「さあて、開場時刻まであと少しかな」
青く
ユウエリマは控え室の奥で
その声がした
「あんたがこの青を選んだ
支度に集中していたユウエリマは、その質問の真意や先輩が
「爪の色ですか?……とりあえずは、いい思い出がある色かなという気がします」早口になりつつ、ユウエリマは答えました。
その思い出とは、青の系統の色彩――。
紺色の練習靴。かつて国士養成学校でイエドと揃いの色でした。
群青色の≪Juú≫。
それらは過去の良い思い出と共にある物であり、今では
ラヘルロベナはそのまま話を広げようとしないものの、自分の爪を見る振りをしてユウエリマの様子を見ています。
「……改めて説明しなくて良さそうね。あとは、洗って乾かした瓶に水を入れて来て」少し経ってからラヘルロベナはこう言って、立ち上がりました。
「わたしは先に行くわ。あんたは今日こそ、ちゃんと回り道してよ?――」
昨日、ユウエリマは建物の中で迷いそうになり、指示された経路の回り道ができませんでした。
「――裏の玄関広間は今頃、
そう言い残し、ラヘルロベナが控え室を出ました。
増築を何度も
二人が居る出演俳優の控え室は、
どのように様子を知るかというと、以前は入場者を受け付ける
かつて、規制が過剰に機能することも多かった時代は、自由な上演が不当に妨害されないために、劇場の関係者が見張りを常駐させることがありました。その
または、劇場側が上演する舞台を別に準備しておき、妨害しようとしている者をあらかじめ見分け、妨害拡大を未然に抑えるための〝無難な演出〟の舞台の席へ割り振る、という実例もあったのです。
裏の玄関広間は増築前に正面入り口として使われていたので、昔からの常連の人たちが今も開場時刻に合わせてその広間に来ているはずです。
ユウエリマは小箱と、新しく飲み水を入れた
ユウエリマは、先に舞台へ向かっていると思っていたのですが、意外なことにラヘルロベナが
何かの思案を
「今日は、構成を少し変えようと思うの。昨日のお客さん、まるで無反応だったし……。裏の広間に昨日も
ほとんど表情を変えずに両者は分かれ、それぞれの方向へ通路を歩きました。
ユウエリマは、内心では「今こそ先輩に〝この新入りは、これくらいのことは簡単にできる子なんだ〟と思い直させる好機」と思っていました。
昨日の閉場後、ユウエリマは今日のためにこちらの通路に
ユウエリマは余計な推測はせず、窓を覗いてみました。ユウエリマの身長なら踏み台を使わなくても、あまり問題はありませんでした。
それは狭く限られた視野でしたが、曖昧な記憶では昨日も見たことがあるようで、ないようでもある客の数人を何とか目で追いかけてみました。それでも、客たちの身につけている物や持ち物をいくつかしっかりと
ユウエリマは
まず優先するべきこと、迷わず、遅れず、忘れず。
これは養成学校で新入生が初めに教え込まれる、舞台進行の三原則です。ロオムヘントの各方面で標語として掲げられるその言葉は舞台の外でも、他の業種でも重要さが変わることはありません。
舞台袖では、歌い手のラヘルロベナが共演する小楽隊全員を前にして話をしていました。
指揮者も兼ねている大型弦楽器奏者は、楽譜に追記しながら歌い手の話に何度も頷いていました。
「きみもつくづく、いい趣味しているよね?」管楽器奏者の一人が、ラヘルロベナに言いました。楽器を持っていない方の手で、上から吊り下げてあった電灯を近寄せて楽譜に向けています。
「もし、そんな人たちが観客の中に居るとして、その一部がむきになって舞台に上がって来ないといいけど……」隣の弦楽器奏者は少々
そのとき、ユウエリマが
「あんた、寄り道したわねえ?」ラヘルロベナは強い口調で言いました。
「え、いいえ。寄り道ではなく、回り道――」
「まあいいわ。ついでだから、どこへ回り道したか教えてもらおうかしら?」
ユウエリマは気づきました。この状況はラヘルロベナが、本当の意図を明らかにしないように言葉を選ぶのだということを、ユウエリマへ暗に伝えているのでした。
ユウエリマが特に理由もなく、勝手に回り道をして来たということにして――。
「すみません、時間があると思って、つい……まだ見に行っていない所を見に行ってきました。裏通り側の玄関広場に、ちょっと行ってみたくて――」こう言いながらユウエリマは、ラヘルロベナと目を合わせます。
「あら、そうなの?」
その金髪が一瞬舞う勢いで、顔を横へ向けました。
ユウエリマには、ラヘルロベナがそうして少し顎を引いたのが、「要点を言って」とこちらに促しているように見えました。
「意外とあそこから入場するお客さん、多いんですね。一五人くらい居たようです。昨日に続いて来場した人も、たぶん……数人は居ると思います。ほかにも、
それを聞いたラヘルロベナは、おもむろに口先を細めて息を
ようやく息を吸ったので周囲の者が注目しますと、ラヘルロベナが抑揚を付けた良い声で言葉を発します。
「
その綺麗な容姿に似合わない引き笑いによって、その場の緊張感には、異様な期待感が混ざります。
「……なにやら『
ラヘルロベナが「水を渡してくれる?」と言って、少し離れたユウエリマへ手を差し出しました。
「『役者は揃った』――ふん。この
そう囁くラヘルロベナにそっと水の入った硝子瓶を手渡して、ユウエリマは昨日の舞台とは異なる雰囲気を感じ始めていました。