『何も持たない人生だった』
グラズヘイム領・一代領主――ヨシュアの来歴はその一言に尽きた。
元は異国の娼婦の子として生まれたヨシュア。
父の顔は知らず、母親は早々に死に、スラム街にて奪い奪われる日々を送っていた。
『――ごめんね、ヨシュア。そんな肌色に産んでしまって』
母は最期にそう言って
ヨシュアの肌は赤熱したような褐色。異国より追われてきたという母が、唯一彼に遺したものだ。
『――気持ち悪いんだよ、オマエ!』
そして、生物は遺伝子を守るために、見慣れない存在を廃絶する習性を持つ。
その肌色からヨシュアはスラム街でも嫌われ者だった。最底辺の地獄に道徳を説く者などいない。誰もが憂さ晴らしにヨシュアを蔑み、差別した。世界すべてが敵に思えた。
ヨシュアの心は、瞬く間に荒みきった。
そんな折だ。
ある日、スラム街に迷い込んでしまった女児を見つけた。
『あなた。道案内をしてちょうだい』
まだ三歳になるかどうかか。だがとてもこの街にはそぐわない、綺麗な身なりと物静かながら気品に溢れた佇まいをしていた。きっと大切に育てられているのだろう。
〝身ぐるみ全て剥いでやろうか――〟
――と、数瞬迷ったのち、ヨシュアは彼女を貧民街の出口まで送り届けることを決めた。
単なる気まぐれである。気分ではなかったというだけだ。
その道中で荒くれ者たちが少女目当てに襲い来るも、ヨシュアはいつも通りに暴力でねじ伏せた。
殴ること。
蹴ること。
彼にとって人を傷付けることは日常である。
今日もまた、罪を重ねただけだというのに――そう思っていたのに――、
『守ってくれて、ありがとう……!』
少女は彼へと微笑んだ。瞬間、ヨシュアの世界は色付いた。
〝ありがとう……ありが、とう……!?〟
雑踏の中に使用人らを見つけるや、走り去っていく見知らぬ少女。おそらくはもう会うことはないだろう。
だがそれでも。
〝ありがとう……か〟
彼女が消えた後も、少女の放った感謝の言葉は、胸の奥で熱を放ち続けた。
何も持っていなかったヨシュアは、この日初めて、灰色だった人生に喜びと生きる意味を見出したのだった。
――そうして彼はスラムを脱し、野の盗賊や魔物を滅する者たち『討伐者ギルド』の一員となった。
総ては誰かを守るために。戦って、戦って、誰かの笑顔を守り続けた。
『ありがとう、ヨシュアさん!』
『助かったぜ、兄ちゃん!』
『ありがとうございます……ありがとうございます……!』
満ち足りた日々だった。狩猟し、護衛し、仇討ちし。その果ての笑顔を集めていく内に、荒んでいたヨシュアの心は回復していった。
かくて数年。やがて激戦を繰り広げていく中で、彼は魔術の才に覚醒した。
その概念魔術は――【劫炎】。
大貴族・フェンサリル家に連なる分家が、脈々と紡いできた術式であり、結果的に彼の父親が判明することになるのだった。
『――貴様、あの女との子か。……どこかで野垂れ死んでおればいいものを……ッ!』
そうして分家当主は――体面と始末のために――これまでの討伐者としての実績を評価すると称し、ヨシュアを一代貴族に推薦。国境にほど近きグラズヘイム山の領主とするのだった。
『泣いて感謝するがいい、息子よ』
なお……その役割は『鉱山のカナリア』。
もしも敵国が大侵攻を行った場合、彼の村が潰されて戦火が上がることで、麓の大都市は反攻に備えられるようになるわけである。
さらにグラズヘイム山自体が魔物の宝庫で、日常生活を行うのも苦労する有り様なのだが、ヨシュアは全てをわかった上で、奮闘し続けた。
侵略の気配に常時神経をとがらせ、村に近づく魔を一切斬滅し、村人――辺境領より追われた者たち――を懸命に助けていた。
それが、正義の道だと信じているから。
だからこそ。
『グゴァアアアアアーーーッ!』
「ハァッ!」
人型魔獣『トロール』を前に、『ヨシュア・フォン・グラズヘイム』は果敢に立ち向かっていた。
敵は毛深い不気味な巨人。全長八メートルにして、体重十トンに及ぶ巨体だ。【暴力】の概念を植え付けられた元
『喰ウッ、ニンゲン、食ウゥゥゥゥウ……ッ!』
「させるものか」
進化したことで半端な言語能力を獲得した魔獣。その戯言をヨシュアは切って捨てる。
