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第3話:交渉


「お父様の執務室はこっちね」



 わたしは豪奢な屋敷をつかつかと歩いていた。

 一応は前世の記憶が目覚める以前、エリシアとしての十年間の記憶がある。父の居場所くらいは把握してるわ。



「ただ」



 父の人格――は掴みきれてないのよねー。


 ゲーム原作には影も形もなかった父親。悪役令嬢の親なんて誰も興味持たないからしゃーないか。ただ強大な権力を有しているとだけテキストにあった。


 んで。そんなエリシアわたしの父だけど、エリシアとしては立派で温和な人とだけ認識していた。


 声を荒らげるようなことは一度もない。

 常に紳士然として、品がありつつも柔らかな物腰でわたしや周囲に接していた気がする。


 が、しかし。



「今のわたしが読み取るに――アレは、優しい人とは縁遠い気がするわねぇ」



 人が人に穏やかに接する理由は二つある。


 一つは単純に性格によるもの。気弱か粗野なのを侮蔑してるかガチ聖人かはともかく、反射神経オートで優しい者がオーソドックスだ。


 で、もう一つ。それは徹頭徹尾、計算によるもの。

 そうするほうが〝利〟があるから。その考えを演技マニュアルで実行し続け、表情筋の一つ一つに気を配るような人間は、たしかにいる。


 我が父――フェンサリル家当主、 バクダート・フォン・フェンサリルは後者たる男だと考察している。


 だってアレからは……教育虐待者だった前世の親と、ほのかに同じ匂いがするからね。



「ちょっとぉ、お姉様!」


「むむん?」



 そうこう考えていると、とてとてと。背後からコケシみたいな頭の妹・エリカが追いかけてきた。

 わたしに追いつくや肩を震わせてハフハフ言ってる。この子、あんまり体力ないのよね。


「あらエリカ、そんなに上半身揺らすと首もげるわよ」


「もげっ!? なにそれコワッ!? ってそうじゃなくて!」



 妹はわたしをするどく睨んでくる。



「そうじゃなくて……どういうことよ、このクソ女」


「クソ女とは酷いわね。どういうことってどういうことよ」


「王子様との婚約権を、エリカに投げ渡すってことよ!」



 え? あぁそのこと?



「そのまんまの意味だけど」


「う、嘘よっ。なにか、エリカを嵌めるための罠に決まってるわっ。そんな敵に塩を送るような、〝利〟のない行為になんの意味が……!」



 利、ねぇ。


 ……そういえば父は、妹のわたしに対する態度を、一度も注意したことがなかったか。


 ただ社交界では別だ。一度、貴族の集まりの中で妹が癇癪を起した時、あの人は妹の肩に手を置いた。


 周囲からは父親がしっかりと娘を押さえた場面に見えただろうが――近くで見れば、手が震えるほどの力を込められてるのがわかった。


 翌日、妹の肩には鬱血の痕が残り、わたしとエリカは自然と社交の場では仮面をかぶるようになった。



「……家族わたしに対する態度は咎めず、公共の場での面のみ調教する。そうすることで子供に、心理学における外面のペルソナを自然形成させるわけか。利己主義の人工培養ね」


