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第5話:最悪の邂逅、グラズヘイム



 ぱか、ぱか、ぱか。馬の蹄が草を踏む音が、心地よく耳に響く。


 頬を撫でる風はやわらかくて、ほんのり甘い草花の香りがする。私はサクラニックの背に揺られながら、のんびりと大自然を楽しんでいた。


 現在はグラズヘイム山に向かう道すがらの途中。緩やかな丘を登りつつ、風景を眺めている最中だった。



「綺麗ね~」



 どこまでも広がる緑の絨毯みたいな草原に、ぽつぽつと咲いた白や黄色の花々は、まるで紺碧の空に散る星のようだ。

 それを眺めるわたしの横顔を、徐々に主張しつつある山風が吹き抜けた。

 眼前に広がる山脈がわたしのことを出迎えている。〝おれも眺めろ〟と言ってるのかしら?



「……グラズヘイム山。前世においてはドイツ・バイエルン州とオーストリア・チロル州を横断していた、ツークシュピッツェ山のことね~」



 出立より数時間。わたしは適当に馬をパカパカさせながら、西暦五千年の地図を見直した。



「だいぶ砕けてるわねぇ、あちこちの大陸。しかも地球の半面くらいしかわかってないようだし」



 あくまで乙女ゲーでの設定だが、三千年前の西暦二千年ごろ、科学を極めつつあった人類はアホやらかして天変地異を起こした。


 結果、マグニチュード17とかいう意味わからん超振動で全構造物は液状化し、もちろん大地も大きく変容してしまった。



「ユーラシア大陸がピザカットされてるわね。端の方とか粉みじんになってるし。そのうち土地のでかいピザを何枚か牛耳ってるのが、我が祖国『ティターンズ』なわけね」



 位置的にほぼドイツにあたる。で、前世と同じく旧オーストリアの隣国と、山を隔てて睨み合っているわけね。



「ま、難しい話はどーでもいいわぁ。今は自然を楽しみましょっと」



 深く呼吸すると、山の冷気を孕んだ清涼な酸素が、わたしの肺を贅沢に満たした。すっすっはぁー。



「空気うめぇ~~~……! この味が分かるのは、コンクリートジャングルからの転生者なわたしだけでしょうね。逆に」



 まずい味を知っているからこそ、きっと美味さがわかるというもの。



「車のクラクションも、アスファルトを打つ雑踏の足音も聞こえないしねぇ。もうこのままそこらへんで暮らしたいわぁ」



 耳をすませばどこかの川のせせらぎを背景に、鳥たちがさえずる声が聞こえた。

 ぴーちくぱーちく、楽しそうなおしゃべりに、思わずくすりと笑ってしまう。雲ひとつない青空を見上げれば、鷹がゆっくり円を描いている。きっと先ほどのさえずりを頼りに、小鳥でも探して食べようとしているのだろう。


 そう考えたら大変ねぇ自然界。さっきのおしゃべりは逃亡会議だった……?



「はてさて。あとどれくらいで着くのかしら……っとと」



 と、そこで。愛馬(別に愛してない)のサクラニックが駆け出し、一気に丘の頂上に昇り切った。


 どうやら、緩やかながらもいつまでも坂道にいるのが嫌になったらしい。こらえ性のないサクラニックねぇ。



「……この世界にも醤油ってあるのかしら。馬刺しは醤油で食べるのが一番って聞くし」


『ブルルヒッ!?』



 そうこう話しながら、ふと、丘の下を見下げた時だ。


 ――ぱあっと視界が開けたような気がした。

 金色の麦畑が、風に揺れてさざ波みたいに輝いている。ああ、きれい。私は思わず息を呑んだ。黄金の地に太陽の光が吸い込まれ、まるで煌びやかな舞踏場のよう。そこで麦たちが踊ってるみたいだ。



「へぇ。麦畑があるってことは……!」



 視線を先へ、先へとやっていく。

 すると山脈に向かうにつれて簡素な小屋がポツポツと見当たり、そうして山の麓には、小さくて蔦が絡みつつも瀟洒な雰囲気の屋敷が建っていた。

 間違いない。



「どうやらこの地がグラズヘイム領。わたしを預かることになる領主・ヨシュアが住まう村みたいね」



 わたしは馬の横腹を軽く蹴り、村の中へと入っていった。



 ◆ ◇ ◆



 ――田舎と聞いて、人は何をイメージするだろうか?


