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第11話:復活させようヨードチンキ!



「じゃ、エーダ少年も戻ってきたし医療品作りましょうか。もう逃げないでね?」


「テメェのせいだろうがカス女!」



 なんかキレてるし。やれやれ、子供は不安定で困るわね。



「さっそく始めましょうか。サクラニック~」


『ヒヒィン……!』



 愛馬(別に愛してない)の名を呼ぶと、物陰より、樽やらテーブルやらを背に括り付けたサクラニックが寄ってきた。おもそう。



「ビーシャくんにシーマくん、荷物を下ろしてあげなさい」


「「は、はい」」


「エーダ少年は手伝わなくていいわ。チビだから馬の背に届かないでしょうし」


「うるせーよ! てかテメェよりちょっと大きいだろっ!」



 喚く少年を無視しつつ、わたしの前にテーブルを置かせた。ああ、樽は横に置いておいて。



「さて。今回作るのはヨウ素チンキよ」


「ヨウ素チンキ~?」



 そう。別名『ヨードチンキ』である。昭和時代の名品ね。



「攪拌と析出過程があるから、修行にちょうどいいでしょう?」


「知らねーし。てかヨウ素チンキってどんな薬だよ」


「ヨウ素、ヨウ化カリウム、エタノールからなる赤褐色の液状薬品で」



 ってそんなこと言われてもわからないか。まぁ要するに。



「傷の消毒と、『皮膚感染症』の予防に使えるの」


「っ!」



 エーダ少年らは自分たちの肌を見た。天然痘により瘢痕まみれになった無惨な皮膚を。



「一度天然痘に肌を傷付けられたことで、アナタたちは皮膚感染症にかかりやすくなっているわ。ヨウ素チンキはそちらの予防に繋がるはずよ」


「アンタ……」



 はい説明おわり。さっさと作っていきましょうか。



「見て頂戴」



 樽を開ける。中には頑丈な袋(【繰糸】魔術作)がたくさん。その中の一つを開けてテーブルの上に広げると、ざらざらとした白い結晶がこんもり出てきた。



「うおっ、それって塩か!?」



 少年たちが目を輝かせる。はは、このあたりじゃ塩は貴重品だものね。グラズヘイム山――旧ツークシュピッツェ山は石灰岩やドロマイト層ばかりの地で、塩分を含む蒸発岩層に欠けるもの。



「な、舐めてもいいかな?」


「やめときなさい。それ、塩は塩でも硝酸塩からなる、硝石だから」


「硝石?」


「まぁ要するに、糞尿の成れ果てよ」


「ぎゃッ!?」



 顔を寄せていた少年たちが一斉に退いた。面白い。



「ふ、糞尿の成れ果て~!? おまえ、そんなもんをクスリにする気かよ!」


「そうよ。でも別におかしいことじゃないでしょう。畑の土をよくするために、アナタたちは堆肥を使っているでしょう?」


「そ、それは」


「その硝石も堆肥周辺から集めたの。魔術の応用でちょちょいとね」



 指を鳴らす。すると硝石が光に包まれて浮かび上がり、わたしの五指から伸びる糸となった。これが種だ。



「概念魔術は発動時、仮想現象を現実化するために脳波範囲上の三次元触媒を選定して、支配する。これを利用すれば粉末物の分離ができるわ」



 硝石を正確に思い描くことで、わざわざ堆肥に触れずとも集めることができた。

 水に溶けたモノの乖離は無理だったけどね。でもま、これでいくつかの過程はショートカットできるでしょ。



「へええ……。オレたち平民はほとんど魔術使わねえから、そんな発想できなかったな。てかやろうにも、俺の脳波範囲は一センチそこらだし」


「平民だしね」



 人類の魔術覚醒より三千年。才能マンは貴族王族にみ~んな取り込まれることで、天上界と市井には、魔術の才に大きな隔たりができていた。


 ヨシュアくんが火傷まみれなのも、【劫炎】魔術を発動できる範囲が三メートルそこらしかないからだという。娼婦の血が才能を薄めちゃったのね。



「まぁやれることは分担すればいいのよ。素材集めはわたしがやって領主邸に保管しておくから、アナタたちは医療品の作り方だけ覚えて頂戴」


「おうっ」



 うふふ。やる気いっぱいみたいね。じゃあ作り方を説明するけど、



「わたし同じ説明求められると溜息出るから、一度で覚えてね?」


「えぇ……アンタ本当にカスだな」



 うっさいわ。



「で、『ヨウ素チンキ』とやらを作るにはどーすんだよ?」


「こうするのよ」



 ちゃっちゃとやっていきましょう。

 わたしは樽から小さな器と、水入りの瓶を取り出した。



「まずは器に硝石を入れる。次に瓶のコルクをあけ、水をゆ~っくり注いでいく」


「だりぃよ。どぼどぼ入れちまえよ」


「硝石の混ざった液体が皮膚につくと、腐食するわよ」


「腐食ッ!?」



 はは。まぁそこまで強い酸性じゃないけどね。でも目に入ると危ないから。



「あとは乳鉢で混ぜていく。ああ、乳鉢がなかったら木の棒でもいいわよ。テキトーに混ぜたら硝酸カリウム水溶液が完成するから。元は堆肥の一部だから、硝石は水に溶けやすいのよ」


