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第12話:カスみたいな女(領民視点)

 燦々とした太陽の下。山麗のトウモロコシ畑にて、手作業で害虫駆除をしていた女・ダナは呟いた。



「はぁ――くたばらないかねぇ、あのエリシアって娘」



 あんまりな独り言。だがそれは、グラズヘイム領民の総意見でもあった。



「ったく……なにが『差別されてくれてありがとう』、だい。嫌味言いやがって」



 茎に見つけたアブラムシ。それを手作業で潰しながら、ダナは思う。



「チッ……貴族サマからしたら、あたしら病人も害虫みたいなもんなんだろうねぇ。くそっ」



 日々絶え間なく湧く、憎らしい害虫。農作業の敵。

 自分がソレらに苦しみながら死んでほしいと思うように、あのエリシアという娘も、皮肉を言ってきたのだろう。

 本当に最悪の性格をしていると思う。



「あんな女が駐留するなんて、これから領地はどうなるやら……」



 と、そこで。荒いトウモロコシの葉で、ダナは指先を裂いてしまった。



「っ……はぁ」



 だが問題にしない。この程度の傷は日常茶飯事だ。血の滲み出す傷を一瞥しただけで、ダナは害虫駆除に戻った。そんな彼女の手はボロボロだった。



「イライラするねぇ。ウチらの野菜を、あの女も食うことになると思うと」



 そうぼやきながら作業を続けていた時だ。通りのほうより「おばちゃーん!」と、元気な声が響いてきた。



「おやおや、エーダかい?」


「おうよっ」



 畑より顔を出すと、くすんだ金髪のガキ大将・エーダが笑顔でダナを迎えた。

 根明な少年である。その憎めない雰囲気にダナの口元も緩んでしまう。例の娘エリシアとは大違いだ。



「なんだいあんた、今日は一人かい? ビーシャとシーマは?」


「あぁ、アイツらは別のところに配りに行ってる」


「配りに……? なにを?」


「コレだよコレ。ダナおばちゃん、ちょっち手を出してくれよ」


「?」



 よくわからないが言うとおりにする。傷だらけの手を見せるのはあまりいい気分じゃないが、少年相手に意識しても仕方のないこと。

 それに帯状疱疹――水疱瘡により、肌のあちこちに痕が残ってしまった時点で、ダナは半ば女を捨てていた。夫にも、病気により捨てられることになった。



「おばちゃん? どうしたんだボーッとして」


「ん、あぁなんでもない。それよか手ぇ出したよ。それでどうすんだい?」


「へへっ、じっとしててくれよ」



 エーダは何やら小瓶を出した。栓を開け、赤褐色の液体を手に垂らしていく。それが肌に触れると、



「うひゃっ!? つ、つめたっ!?」



 ありえざる感覚が走った。

 現在は夏前。山麗とはいえそこそこの気温はある。だというのに、まるで氷に触れたような――この季節には感じ得ないはずの刺すような冷たさを覚えた。

 朝一番の沢の水でも、もう少し温いだろう。



「ななっ、なにをかけてくれたんだい、エーダ……!? 氷水でも貯蔵してたのかい?」


「ちげーよ。これは『ヨウ素チンキ』っつって、ヒヤっと感じたのは『エタノール』の成分だってよ。要するに薬だ」


「く、薬ぃ……!?」



 それこそ、ありえない。

 知恵者もいなければ行商人もこないこの領地である。薬なんてせいぜい薬草の擦り汁程度。だというのに一体。



「それよぉ、傷の消毒とか皮膚感染症の予防とかに使えるらしくてよぉ」


「は、はぁ」


「エリシアのやつが作ってくれたんだよ」


「ッ!?」



 その名を聞いた瞬間、いそいでダナは手を服で拭った。少年が「っておいおい!?」と騒ぐが、聞き入れられない。



「ばっ、馬鹿じゃないのかい! あんな女の作ったもんをかけて、毒だったらどうするんだい!?」


「いや待ってくれよ」


「くそっ……なんだいこれっ。いつのまにか渇いてて、手についたのが全然落ちないよ……!」