 新鮮な空気。

 豊かな大自然。

 美味しいご飯。

 都会の喧騒を忘れる雰囲気。


 まぁそんなところだろう。


 で。過労死寸前だった頃のわたしはそのへんばっかに目を向けて、あえて無視していたことがちょぼちょぼあるんだけど――、



「あるわよね。『排他的な人間関係』ってやつ」



 村にやってきたわたしに向けられたのは、村人たちの刺々しい空気だった。


 黄金の麦のあぜ道をぱかぱかと進んでいく。するとちょいちょい人影が目に付くも、こちらを嫌そうに一瞬見た後、ペコッと頭を素早く下げてどこかに消えてしまう。



「どういうことかしら、これ」



 ……一応、フェンサリル家の娘が駐在軍人としてやってくることは聞いているはず。


 父が用意してくれた無駄に可愛らしい軍服も纏っているしね。わたしが軍人かつ、貴族の娘であることは承知しているわよね?


 ならば媚びてくるくらいの対応をされると思ってたんだけど。



「そこはかとなく嫌われてるわね。向けられる目の色は、嫌悪感に不信感?」



 それから気になることもある。



「妙に村人の連中、ボロボロなような……」



 服じゃなく、身体の方だ。

 皮膚に変な跡があったり、鼻や耳が溶けるように欠けた者もいたり。

 まぁこの世界は魔獣いるし怪我人も多いだろうけど、それにしたっておかしい。



「見る人全員がどこかしら傷付いているのは、なにか――」



 と、わたしが考え込んでいた時だ。

 不意に「やめましょうよエーダさん!」「むん」と騒ぐ声と、「だぁってろ! オレぁ一言言わせてもらうぜ!」と威勢のいい声が響いてきた。


 それから麦ががさがさと揺れ、三人の野生の少年たちが飛び出してきた。誰?



「おぅおぅおぅ、嬢ちゃんよぉ」



 くすんだ金髪の少年が、群れを代表するように前に出てきた。



「アンタが噂の令嬢様でいいのかぁ?」


「どんな噂か知らないけれど、まぁそうね」



 馬から降りて挨拶することにする。なんか知らないけどココにきて初の会話相手だし。



「帝国魔導軍少尉兼、フェンサリル辺境伯家の長女・エリシアよ。よろしくね」


「!?」



 挨拶して手を差し伸べると、少年はなぜかのぞけった。なによ。



「ふ、ふん……! ちゃんと下馬して名乗るたぁ、貴族の分際でキョーイクってやつぁ出来てるみたいだな……!」



 それはどうも。



「で、アナタの名前は?」


「おう、オレの名はエーダ。この村を仕切ってる男よ。悪いが、アンタとは握手できねーぜ?」



 あらそう。それは残念ね。



「ところで、ここを仕切っているのはヨシュアという男じゃなかったかしら? 勝手に領主を詐称するのは死刑になると思うのだけど」


「し、死刑ッ!? いいいっ、いやいやいやいやいやっ! 仕切っているッてのはアレだ、精神的にだ! ヨシュアの兄貴に下剋上かます気もさらさらねーし!」



 ヨシュアの兄貴、ねぇ。

 どうやら嫌われ者なわたしと違って、一代男爵『ヨシュア・フォン・グラズヘイム』という男は慕われてるみたいね。うらやまし。



「それにしても、アナタも」



 エーダという男を眺める。


 彼もまた肌のあちこちがくすんでいた。

 まるで酸のシャボン玉でも吹き付けられたようだ。一度瘡蓋となって剥がれた後だろうが、皮膚がまだらにケロイドとなっている。


 うーんこれは。



「『天然痘』の痕、かしら?」


「チッ……そーだよ」



 少年は忌々しげに頷いた。



「どうにか治りはしたがな。けど、それからオレぁ腫物扱いだ。……元居たフェンサリル領内の村で、散々な目に遭ったぜ」


「あらそう」


「ココにいる連中は、みんな似たような境遇背負ってんだよ!」



 ――なるほど。わたしに対して刺々しい理由が分かった。



「へぇ~……お父様と叔父上の手がわかったわ。ヨシュアという男に山の土地を割譲した上、領民もプレゼントしたのね」



 それがここにいる者たち。



「病気などで迫害を受けていた者たちを、ひとまとめにして押し付けたわけか。流石はお父様、人権意識の欠片もないわね」


「!? テメェなに感心してやがるっ!」



 怒られてしまった。いや、なんでよ。



「顔色の一つくらい変えろや。オレたちは、テメェの親の領地でどんな辛い目にあったか……!」


「差別されてたんだっけ。いいことじゃない」


「――は?」



 いや、「は」じゃないわよ。



「差別というのは衛生的に悪くない。『距離』こそ最大の防疫策だものね。たとえ感染症が治っても、その人の家や衣類にウィルスが残っている可能性は大いにあるし。逆に聞くけどアナタ、周囲に病を撒き散らしたいの?」