「『堆肥の一部』ってとこがなんかイヤだが、わかったぜ」



 はい次。次は硝酸カリウム水溶液と化学反応を起こすために、アルカリ溶液を作っていくわよ。



「別の器に木灰の灰汁を用意しましょう」


「き、木の灰? そんなゴミまで使うのか!?」


「この世にゴミなんて物質はないわ。どんな存在にも名前があり、役立つことができるのよ」


「っ……」



 何やら黙ったエーダ少年を尻目に、わたしは用意しておいた木灰を取り出した。

 それを器に入れて水を注いでかき混ぜていく。ぐりぐり~~~。



「木灰は水に溶けにくいから、しっかり混ぜることが大事よ。それからできれば数日放置しておけば、アルカリ成分が完全に水に溶けきるけど……でも今日は数分くらいでいいわ。どーーーせ理想的分量を量る器具もないから雑にやっちまえばいいのよ~」


「っていいのかよ。効き目悪いクスリができねえか?」


「逆に、


「!?」



 今は巧遅を貴ぶ場合じゃない。



「この領地の医療品不足はわりと致命的だもの。ゆえにこその粗製乱造。質より量よ。アナタたちがさっさと薬品づくりのコツを掴むためにも、今は数をこなすべきじゃない?」


「なな、なるほど」


「クオリティなんて初心者抜けたら勝手に上がるしね~。次いくわよ」


「そういうもんなのか……イイモノ作るのが一番じゃない時もあるのか……」



 さぁて木灰がかなり溶けたわね。じゃあ次。器に荒布を張って持ち、硝酸カリウム水溶液のほうにダバァ~~~ッと。



「布を張る理由は濾過のためよ。木灰の不純物をこうしてブロックするの。で、見てなさい。アルカリ溶液と硝石溶液が混ざると……」


「おっ、ちょっぴり濁ってきた……?」


「いま、化学反応が起きかけてるの。ヨウ素っていう抗菌物質が生まれようとしているのよ」



 でもまだ足りない。液内環境を酸性に傾ける必要がある。



「才があっても、環境がダメなら芽は潰れてしまう。才を伸ばすには環境を整える必要がある」


「才を伸ばすには、環境を……」


「そこで、ここに酢を加えることで……!」



 取り出した酢を、濁った液体に垂らす。すると、



「うおっ!? 液の底に、黒紫の粒ができた!」


「析出成功ね。これがヨウ素よ」



 析出とは、液体中に溶けている物質を固体として分離させる行為である。

 硝石だの木灰だのをぐりぐりしていたのは、様々な成分の中からコレを取り出したかったからだ。



「な、なんでこんなことが起きるんだよ!? 魔術か!?」


「ただの科学よ。式にすると4H(+)+4I(−)+O2​→2I2​+2H2​Oって感じね。ヨウ化物イオン(I⁻)が酸化すると空気中の酸素とも反応して、分子ヨウ素(I₂)が生成されるの」


「ぎゃーーーーーわけわかんねええええーーーー!」



 エーダ少年がゴロゴロ転がってる。可愛い。



「要するに今の少年みたいなものよ。『わたしという物質』が『難しい話をする』というふるまいをした。それを受けたらエーダ少年はどうなった?」


「こ、混乱した」


「そう。それが化学反応ね。わたしから知らない話という化学式を受け取ったことで、アナタはそういう『反応』を見せたの」


「ななな、なるほど?」



 ふふ。別に理解しなくてもいいわよ。

 難しいことがわからずとも、特定手順を踏めば決まった結果が出るのが科学だから。



「さてさて。もう一度濾過してヨウ素結晶を集めたら、いよいよ最終段階よ」



 最後にわたしは別の瓶を出した。ふたを開けると、強いアルコールの匂いが鼻をついた。



「うがっ、それ、酒かぁ? にしても匂いつええなオイ」


「これはエタノールよ。果実酒を蒸留させて作ったの」


「蒸留?」


「成分濃縮させることよ。囲った状態で熱してアルコール成分を蒸気として出し、その蒸気を貯めて冷やして液体に戻すと、つよつよで純粋なアルコールができるの。それがエタノールね」



 効率よくやるには『アルン』と呼ばれる特殊な形の蒸留器が必要になるんだけど、今回も魔術パワーでなんとかしたわ。

 水溶液からの成分抽出は難しいけど、揮発させて空気成分として飛ばしたら魔術媒介に拾うことができるから。



「このエタノール自体も強い消毒作用を持つわ。とっても便利よ」


「へぇ~~、流石は貴族。色々知ってるんだなぁ。で、そのエタノールを最後にどうすんだ?」


「簡単。これとヨウ素結晶を混ぜて、ぐりぐりすれば~~」



 瞬間、黒紫が水底に輝く液体が、一気に赤褐色になった。



「ってうおーーー!? なんだこりゃぁ!?」


「これも化学反応ってヤツよ。はい、ヨウ素チンキ完成ね」



 高度成長期の日本を支えた『ヨードチンキ』が、架空の未来に再誕した瞬間だった。






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