世の中には男と女しかいない。
ジェンダー的な意味でなく生物学的な意味で。
こう書くと、おそらく「XXYの染色体を持った人はどうなるの?」的な意見があるかもしれないが、生物学的に『男/女』しかいないのが基本です。それはしっかり押さえておいてください。
上記のそれは性分化疾患的なものです。たとえばクラインフェルター症候群と呼ばれるものだったりエトセトラ。
もちろん、LGBTW+的な性自認はそれぞれのジェンダー的問題なので尊重されるべきである、という世論がある。個人的にも、それぞれが自認する性をもってくれても構わないと思う。
が、しつこいようだが生物学的には男か女かしかいないのだ。
なんでここまでしつこく書くか? 今回は男女の話をするのか? ――違う。
今回は『人間』の話をしよう。
:男女の差は思うより小さい:
男と女の違いはなにか? ――遺伝子レベルで書くならY染色体があるかどうか、股間にアレが付いてたり胸にふたつの膨らみがあるかどうかという話になる。
その他、男性は女性より筋肉の発達が顕著であり、女性は子どもを生む機能を備えている。
見方や考え方はどうだろう? 男性は女性より理論的とされ、女性は感情的とされることが多い。
ほんとうにそうだろうか?
確かに、理工学系へ進む人の数で男女を比較すると女性のほうが少ない。というより理系に進む女性の数が少ない。日本の女性は文系に進む数のほうが圧倒的に多いのだ。
じゃあ女性は理系に向かない生物なのか? ――いやそうじゃない。これは日本だけを見た場合の数や割合であり、世界に目を向ければまったく異なる数字が見えてくる。欧米では女性研究者の割合が高い傾向にあるようだ。
この差はなんで表れるのだろう? と謎掛けのように書いてみたが、おそらく、キミはもうその答えを知っているのではないだろうか?
日本は古くから男性が外で働き、女性は家に残り家事育児をこなしていく社会だった。近年になってやっと男女の差をなくそうという流れになってきたが、まだまだその流れや名残が残っている。2018年、東京医科大学が女性の入学者制限に関して謝罪したことを覚えてる方もいるでしょう。
人は思い込みが激しい生き物だ。こうと思い込んだらなかなか考えを曲げられない。それは『確証バイアス』ということばで説明されているが、まあとにかく人はそういうものなのだ。
わかりやすいのが音楽分野だろうか。音楽心理学の研究で、子どもが習う楽器について調べたところ、ジェンダー的イメージに沿った楽器を習うことが判明している。
女性がフルートを演奏する。男性がギターを演奏する。たぶん、みなさんのイメージでもその情景が浮かびやすいだろう。じゃあ男性がフルートを演奏する姿は? 女性がギターを鳴らす姿はイメージできるだろうか?
「お医者さんになりたい!」
「飛行機のパイロットになりたい!」
「ケーキ屋さんになりたい!」
「プロ野球選手になりたい!」
「ペットのトリマーさんになりたい!」
これらのセリフは男性、女性どちらの声で再生されただろうか?
このことばを喋っているのは
それが
男女の差なんてささやかなものだ。暴力事件を起こす、という言葉で男性的イメージがあるが、暴力性なんて男女差は存在しない。人間には喜怒哀楽が備わっている。そこに男女差など存在しないのだ。
:じゃあ男女で差があるものは?:
いろいろ書いたが、それらはすんなり受け入れられるものではない。だって実際に暴力的事件で捕まる比率は男性のほうが高いのだから。
これはジェンダー的偏見とは言い難いだろう。なぜそのような差があるのだろうか?
男女を決定づける遺伝子。遺伝子はタンパク質をつくるための設計図だ。
これによって男女でいろいろな差が生まれる。男性ホルモン、女性ホルモンなどそれぞれ生み出される物質が異なっていく。男性ホルモン(テストステロン)は体つきや筋肉量、骨密度、体毛などの成長を促進し、いわるゆ男性らしい身体にしてくれる。
女性ホルモン(エストロゲン)も同じように乳房、骨密度などの発達を促進し女性らしい身体を生み出す。
どちらもそれぞれの生殖器から分泌され、性的のみならず人としての成長に大きく寄与する。より重要なのは、どちらも気分を安定させてくれる素晴らしいホルモンであるということだ。
男性は筋力が発達するから暴力的になるかと言われるとそうではない。っていうかそれが本当なら世のボディビルダーたちはこぞって暴力的になるでしょう。じゃあみんなだいすきなかやまきんに君は暴力的だろうか? わたしが個人的に尊敬している山岸秀匡氏はめちゃ紳士的で落ち着いたナイスガイだ。
オトコのほうが
警察に捕まって、送検されて、罪に問われて、懲役うんねんなんて言われたことはないだろう? ――このハードルは、ただ男性であるというだけでは飛び越えられないのだ。
犯罪心理学の観点では、幼少期の経験が大人になった時様々な課題を生み出してしまうとされる。さらに、社会においてどのような地位にいるか、経済状況やそれぞれの関係などあらゆる観点から判断される。
決して男女など関係ない。むしろ、
:男女間の最も大きな差:
男性、女性は遺伝子の差。物質が影響してモロモロの変化を与え、その中でも最も大きいのは身体だろう。
どれほど鍛えようが、男性のボディビルダーのような筋肉量は得られないと思う。それと同じように、男性は女性のようなボディラインを構築することはできない。
運動能力についてはさらに顕著だ。たとえばオリンピックなど記録に残る競技を見ればわかるように、男性の世界記録と女性の世界記録では大きな差があることが多い。
わたしは野球が好きなので野球で例えると、女子硬式野球における本塁打(柵越え)は年間でも数えるほどでしかない……これはどうしようもない差だ。いくら男女平等を掲げた社会であっても、プロスポーツまで男女平等にすれば大事件に発展しかねないだろう。現に、スポーツ界隈でLGBTQ+関連の
次に挙げることは、これが最も大事なことなのだが『社会の扱い』だ。というより、男女差のほとんどの原因がコレと書いてしまっても良いかもしれない。
確かに、男性と女性の脳波を測定するとけっこうな違いが出てくる。しかし、これは生物学的な差による違いではなく、社会の中で生活していくなかで男/女の扱いにより変化していく。脳の構造自体に性差はなく、あったとしてもそれは"個体差"的なニュアンスでしかない。
本来の脳は
右利き左利きでその人の能力が決まるわけでもなし、血液型で才能やら何やらが決まるわけでもない。ここで散々書いたように、男性と女性ってだけで才能が括られるわけでもない。
けどなぜか、人は性別によって能力に差があると考えてしまう。脳ってのはどうしても因果関係を決定づけたくなるものだ。まあ、せいぜい筋肉のつきやすさ程度だろう。言うて女性ボディビルダーを見てるとそうでもないような気もしてくるが。
我ながら好き勝手に書いたものだ。まあスッキリしたので、考えるのはここまでにしておこう。
男も女もおなじ人間だ。人間という生き物である以上生物学的な差は性機能や染色体レベルでしかなく、そこで生み出される物質以外の差は存在しない。
それでも、その小さな差が大きな変化になり現代社会を生み出したのだろう。蝶の羽ばたきが嵐を生み出したかのように。なんにしても、男女がどうのこうの言うまえに『人間』としてまっとうかどうかを考えてみよう。他人に悪態をつく輩は男女関係なくアカンでしょ、というヤツだ。
キミはどんな人間かな? キミが男性であれ女性であれ、人として楽しく過ごしていけることを願っています。