「な、なにブツブツ言ってるのよ、お姉様っ。それより一体どんな策略が」



 と、妹が喚いていた時だ。



『――どうしたんだい。少し、うるさいよ?』


「「!」」



 廊下の先――父の執務室より、とても穏やかに声が響いた。



「ももッ、申し訳ありませんっ、お父様!」



 が、子供に与える印象は安堵ではない。

 わたしは転生者としての精神があるからいいけど、妹エリカは明確に震えていた。



『はは、珍しくこんなところまできて、なにかお父さんに話でもあるのかな? 遠慮することはないよ。入っておいで』



 優しい声。でもここで〝あの〟だの〝その〟だの無駄口を叩くと――無駄な時間を父に割かせると、とても拙いことになると思わせるような圧があった。



『さぁ、おいで』



 ま、いっか。


 父とは元々交渉予定だし、何言ってもどうせ死ぬことはないだろう。



「失礼しますー」



 わたしは悠々と執務室に入っていった。わー広い。



「ちょっ、お姉様ぁ……!?」




 ◆ ◇ ◆



「やぁ、二人とも。可愛いエリシアにちいさなエリカ。君たちが揃っているのは、珍しいね?」



 ――バグダート・フォン・フェンサリル。三十九歳。

 憚りながら中年といってもいい父親だが、窓辺の執務机に腰かけたその姿は、年齢を感じさせなかった。

 柔らかく波打つ栗色の髪には陽の光を受けて艶が輝き、ほうれい線が浮かびつつも端正な顔立ちは、瑞々しい微笑を湛えている。

 まなじりに弧を描く糸目も相まり、相手を包み込むような知性と気品を放っていた。



「ああ、そういえば聞いたよエリシア。馬から落ちてしまったんだって?」



 ゆったりと首を傾げて問いかけてくる父。余裕と優しさが感じられるが……しかし。



「怪我はなかったそうで何よりだ。キミは将来、国母となるかもしれない子だからね。身体には、気を付けるんだよ?」



 ――まるで蛇の舌先がごとき湿気を感じさせるのは、気のせいではないだろう。


 今のエリシアわたしなら明確にわかる。この父親は決して温和なんかじゃあないのだと。



「あ、あの、お父様、エリカは……お姉様についてきただけで……!」



 そこで妹が緊張しながら口を開いた。



「あっ、落馬の件といえば、それからお姉様ってば変なことを言うんですよ!? それでお父様に話しに行くって……!」


「ふむ、そうなのかい?」



 視線をこちらへと向ける父。

 糸目ゆえ瞳は見えないが、それでも視界に収められていることはわかる。

 ――まるで不可視の檻に捕らえるように。



「言ってごらん、可愛いエリシア。未来の王子殿下が伴侶よ。お父さんとお話ししよう」



 柔和に問いかけてくる父バグダート。

 それでも仄かに感じる圧にエリカが隣で竦む中、わたしは答える。



「はい。実は、婚約者の座を辞退しようと思いまして」


「――なんて?」



 そこで、隙のなかった父の風格に、初めてわたしは風穴を感じた。



「言葉の通りですわ、お父様。本日わたしが落馬した一件は、まさに国母候補としてありえざること」


「エリシア」


「軍事国家が王族の婚約者として恥辱極まることこの上ない。そして、わたしのような不注意者に、王子の御子を孕めましょうか? 先刻の一件はわたしが王家に嫁いだ後の不吉を伝える凶兆であるかもしれず、ならばこそわたしのような端女はしためは田舎にでも隠棲し、全ての威光を優秀で知啓に溢れる妹エリカにその座を譲りたくば」


