目次
ブックマーク
応援する
9
コメント
シェア
通報

第7話:運命の介入(ヨシュア視点)


『何も持たない人生だった』



 グラズヘイム領・一代領主――ヨシュアの来歴はその一言に尽きた。


 元は異国の娼婦の子として生まれたヨシュア。


 父の顔は知らず、母親は早々に死に、スラム街にて奪い奪われる日々を送っていた。



『――ごめんね、ヨシュア。そんな肌色に産んでしまって』



 母は最期にそう言ってたおれた。


 ヨシュアの肌は赤熱したような褐色。異国より追われてきたという母が、唯一彼に遺したものだ。



『――気持ち悪いんだよ、オマエ!』



 そして、生物は遺伝子を守るために、見慣れない存在を廃絶する習性を持つ。

 その肌色からヨシュアはスラム街でも嫌われ者だった。最底辺の地獄に道徳を説く者などいない。誰もが憂さ晴らしにヨシュアを蔑み、差別した。世界すべてが敵に思えた。

 ヨシュアの心は、瞬く間に荒みきった。


 そんな折だ。

 ある日、スラム街に迷い込んでしまった女児を見つけた。



『あなた。道案内をしてちょうだい』



 まだ三歳になるかどうかか。だがとてもこの街にはそぐわない、綺麗な身なりと物静かながら気品に溢れた佇まいをしていた。きっと大切に育てられているのだろう。



〝身ぐるみ全て剥いでやろうか――〟



 ――と、数瞬迷ったのち、ヨシュアは彼女を貧民街の出口まで送り届けることを決めた。

 単なる気まぐれである。気分ではなかったというだけだ。

 その道中で荒くれ者たちが少女目当てに襲い来るも、ヨシュアはいつも通りに暴力でねじ伏せた。


 殴ること。

 蹴ること。


 彼にとって人を傷付けることは日常である。

 今日もまた、罪を重ねただけだというのに――そう思っていたのに――、



『守ってくれて、ありがとう……!』



 少女は彼へと微笑んだ。瞬間、ヨシュアの世界は色付いた。



〝ありがとう……ありが、とう……!?〟



 雑踏の中に使用人らを見つけるや、走り去っていく見知らぬ少女。おそらくはもう会うことはないだろう。


 だがそれでも。



〝ありがとう……か〟



 彼女が消えた後も、少女の放った感謝の言葉は、胸の奥で熱を放ち続けた。


 何も持っていなかったヨシュアは、この日初めて、灰色だった人生に喜びと生きる意味を見出したのだった。


 ――そうして彼はスラムを脱し、野の盗賊や魔物を滅する者たち『討伐者ギルド』の一員となった。


 総ては誰かを守るために。戦って、戦って、誰かの笑顔を守り続けた。



『ありがとう、ヨシュアさん!』

『助かったぜ、兄ちゃん!』

『ありがとうございます……ありがとうございます……!』



 満ち足りた日々だった。狩猟し、護衛し、仇討ちし。その果ての笑顔を集めていく内に、荒んでいたヨシュアの心は回復していった。


 かくて数年。やがて激戦を繰り広げていく中で、彼は魔術の才に覚醒した。


 その概念魔術は――【劫炎】。


 大貴族・フェンサリル家に連なる分家が、脈々と紡いできた術式であり、結果的に彼の父親が判明することになるのだった。



『――貴様、あの女との子か。……どこかで野垂れ死んでおればいいものを……ッ!』



 そうして分家当主は――体面と始末のために――これまでの討伐者としての実績を評価すると称し、ヨシュアを一代貴族に推薦。国境にほど近きグラズヘイム山の領主とするのだった。



『泣いて感謝するがいい、息子よ』



 なお……その役割は『鉱山のカナリア』。

 もしも敵国が大侵攻を行った場合、彼の村が潰されて戦火が上がることで、麓の大都市は反攻に備えられるようになるわけである。


 さらにグラズヘイム山自体が魔物の宝庫で、日常生活を行うのも苦労する有り様なのだが、ヨシュアは全てをわかった上で、奮闘し続けた。


 侵略の気配に常時神経をとがらせ、村に近づく魔を一切斬滅し、村人――辺境領より追われた者たち――を懸命に助けていた。


 それが、正義の道だと信じているから。


 だからこそ。



『グゴァアアアアアーーーッ!』


「ハァッ!」



 人型魔獣『トロール』を前に、『ヨシュア・フォン・グラズヘイム』は果敢に立ち向かっていた。

 敵は毛深い不気味な巨人。全長八メートルにして、体重十トンに及ぶ巨体だ。【暴力】の概念を植え付けられた元髭長猿エンペラータマリンの成れ果てだという。



『喰ウッ、ニンゲン、食ウゥゥゥゥウ……ッ!』


「させるものか」



 進化したことで半端な言語能力を獲得した魔獣。その戯言をヨシュアは切って捨てる。



「ぬかせよ、害獣。我が領民を毒牙にかけるだと?」



 ヨシュアの肉体はボロボロだ。

 グラズヘイム領民は全員が元病人。他に戦える者などおらず、彼は独り激戦を続ける羽目になり、ろくな休息も挟めていなかった。


 だが。



「ふざけるな」



 その意志力だけは一切衰えていなかった。

 振るわれるトロールの剛拳。それに無理やりに大剣を叩きつけることで軌道をずらして回避。瞬間、反動。腕の神経がイカれるほどの衝撃に痺れる。しかし恐るべき精神力で剣を薙ぎ、トロールの胴体に浅からぬ傷を刻みつけた。