「ぬかせよ、害獣。我が領民を毒牙にかけるだと?」
ヨシュアの肉体はボロボロだ。
グラズヘイム領民は全員が元病人。他に戦える者などおらず、彼は独り激戦を続ける羽目になり、ろくな休息も挟めていなかった。
だが。
「ふざけるな」
その意志力だけは一切衰えていなかった。
振るわれるトロールの剛拳。それに無理やりに大剣を叩きつけることで軌道をずらして回避。瞬間、反動。腕の神経がイカれるほどの衝撃に痺れる。しかし恐るべき精神力で剣を薙ぎ、トロールの胴体に浅からぬ傷を刻みつけた。
『グヒゥッ!?』
「我が領民は、追い詰められし者たちだ。社会から打ち捨てられた者たちだ……!」
彼らと初めて会った日のことは忘れない。忘れられない。
今でこそヨシュアを信じ、日々を生きている領民ら。だが最初に会った日の彼らは疲労と絶望に病み果てていた。
貴族のヨシュアを恨む者――はまだ健全な方だ。
ほとんどの者が、もうどうにでもなればいいと、人生を諦めきっていた。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな……!」
滅茶苦茶に大剣を振るい続ける。赫怒が身体を突き動かす。
ヨシュアの剣はもちろん我流。型も美麗さもない獣の技だ。
だがそれゆえに軌道が読めず、殺傷という目的に向けて全速力に相手を詰める。
「あの貴族の小娘は民の尊厳を嘲笑った! そして貴様はッ、命までも奪おうとしている!」
許せるものか、この理不尽を。
弱き者をさらに追い詰める外道共――一切合切、死に果てろ。
「このヨシュア・フォン・グラズヘイムがいる限りッ、貴様等の暴威は叶わないと知るがいいッ!」
その怒りが。使命感が。青き情動だけが。既に精疲力尽の肉体を駆動させていた。
「息絶えろ……」
誓約達成――〝対象への絶対的激昂〟。これにより、ヨシュアの大脳皮質グリア細胞が活性する。
「術式起動。弔え、【劫炎】!」
片目と後頭部に現れる『
ソレこそは【劫炎】。仏教において世界の始まりと終わりにあるとされる火。また『劫』はサンスクリッド語で宇宙が消滅するまでの時間を意味する。すなわち【劫炎】とは、科学的解釈における半永続エネルギー……『太陽核融合熱』の劣化的具現であった。
『グギュゥウウウウーーーッ!?』
彼の前に立っていたトロールは、当然ながら黒き燚を浴びてしまった。
その巨体は一気に炎上。獣肉の焼ける嫌な臭いを放ちながら転げまわるも、炎は消えない。超熱量で燃え続ける。
「無駄だ。俺の【劫炎】は永劫の火の具現。俺が消えろと命じるまでは、貴様の血肉を焦がし続ける」
『ギッ、ギ、ギィイイイイイッーーー!』
炎の中で溺れるように乱れるトロール。眼球さえも熱に溶ける中、トロールは最期の殺意と暴威を滾らせ、ヨシュア・フォン・グラズヘイムを噛み砕きにかかるも――、
「さらばだ、害獣」
大剣一閃。ヨシュアは刹那の居合を放ち、その頭蓋を斬り飛ばしたのだった。
ここに勝者は決定した。
「終わったか……ぐっ」
緊張からの弛緩。瞬間、ヨシュアは呻きながら片膝をついた。
……それは疲れからだけではない。褐色の肌のあちこちが、まるで熱湯をかけられたように湯気が立ち、痛々しい赤に変色していた。
「やはり、多用できるモノではないな」
端正な口元を自嘲に歪ませる。
――ヨシュアの魔術は超高火力を誇る。その温度たるや、およそ三〇〇〇℃。金属すらも蒸発させる領域である。
反面、脳波領域は酷く狭い。どうあがいても三メートル程度。そこまでが炎を出せる範囲であり、輻射熱によりヨシュアは重篤な火傷を負う羽目になっていた。多用は確実に命を蝕む。
「だが……領民たちのためにも、勝たねば」
ヨシュアはどうにか立ち上がった。
「それにふらついてはいられない。彼らが心配してしまう」
肌の焼けた激痛。それは未だにヨシュアは苛み続けるものの、〝慣れたものだ〟と自分に言い聞かせて取り繕う。
「そうだ、俺には、還りを待つ人々が――」
領民たちのためにも勝ち続けなければ――と。決意を杖に帰路に就かんとした、その時。
『ガァァァァァアアアーーーッ!』
「ッ!?」
咆哮。どこから?