「なっ」


「一度病気にかかったのなら辛さはわかっているはずでしょう。病気振る舞いてみんな病んだら満足かしら? 故郷に留まって嫌われ続けるのがよかったの? エーダ少年はサドでマゾねぇ?」


「そッ、そういうわけじゃねえよッ! テメェ一回黙れよッ!」


「嫌よ。下民アナタ貴族わたしを黙らせる権限はないわ」


「!?」


「そして」



 父バグダートは人権的に最悪だが――領主としては、最善だ。



「感染症をまだ孕んでるかもしれない人間を、ひとまとめにして遠ざける……それは防疫策における最適解の一つよ。アナタたちは差別されて追放されて辛い思いをしたでしょうけど、それでみんな幸せになったわ」


「……!」



 幸せと辛さは相対性。

 社会から抜歯されたこの人たちが辛苦を味わうことで、他の誰かが幸福になっているわけね。



「そういう意味では、被差別民アナタたちは役目を果たしたと言えるわ。全体幸福をありがとう。社会に代わって大感謝ね」


「ふざけんなッ!」



 瞬間、エーダに胸倉をつかみあげられた。



「おまっ……人形みたいなツラしてると思ったら、マジで人の心がないのか……ッ!?」


「たぶんあるけど」


「絶対ねぇよクソ女ッ!」



 痘痕の顔を紅潮させるエーダ少年。気付けば、彼以外からも怒りの気を感じた。



「ふざけるなよ……ッ」

「黙って聞いてりゃ、わけわかんねぇ話を……!」

「死ねよ差別主義者め! だから貴族は嫌いなんだ!」



 エーダに付き従っていた二人の少年――それに加えて、麦畑や物陰から幾人もの村人が顔を出し、わたしを睨みつけてきた。



「へえ。みんなわたしに興味津々だったみたいね」


「黙れッ! テメェ、よくもオレたちを馬鹿にしてくれたな!?」



 はい? どゆこと?



「馬鹿にしてないわ。むしろ逆よ。感謝していると言った通り、アナタたちは差別されるという『職務』を務めきったんだもの。尊敬するわ」


「それを馬鹿にしてるっていうんだよッ!」



 どうやらさらに怒らせてしまったらしい。仕方ないか、前世では友達作りも禁止されてたしね。ヒトとの絡み方よくわかんないし。



「くそっ、ガキだと思ってたが、やっぱりテメェもフェンサリル家のクソ貴族だっ。ブッ殺してやる!」



 エーダはいよいよ拳を構えてきた。

 これは困ったことになったなぁ。この地の領主は、下民の教育が出来てないのかしら――と、魔術を使って撃退しようとしていた、刹那。



「――やめておけ」



 エーダの拳が、褐色の男の手に掴み止められた。



「んぁっ!?」


「相手は帝国軍少尉にして貴族の子女だ。殴り飛ばしても得はないだろう」



 わたしは視線を上げた。

 気付けば少年の側には、血と皮の焼け焦げたような匂いを漂わせる、包帯に塗れた男が立っていた。



「……もっとも。法さえなければ、殴殺しても構わん人種のようだがな」



 目を眇め、彼は静かにわたしを見下ろしてきた。


 伸びた黒髪。背には大剣。軽鎧に包まれた引き締まった長身に、異国人特有の褐色の肌。

 灼熱したような肌をさらに火傷でまみれさせ、褪せた包帯で乱雑に縛りながらも、風貌の奥底から仄かに『貴族の芳香』を漂わせたこの男は――間違いない。



「アナタが、ヨシュア・フォン・グラズヘイムね?」


「そういう貴様は、エリシア・フォン・フェンサリルだな?」



 かくしてわたしたちは、睨み合うような邂逅を果たした。




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