『グヒゥッ!?』


「我が領民は、追い詰められし者たちだ。社会から打ち捨てられた者たちだ……!」



 彼らと初めて会った日のことは忘れない。忘れられない。


 今でこそヨシュアを信じ、日々を生きている領民ら。だが最初に会った日の彼らは疲労と絶望に病み果てていた。


 貴族のヨシュアを恨む者――はまだ健全な方だ。


 ほとんどの者が、もうどうにでもなればいいと、人生を諦めきっていた。



「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……!」



 滅茶苦茶に大剣を振るい続ける。赫怒が身体を突き動かす。

 ヨシュアの剣はもちろん我流。型も美麗さもない獣の技だ。

 だがそれゆえに軌道が読めず、殺傷という目的に向けて全速力に相手を詰める。



「あの貴族の小娘は民の尊厳を嘲笑った! そして貴様はッ、命までも奪おうとしている!」



 許せるものか、この理不尽を。

 弱き者をさらに追い詰める外道共――一切合切、死に果てろ。



「このヨシュア・フォン・グラズヘイムがいる限りッ、貴様等の暴威は叶わないと知るがいいッ!」



 その怒りが。使命感が。青き情動だけが。既に精疲力尽の肉体を駆動させていた。



「息絶えろ……」



 誓約達成――〝対象への絶対的激昂〟。これにより、ヨシュアの大脳皮質グリア細胞が活性する。



「術式起動。弔え、【劫炎】!」



 片目と後頭部に現れる『魔光輪ハイロゥ』。瞬間、ヨシュアの肉体より黒い燚が噴き出した。

 ソレこそは【劫炎】。仏教において世界の始まりと終わりにあるとされる火。また『劫』はサンスクリッド語で宇宙が消滅するまでの時間を意味する。すなわち【劫炎】とは、科学的解釈における半永続エネルギー……『太陽核融合熱』の劣化的具現であった。



『グギュゥウウウウーーーッ!?』



 彼の前に立っていたトロールは、当然ながら黒き燚を浴びてしまった。

 その巨体は一気に炎上。獣肉の焼ける嫌な臭いを放ちながら転げまわるも、炎は消えない。超熱量で燃え続ける。



「無駄だ。俺の【劫炎】は永劫の火の具現。俺が消えろと命じるまでは、貴様の血肉を焦がし続ける」


『ギッ、ギ、ギィイイイイイッーーー!』



 炎の中で溺れるように乱れるトロール。眼球さえも熱に溶ける中、トロールは最期の殺意と暴威を滾らせ、ヨシュア・フォン・グラズヘイムを噛み砕きにかかるも――、



「さらばだ、害獣」



 大剣一閃。ヨシュアは刹那の居合を放ち、その頭蓋を斬り飛ばしたのだった。

 ここに勝者は決定した。



「終わったか……ぐっ」



 緊張からの弛緩。瞬間、ヨシュアは呻きながら片膝をついた。


 ……それは疲れからだけではない。褐色の肌のあちこちが、まるで熱湯をかけられたように湯気が立ち、痛々しい赤に変色していた。



「やはり、多用できるモノではないな」



 端正な口元を自嘲に歪ませる。


 ――ヨシュアの魔術は超高火力を誇る。その温度たるや、およそ三〇〇〇℃。金属すらも蒸発させる領域である。

 反面、脳波領域は酷く狭い。どうあがいても三メートル程度。そこまでが炎を出せる範囲であり、輻射熱によりヨシュアは重篤な火傷を負う羽目になっていた。多用は確実に命を蝕む。



「だが……領民たちのためにも、勝たねば」



 ヨシュアはどうにか立ち上がった。



「それにふらついてはいられない。彼らが心配してしまう」



 肌の焼けた激痛。それは未だにヨシュアは苛み続けるものの、〝慣れたものだ〟と自分に言い聞かせて取り繕う。



「そうだ、俺には、還りを待つ人々が――」



 領民たちのためにも勝ち続けなければ――と。決意を杖に帰路に就かんとした、その時。



『ガァァァァァアアアーーーッ!』


「ッ!?」



 咆哮。どこから? 

