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第8話:真言解放


「エリシア・フォン・フェンサリル! 貴様、なぜここに……!?」


「馬で来たのよ」


「移動手段は聞いていない……!」



 間一髪だったわね。わたしが駆け付けた時には、ヨシュアはボロカスにされていた。


 あーあー。肩とかざっくり裂けちゃって。骨まで見えてて重傷じゃない。



「ちょっと待ってなさい。――〝अं ・ह्रीं ・त्रं アン・フリーム・トラム〟――痛みを塞げ、『療の真言』瑠璃式・傷身廻気法」



 剣指と共にしゅを紡ぐ。〝अं ह्रीं त्रं アン・フリーム・トラム〟とはサンスクリット語の種子字で『救済/浄化/保護』をあらわす。

 唱えるや、わたしの五指の内、小指から伸びた糸がヨシュアの傷口に伸び、高速かつ精密に傷を縫い合わせた。



「これは……!?」


「『真言法』よ」



 別名マントラ。今使ったのは『療の真言』ね。



「概念魔術はそのまま使うだけが能じゃない。元が科学的につくられた術である以上、特定の暗号コードを入力することで、その働きを調整することができるの」



 光の糸はヨシュアの傷を縫ったのち、その部分から切れた。

 ただし糸は消えない。わたしの手から離れた後も残り続ける。



「わたしの概念魔術は【繰糸】。そんなわたしが『療の真言』を唱えた場合、〝傷を縫って糸を残す〟という効力になるわ」



 唱えた者の宿痾概念により、真言は異なる効果を見せる。


 たとえば炎使いが『療の真言』を唱えたら、〝火傷で傷を無理やり塞ぐ〟とか? 痛そうね。


 そういう感じで戦闘・治療・生活面での向き不向きは、やはり宿した概念魔術によるけれど。



「ああ、わたしの糸は塵じゃなくて亜原子粒子で出来てるから、そのうち溶けて血肉に代わってくれるわ」



 令和の医学における合成吸収ポリジオキサノン糸ってヤツである。



「あ、あげん……?」


「そういう見えない物質もあるのよ」



 異世界人――正確には西暦五千年のポストアポカリプス世界の住民にとって、『空気』は『空気』に過ぎないだろう。器材がないから微粒子の観測もできないしね。ゆえにわたしだけが使える特権だわ。



「さて」


『グゥウウウウ……!』



 ヨシュアを治療したのち、わたしは魔獣のほうを見た。

 束縛の閃糸を無理やり解こうとしている巨人、トロールのほうを。



「ふぅむ、魔獣図鑑で存在は知ってたけど本当に大きいわね。全長八メートルで体重十トンとなれば重力の影響で立つのも難しいでしょうにどうなっているのかしら」


「おい」


「やはり概念をその身に受けたことで何らかの力学的補助を受けているのでは? たとえばわたしの【繰糸】も糸自体はそこらの塵であって、それを集積して動かしているのは不可視の力なんだもの、魔獣にもその力が働いている可能性が」


「おい、エリシア・フォン・フェンサリル……!」



 ってなによ。なんかヨシュアがうるさいんだけど。



「一体、どういうことだ」


「どういう? ああ『真言法』のことね。まぁ知らないのも無理はないわ、これは貴族界の門外不出の技術だもの。アナタも貴族なんだから父親に教わってもいいはずなんだけどクソ嫌われてるからしょうがないわね。ちなみにコレぶっちゃけサンスクリット語覚えればいいだけだけど書物も貴族に制限されてるこの世界じゃぁ魔術学園入らなきゃ」


「違う……! さっきからそうじゃない」



 ファッ、なによ。



「なぜ、俺を助けたと聞いている。……貴族である貴様もまた、異国の娼婦の血が流れる俺を、嫌っているはずだ。なのになぜ」



 あぁそんなこと。



「別に。わたしはただ、仕事を果たしに来ただけよ」


「……なんだと?」


「わたしの仕事は『軍人としてこの領地への駐留』。ならば異変が起きたら解決に向かうのが筋でしょう。ホントはだらだらしたいけどね」



 けど、やるべきことを放置したままにするのはなんとも心地悪い。


 だから最低限は働いてあげるわ。わたしが心からスローライフを楽しめるようにね。



「それと」



 ――その時だった。抵抗を続けていたトロールが、ついに糸を引き裂き、わたしたちを前に咆哮を上げた。



『ゴロズッ、ゴロズゥウウウウウーーーーーーッ!』



 わぁ、殺意たっぷりなお猿さんね。

 でも縛り上げたわたしじゃぁなく、なにやらヨシュアのほうを睨んでいる気がする。これは何かありそうね。



ィィィィィネェェエエエエーーーーーッ!』



 巨剣を振り上げるトロール。それによりヨシュアを斬り裂かんとするも、



「死ぬのは、おまえよ」



 刹那、トロールの剣が地に落ちた。その手首ごと。



『ゴッ、ガァアアアーーーッ!?』



 血の噴水を放出するトロール。絶叫と鮮血を山麗にブチ撒ける。



「な、なにが」


「ただ、透明に糸を展開していただけよ。敵が拘束を破った時、ちょうど剣を振りかぶらんとするポイントに――もっとも負荷がかかる力点にね」


「……!?」



 わたしに真っ向勝負なんてする気なんてさらさらない。

 こちとらスローライフが希望だからね



「ねぇヨシュア」


「っ」


「アナタはわたしに、『どうせ俺のことを嫌っているだろう』と言ったけど」



 片手をあげ、五指を伸ばす。光の糸が再び蠢き、トロールの残る手首を、両足首を、そして首へと絡みついた。



「異国人の肌だの、娼婦の血だの、そんな要素はどうでもいい」



 徐々に圧力を増していく糸。敵が青ざめながら悶える中、わたしはヨシュアに言ってあげる。



「仕事を頑張る人のことは、なかなか嫌いじゃないわよ?」



 ――〝घं ・व्रं ・दंガン・ヴラム・ダン〟――命を閉ざせ、『剣の真言』黒天式・滅身斬気法。



 切れ味を増す『剣の真言』。それにより、敵は四散したのだった。



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【Tips】


・『真言法』


元は仏教、特に密教(主に真言宗・天台密教)における修法・祈祷・儀式の総称。日本においては光明真言法がメジャー。

サンスクリット語の「マントラ(मन्त्र, Mantra)」を漢訳して「真言」といい、仏・菩薩・諸天の神秘的な言葉を唱えることで、願望成就・加護・悪霊退散などの霊験を得るための修法を示す。


西暦五千年現在においては、脳波感応現象――『概念魔術』の効力を調整する機械的コードとして扱われる。


術者がサンスクリット語を理解した上で、特定の意味合いを持つ種子字を唱えることで有効化。

組み合わせにより様々な効果を持って概念魔術を可動させる。



なお概念魔術が真言を受けて効力を変える理由、そして文明崩壊後に誰がサンスクリット語を広めたかは、一般的に不明とされている。


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