 エタノール成分は強い揮発性を持つ。特に作りたては一等に。ダナが冷たさを感じたのもそれによる錯覚であり、その時点で有効成分が肌に浸透しきっていた。



「なぁダナおばちゃん、聞いてくれよ」


「なんだいっ」


「エリシア、悪いやつじゃないと思うんだよ」


「……!?」



 エーダの言葉に、固まる。この子供は何を言っているのか。



「あのカスみたいな女が、悪いやつじゃないだって……!?」


「いや、たしかにエリシアはカスだけどさ」


「あ、カスは認めるのかい……」


「だけど」



 少年は言葉を返す。



「あのカス女、俺たち元病人を差別してるってことはないと思う。オレたちに言った『ありがとう』の言葉も、皮肉じゃなくてガチで言ってるんだよ。それはそれでどうかと思うけどさ」


「……どうしてそう言い切れるんだい?」


「色々冷静になってから思い返した。あいつさ、初めてオレと会ったとき、わざわざ馬から降りた上で、握手を求めてきたんだよ。平民で子供で、明らかに肌がおかしいオレにだぜ? おばちゃんたちも遠巻きに見てただろ」


「そ、それは」



 たしかにそうだった。エリシアは村にやってきた当初から、こちらの身分すら気にせず一定の礼を尽くしていた。



「それに言っただろ? 魔獣出た後、おばちゃんたちは逃げてたから見てなかったけど、あいつ、ヨシュアの兄貴を助けにいったって」


「そんな話信じられるわけが……」


「戦ってるとこはオレも見てねえよ。でもオレ、領主邸の陰でこっそり待ってたんだ。そしたらあいつ、兄貴を馬に乗せて帰ってきたんだよ。だからオレぁアイツを信じる」



 エーダは言う。エリシア・フォン・フェンサリルという女は、カスでクズでパーだけどと。でも、



「悪い女じゃないはずだ。少なくとも、オレたちを追放した他のフェンサリル家のやつよりかはな」


「エーダ……」


「それに、あいつといれば色々学べるしよ。へへっ、じゃあな! 他の連中にも薬塗ってくらぁ!」



 駆けていく少年。――天然痘で一家を失い、差別され、フェンサリル家によりこの危険な地に追われた子供の背を、ダナは無言で見送った。



「……大人のあたしより、子供のあいつが一番つらかったろうに。あの家の者を許せないだろうに」



 ダナ自身、未だにエリシアへの印象は最悪である。カスである。だがしかし。エーダの言っていることが本当ならば。



「ちっとくらい、色眼鏡を薄めてやるべきかねぇ」



 もう一度だけ、見直してやる機会を与えてもいいかもしれない。

 苦笑を浮かべながらダナは農作業に戻るのだった。


 ――翌日、手の傷は膿むこともなく塞がっていた。



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【Tips】


・『ヨウ素チンキ』


ヨウ素(I₂) と ヨウ化カリウム(KI) を エタノール(アルコール) に溶かした赤褐色の消毒液。日本ではヨードチンキの名前で昭和に有名だった。強力な殺菌・消毒作用を持つ。主に切り傷や擦り傷の消毒、外科手術前の皮膚消毒、緊急時の飲料水の消毒などに使用される。ヨウ素チンキは、細菌・ウイルス・真菌に対して高い殺菌効果を発揮するが、長期使用や過剰使用は皮膚への刺激や甲状腺への影響を引き起こす可能性があるため注意が必要である。


エリシアが作ったものは測量もしていないため(器具もないので)かなり薄め。

ゆえに実在の品よりも効きが悪いのだが、皮膚感染症でバリア機能が弱くなった者たちが二次感染の予防として日常的に使う予定なれば、非常に理想的。

もしかしたらエリシアは優しいのかもしれない。


「は、なによエーダ少年。もう一回作り方を教えてほしい? はああああ~~~~(クソデカ溜息)」


やっぱりカスかもしれない。


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