 刹那、反射的に大剣を盾にした彼の全身に、凄まじい衝撃が襲い掛かった。



「なッ、にィイイーーー!?」



 気付いた時には巨大な鉄剣に斬りつけられていた。

 直撃だけは避けたものの、盾を押し切られて肩を裂かれ、かかる剣圧が容赦なくヨシュアを蹂躙した。彼は地面をガリガリと削りながら後退させられ、やがて背後の大木に激突する。



「ぐぅ……ッ!?」


『コロ、ス……!』



 呻くヨシュアに近づくあしおと。視線を上げればそこには、もう一体の巨大人型魔獣『トロール』が迫っていた。



「馬鹿、な」



 ありえない。血の味のする口中で呟く。


 敵は全長八メートルの巨体。体重も相応に重く、しかもどこで手にしたのか、巨体相応の大剣まで装備していたのだ。

 その上で、攻撃の瞬間まで気配を悟らせない? そんなことは、何重にも。



「ありえる……わけがない……。これは、どういう?」



 ヨシュアは元討伐者。いくら疲弊していようが、魔獣の気配には明敏である。なのになぜ――と、ヨシュアは訝しむが、しかし。



『グゥウウウウッ……!』


「……謎を解くのは、ここを切り抜けてからか……!」



 呻る殺意を前に、意識を切り替える。ふらつく足で立ち上がろうとする。

 考えるのはどのみち後だ。今はどうにか生き延びねばと、領民のためにも勝たねばと、傷だらけの身体で起き上がる。

 そうして剣を構えようとするも、



「っ……!」



 裂かれた肩から血が噴いた。視界が眩み、彼はその場に膝をついてしまう。

 身体がいよいよ、言うことを聞かない。



「なん、だと……!?」



 当然の結果である。滾る精神を置き去りに、ヨシュアの身体が限界を迎えてしまったのだ。

 連日の疲労。創傷。火傷。大量出血。それだけの悪条件が、元討伐者の足を物理的に挫いた。

 そして。



『コロ、スゥウゥゥウウ……!』



 死神は待たない。剣を手にしたトロールは、動かなくなったヨシュアを見下し、悠々と刃を振り上げた。



「俺は……!」



 迫る刃。終わりの時。ヨシュアにもはや打つ手はない。



「俺は、こんなところで――!」



 死ねない。死ねない。死ぬわけにはいかない。


 ゆえに命の散る刹那、自爆覚悟での超至近距離【劫炎】行使を行わんとした、その時。



「――そこまでよ」



 閃光の糸が、トロールの全身を縛り上げた。



『ゴグゥッ!?』


「なに!?」



 驚く両者。一体何が起きたのか。咄嗟に声のしたほうを見れば、そこには。




「酷い姿ね。ヨシュア・フォン・グラズヘイム」


「貴様は、エリシア・フォン・フェンサリル……!?」



 この世で最も気に入らない少女が、『魔光輪ハイロゥ』を背に立っていた。





━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

【Tips】



・『トロール』



西暦五千年における人類の敵、『魔獣』の一種。

容貌は毛深い不気味な巨人。体長は八メートル。体重十トン。【暴力】の概念を植え付けられた髭長猿エンペラータマリンの成れ果てだという。


その宿痾概念ゆえに無軌道・無意味な暴力が止まらず、徒党を成さない魔獣においても特に単独行動を好む。


ゆえに、二体同時に現れることはありえない――はずなのだが?



・『脳波領域』


魔術師の大脳皮質 V 層・大錐体細胞より放たれる波動、その範囲。

普段より魔術師の肉体表皮1.0mm範囲に展開されており、誓約を達成して術式励起状態になることで、その範囲は数メートル以上に伸びる。


魔術師は脳波領域内でのみ概念現象を具現できる。

また魔術師が宿痾概念を発現するに際し、イデアたる宿痾概念を三次元世界に形成すためには、三次元の触媒が必要となる。その際、魔術師は脳波領域の範疇にある特定物質を素材とする。

すなわち脳波領域が広いほど、遠方かつ、多くの物質を触媒として過大な概念現象を起こせるわけであり、ゆえに魔術師の格を決める条件においては、脳波領域の広大さは重要な地位を占める。


なお脳波領域は、他者の脳波領域内の物質に干渉することが難しい。

そのため魔術師同士が決闘するに際し、『敵の体内の酸素を触媒にする/敵の腹の中で魔術を炸裂させる』という無法は困難であり、また共闘するにしても、二人、三人程度の徒党なら距離さえあければ組めるものの、五人以上となれば互いの領域を潰し合ってしまう。


なおエリシアはこれを、


「たぶんゲーム制作側が、『大人数でパーティ組めばボス戦とか余裕じゃね?』ってユーザーの疑問を潰しに来てるのね」


などと考えている模様。


ちなみに魔獣にも脳波領域があり、ゆえに野生動物と違って単独で動くのが常である。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?