刹那、反射的に大剣を盾にした彼の全身に、凄まじい衝撃が襲い掛かった。
「なッ、にィイイーーー!?」
気付いた時には巨大な鉄剣に斬りつけられていた。
直撃だけは避けたものの、盾を押し切られて肩を裂かれ、かかる剣圧が容赦なくヨシュアを蹂躙した。彼は地面をガリガリと削りながら後退させられ、やがて背後の大木に激突する。
「ぐぅ……ッ!?」
『コロ、ス……!』
呻くヨシュアに近づく
「馬鹿、な」
ありえない。血の味のする口中で呟く。
敵は全長八メートルの巨体。体重も相応に重く、しかもどこで手にしたのか、巨体相応の大剣まで装備していたのだ。
その上で、攻撃の瞬間まで気配を悟らせない? そんなことは、何重にも。
「ありえる……わけがない……。これは、どういう?」
ヨシュアは元討伐者。いくら疲弊していようが、魔獣の気配には明敏である。なのになぜ――と、ヨシュアは訝しむが、しかし。
『グゥウウウウッ……!』
「……謎を解くのは、ここを切り抜けてからか……!」
呻る殺意を前に、意識を切り替える。ふらつく足で立ち上がろうとする。
考えるのはどのみち後だ。今はどうにか生き延びねばと、領民のためにも勝たねばと、傷だらけの身体で起き上がる。
そうして剣を構えようとするも、
「っ……!」
裂かれた肩から血が噴いた。視界が眩み、彼はその場に膝をついてしまう。
身体がいよいよ、言うことを聞かない。
「なん、だと……!?」
当然の結果である。滾る精神を置き去りに、ヨシュアの身体が限界を迎えてしまったのだ。
連日の疲労。創傷。火傷。大量出血。それだけの悪条件が、元討伐者の足を物理的に挫いた。
そして。
『コロ、スゥウゥゥウウ……!』
死神は待たない。剣を手にしたトロールは、動かなくなったヨシュアを見下し、悠々と刃を振り上げた。
「俺は……!」
迫る刃。終わりの時。ヨシュアにもはや打つ手はない。
「俺は、こんなところで――!」
死ねない。死ねない。死ぬわけにはいかない。
ゆえに命の散る刹那、自爆覚悟での超至近距離【劫炎】行使を行わんとした、その時。
「――そこまでよ」
閃光の糸が、トロールの全身を縛り上げた。
『ゴグゥッ!?』
「なに!?」
驚く両者。一体何が起きたのか。咄嗟に声のしたほうを見れば、そこには。
「酷い姿ね。ヨシュア・フォン・グラズヘイム」
「貴様は、エリシア・フォン・フェンサリル……!?」
この世で最も気に入らない少女が、『
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【Tips】
・『トロール』
西暦五千年における人類の敵、『魔獣』の一種。
容貌は毛深い不気味な巨人。体長は八メートル。体重十トン。【暴力】の概念を植え付けられた
その宿痾概念ゆえに無軌道・無意味な暴力が止まらず、徒党を成さない魔獣においても特に単独行動を好む。
ゆえに、二体同時に現れることはありえない――はずなのだが?
・『脳波領域』
魔術師の大脳皮質 V 層・大錐体細胞より放たれる波動、その範囲。
普段より魔術師の肉体表皮1.0mm範囲に展開されており、誓約を達成して術式励起状態になることで、その範囲は数メートル以上に伸びる。
魔術師は脳波領域内でのみ概念現象を具現できる。
また魔術師が宿痾概念を発現するに際し、イデアたる宿痾概念を三次元世界に形成すためには、三次元の触媒が必要となる。その際、魔術師は脳波領域の範疇にある特定物質を素材とする。
すなわち脳波領域が広いほど、遠方かつ、多くの物質を触媒として過大な概念現象を起こせるわけであり、ゆえに魔術師の格を決める条件においては、脳波領域の広大さは重要な地位を占める。
なお脳波領域は、他者の脳波領域内の物質に干渉することが難しい。
そのため魔術師同士が決闘するに際し、『敵の体内の酸素を触媒にする/敵の腹の中で魔術を炸裂させる』という無法は困難であり、また共闘するにしても、二人、三人程度の徒党なら距離さえあければ組めるものの、五人以上となれば互いの領域を潰し合ってしまう。
なおエリシアはこれを、
「たぶんゲーム制作側が、『大人数でパーティ組めばボス戦とか余裕じゃね?』ってユーザーの疑問を潰しに来てるのね」
などと考えている模様。
ちなみに魔獣にも脳波領域があり、ゆえに野生動物と違って単独で動くのが常である。
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