駆け寄ってきた。僕は倒れたモヒカン細目に向かって、残心を取った。
勝った。勝ったぞ。
残心を取った指先が震えている。今になって、抑え込んでいた緊張とか恐怖が吹き出してきたみたいで、ドッと全身を汗が伝うのを感じた。モヒカン細目が運び出された試合場で、勝ち名乗りを受けた。
「一本! 勝者、赤!」
「押忍!」
十字を切って、正面に一礼。主審に一礼して、試合場から出るためにセコンド席の方を向いた。
マイが立ち上がって、待っていた。小さく手を叩いて、笑っている。でも、もう泣きそうだ。目がウルウルしていた。ああ、僕も泣くかな。だけど、涙は出そうになかった。とりあえず、笑えばいいかな? マイに向かって、ニコッと微笑みかけた。
「おめでとう」
マイは震える声で言った。
「ありがとう」
歩み寄って、肩に手を置く。マイはこぼれ始めた涙を指で拭いながら、試合場から引き揚げる僕についてきた。
「雅史、おめでとう!」
明日斗が満面の笑みで拍手しながら迎えてくれた。
「……」
翔太も笑顔で拍手している。
「ツッ〜ッ……!!」
代表もすでに泣いていた。
「おめでとうございます……!」
朱嶺も泣いている。
「雅史、やったね!」
母さんも来てたのかよ! そしてやっぱり泣いてるし!
自分も絶対に泣くだろう。いや、むしろ泣きたいと思っていたのに、みんなが泣いているのを見ると、なぜか涙が引っ込んでしまった。もっと喜びたいのに、妙な薄ら笑いしか出てこない。
「アハ…。あ、ありがとうございました」
表彰式でもらったトロフィーは、地区大会とは思えないほど巨大だった。この日は少年部でも入賞者が多数いたので、彼らと一緒にトロフィーを持って記念撮影した。その後、母さんにマイと明日斗との3ショットを撮ってもらった。
「マイ、はい、これ。お待たせしました」
僕はマイにトロフィーを持たせようとした。
「いやいや、これはまあくんが持ってないとダメでしょ!」
「そうやで。それは雅史のもんやし。ほら、雅史がこうやって持ってやな……」
明日斗にポーズを指定されて、3人で記念撮影した。
「なんか複雑だなあ。俺がセコンドに入らなかったら、本当に優勝しちゃったよ」
代表がそばでブツクサ言っている。
「いえ、きょうはたまたまです。最後、代表の残り時間15秒、すごくよく聞こえました。最後に仕留めに行く力になりました」
「本当に? 本気で言ってる?」
口を尖らせてすねた表情をしているが、まんざらでもなさそうだ。
こうして、僕は初優勝した。すごくうれしかった。何より、応援に来てくれた人がみんな笑顔になって、僕が勝ったことを喜んでくれたことがうれしかった。頑張ってよかった。努力が報われるって、本当に素晴らしい。