「エリシア。少し、黙りなさい」


「はい」



 言われたとおりに口をつぐむ。



「ふ、む」



 父は珍しく考え込む表情をした。隣でコケシ妹が「そ、そんな無茶苦茶通るわけないでしょっ、アンタ馬鹿ぁ?」と小さな声で罵ってくる。


 がしかし。たった数秒後。



「――わかった。可愛いエリシア、キミの隠棲を認めよう」


「はひっ!?」 



 頷く父バグダート。その回答にエリカは素っ頓狂な声を上げた。



「なっ、お父様、どうして……!?」


「はは、レディが声を荒らげるべきじゃないよ、エリカ。王子の新しい伴侶になるのだから」


「っ」



 エリカが困惑で絶句したところで、父はわたしに視線を戻した。



「さて、婚約者を変える理由を作っておこうか。流石に相応の説明が求められるからね。エリシアには何か案があるかな?」


「そうですね。先刻の落馬で、どこか障害が残ったとでもしておきましょうか。こういうのはシンプルなのがいいですよ」


「採用だ。実際に落馬したという事実を混ぜてこそ、嘘は上手くなるものだからね。なんだかエリシア、賢くなったかい?」


「いえいえ」



 父とぱっぱか話を進めていく。

 ――この男の本性が掴めてきたところで、エリカが「ちょっと!」と再び喚いた。



「お、おかしいでしょっ。栄えある婚約者の座を渡すお姉様はもちろん、それを認めるお父様も」


「おや、おかしいとは悲しいね。ちいさなエリカは父にそんな言葉を使う子だったかな?」


「うぐっ」



 ふむ。わたしはこれから家を出る身。父と妹の間に隔たりを作るのは申し訳ないわね。助け舟を出しましょうか。



「本当はわかっているんでしょう、エリカ?」


「え……?」


「アナタが普段言ってるじゃない。わたしは乗馬や勉学だけはアナタよりできるけど、魔術の腕は大きく劣る無能だって」



 ――実際は、『悪役令嬢エリシア』はそこまで無能ではないけどね。平均値かちょい上程度にはあるけど、ぶっちゃけ凡才。優秀といえるほどじゃないだけで。

 わたしがこれまで婚約者の座だったのも、長女に生まれたのもあるけど、エリカとの魔術的才覚が激しくは離れてなかったからこその総合的判断だし。


 でも今はそんなことどうでもいい。わたし転生してプライドとかなくしたし。



「わたしはゴミよ。妹たるエリカに一生およばない敗北者なの。そんな女……お父様はどう考えていたと思う?」


「え、あっ、もしかして、目障りだと思ってた!? 一度決めた婚約者の座をエリカのほうに変えようか、迷っていた……!?」


「そう、大正解。やはりアナタは賢いわ」



 戸惑っていた妹の顔に、ニチャァとした悪意の笑みが戻った。



「あ、あはははっ! あーなるほどねぇ! だからこんなにとんとん拍子で、お姉様を追い出すことに決めたんだぁっ。エリシアお姉様、ざまぁー!」


「えぇその通りね。無能な姉を笑いなさい」


「ぎゃはーッ」


「笑いすぎでしょ」



 はいオッケーと。

 妹は機嫌よくなったし、お父様に向けた不信感もなくなったわ。

 万事上手くいったわね。ぴーす。



「――ふむ」



 エリカは気付いてないようだけど、そんなわたしたちのやりとりを、父バグダートはつぶさに見ていた。



「……じゃあ可愛いエリシア。これからの話をまとめようか。エリカはもう自室に戻りなさい」


「はぁいお父様。言われずともそうするわ。無能な姉がどこでどう野垂れ死のうが、どうでもいいし~」



 踵を返す妹。もしかしたらこれが最後のお別れになるのかもね。お互いに習い事が多い身だし。



「ばいばい、エリシア・フォン・フェンサリル。アンタのこと、一生軽蔑しながら生きていくわ~」


「ええ、さようならエリカ。わたしのとても優秀な妹」



 どうかお元気で――と声をかけるわたしに、彼女は鼻を鳴らしながら去っていくのだった。



「「さて」」



 それから、わたしと父は向き直った。



「可愛いエリシア。それじゃあキミの隠棲地を決めようか。実は近年起こされた村があってね。辺境領たる我がフェンサリルの中でも特に田舎だから、きっと気に入るよ」


「場所は?」


「グラズヘイム山。――わかりやすく言うと、隣国とのほぼ国境線上だねぇ」



 ……わぁ~。なるほどね。なんか色々お父様の考えがわかっちゃったわ。



「ちょっと前のことだ。従弟たる分家の当主が、娼婦との間に私生児を孕ませてしまっているのがわかったんだ。発覚した時には、もうその子供は二十歳で、優秀な討伐者として名を馳せていた」



 討伐者。それは民間で悪党や魔獣を倒す『討伐ギルド』のメンバーのことね。



「で、心優しい従弟の当主は、その男を一代貴族の座に推薦したそうだ。いやぁ子供想いだね~」


「それでお父様のほうは、グラズヘイム山の土地をその男にあげたわけ?」


「あぁそうとも。従弟の子供ならお父さんの親類でもあるからね。キミはこれから、その男の領地たる村に行ってもらうよ」



 そう言ってから父は引き出しを開け、銀細工の時計を出してきた。

 ――我らが祖国、軍事国家『ティターンズ』の逆十字帝国紋章が刻まれた、軍人の証だ。



「お父様、これは?」


「可愛いエリシア。不遇の身にて婚約者の座を辞退したキミは、それでも貴族フェンサリル家の者として、『国に役立ててください』と私に懇願してきた。――そうだったよねぇ?」



 ああ、なるほど。



「はい、その通りです、お父様。全ては祖国とフェンサリル家のために」


「素晴らしい。ならばエリシア、可愛い娘よ。私はキミの忠義に応え、帝国魔導軍・少尉の座と、グラズヘイム領駐在の任を与えよう」


「ありがたく頂戴いたします」



 立ち上がって堂々と銀時計を差し出す父。

 それにわたしは恭しく膝をつき、拝領のポーズを取ってみせた。


 ――それから、「ふっ」と二人して失笑した。



「ははは。大人になったねぇ、エリシア。何があったかはあえて問うまい。お父さんは、可愛いキミの変化を喜ぼう」


「ええ、わたしのほうこそ、お父様のことがよく理解できました」


「おや、そうなのかい? よければ所感を聞かせてほしいな」



 くつくつと笑う父バグダート。わたしも微笑を浮かべながら答える。



「はい。やはりお父様は理性の人です。言動も雰囲気作りも、全ては計算の下にやっていること。でもそれらは全部、我がフェンサリル辺境伯家のためですよね?」


「ああ、そうとも。私は家を愛しているからね。そのために愛想よくするのは当たり前だろう?」


「そうですね。そして」



 国境付近の村。

 私生児の領主。

 そこへの駐在。

 答えは明確だ。



「お父様は――家のために、その村ごとわたしに消えてほしいんじゃないです?」



 その問いかけに、バグダートは、



「ああッ、大正解だ!」



 彼は初めて、心からの笑みをわたしに向けたのだった。




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【Tips】


・『魔術と貴族』


その関係は密接につながっている。


天変地異より三千年。残されたわずかな人類は概念魔術に目覚めるも、同じく魔獣と化した生物たちと、血みどろの生存競争を繰り広げることになった。


そうして技術や知恵はさらに散逸していくも、西暦五千年現在では文明はある程度安定し、今や人類は地上の三割に様々な国々を再形成するに至っていた。


が、しかし。外敵が減れば内部淘汰が起こるもの。


他国の侵略を防ぐためにも、強力な概念魔術師は貴族や王族に任じられ、さらに強力な概念魔術師を家系に求め、逆に弱き概念魔術師は市井に落ちて同程度の者と血を継がっていき、今や貴族と市民の間には、魔術における大きな力量差が存在していた。


王や貴族――中でも『七大魔星』と呼ばれる人類の最高位者たちは災害じみた現象までも起こせる反面、市井の者らは体外に術を放出するのも難しいか、そもそも一生術を発現せずに死ぬ者もいる始末。


いつしか魔術の素養は第零階梯(未覚醒)~第七階梯までランク付けされ、無論上位層は権力者たちが独占している状態に。


暴力と権威の婚姻は絶対的な格差という赤子を生み出すに至る。

そうして発生した力量的格差は現在、青血の者とそれ以外の者に、厳然たる立場の違いを突き付けていた。


ちなみに宿す概念魔術は、一人一つだけとされているが……?


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