次の日。
教室に入ると既に席に座って本を読んでいる藤田さんの所に向かう。
一番気軽に出来るコミュニケーションは挨拶。
挨拶のタイミングを逃すと目的なしでは声をかけられなくなってしまうので頑張るんだ。
「お、おはよう」
勇気を出して藤田さんに挨拶をしたのに噛んでしまった……。
ただもし嫌われているなら無視するなり嫌そうにするなり何らかの反応が出るはず。
藤田さんは頭を上げてチラリとこちらを見た後、また本に視線を戻す。
一見嫌われているようなリアクションだけど藤田さんが挨拶を返すのは珍しいので特に変な反応ではない。
むしろ一度本から目を離してこちらを見てくれたという時点でかなりの好反応だと思う。
「昨日は」
「何?」
続けて昨日のことを聞こうと思ったらその前に返事が返ってきた。
会話の途中で返事するのはめったにない反応なので動揺してしまう。
もしかして昨日の出来事と何か関連があるんだろうか。
「あ、えっと、その」
余計なことを考えてしまったので次の句が出てこない。
藤田さんはいつの間にか本から目を離してこちらを見つめている。
どうしよう、言いたいことがあったのに一瞬で忘れてしまった。
「その……なんでもない」
「そう」
藤田さんの目線が本に戻る。
一度はこちらを向いてくれたんだから今からでも遅くない。
思い出して続きを言えばいいだけだ。
でもそう考えば考えるほどますます焦ってきて思考がまとまらない。
どうしよう、このままだと立ち尽くしてたら変に思われるよね?
一度帰る? でもそうしたらまた声をかけるのが……。
「どうしたの?」
藤田さんがまた本から目を上げてこちらに問いかけてくれた。
でもせっかくまたチャンスをもらえたのに何も浮かばない……。
「ごめん」
逃げるように自分の席に戻る。
一度気持ちを落ち着けないと。
「どうした真琴?」
不自然な行動をしていたからか翔が声をかけてきた。
俺の顔を見て少し不思議そうな顔をしている。
「話そうとしたこと忘れちゃって」
「珍しいな」
声のトーンに驚きが混ざる。
それはそうだろうな、俺自身が言うことじゃないけど会話に詰まるタイプではない。
話を忘れるとしてもそれは本筋から脱線しすぎた時だろう。
だけどさっきのやり取りはどう見てもそんな感じじゃない。
「そんなに昨日のがショックだったのか?」
「自覚なかったけどそうみたい……」
「そうか」
それだけで会話は終わった。
慰めの言葉がないのがありがたい。
「はい、ホームルーム始めますよー」
いつの間にか栗林先生が来ていた。
もうチャイム鳴っていたのか。
慌てて鞄の中身を机に入れて準備をする。
・・・
授業中だけどさっきのことが気になってまったく集中できない。
うん、こういう時は一度しっかり考えた方が良い。
さっきの失敗は質問したい内容を忘れてしまったのが原因だ。
ただいきなり昨日の話を聞くのは驚かせてしまったみたいだし、今度はもう少し会話してからにしたほうがいいかな。
授業が終わって休憩時間になってたけど、みんな教室にいるせいで声がかけづらい。
なぜか名雪さんもちょこちょこ藤田さんに声をかけてるから邪魔するのも悪いし……。
そんなことを思って動かなかったらお昼になってしまった。
まずい、昼休みにはちゃんと声をかけよう。
待っていても事態は好転しないのだから声をかけていくしかない。
出来なかったことを後悔するより出来ることを実行するんだ。
藤田さんの周りに誰もいなくなったタイミングで近づいていく。
「何の本読んでるの?」
今度は噛んだり詰まったりすることなく言えた。
藤田さんの反応は、返事こそないもののすっと本を立ててタイトルを見えるようにしてくれる。
タイトルは『新世界より(下)』か。
まずい、さっぱり知らない。
でもなにか話のきっかけにしないと……。
「え、えっと、面白い?」
「面白い」
よかった、返事が返ってきた。
ただ視線は本から離れていない。
「ジャンルは何になるの?」
「SF」
まずい、推理とか恋愛ならともかくSFなんて分からない。
どうしよう、何か話さないと……。
「どんな話?」
それを聞いた瞬間、本を閉じてこちらを見てくる。
眉をひそめて少し目に力が入っていて、俺は蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
お、怒ってる?
もしかして聞いちゃいけないことだった?
たしかに内容を話すことがそのままネタバレになる作品はある。
でも聞く側ならともかく話す側で怒るとは考えていなかった。
「また今度」
藤田さんはそう言って急に立ち上がって教室から出ていってしまった。
まさか話を打ち切られてどこかに行ってしまうなんて……大失敗だ。
「どうした、真っ青な顔して?」
席に戻ると今度は阿久津が声をかけてきた。
普段はうざいと思ってるけど今だけはありがたい。
「なあSF小説であらすじ聞くのってまずい?」
「ものによるな」
阿久津が悩みながらもそう返答する。
やっぱり問題ある行動だったんだろうか。
「作品固有の専門用語が多いから説明しづらいし、そもそもSF共通の概念をどこまで認識してるかでも変わってくるからな」
「そうなのか……」
たしかにSFは専門用語が多そうだ。
ガンダムだって専門用語多すぎるもんな。
「一言で言うと『その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある…すこし長くなるぞ』だな」
「古いネタしか分からないんじゃないのかよ!?」
「みんなが知ってる古いネタを使っているんだがな」
「古すぎて知らないって反応をみんなしてるだろ!?」
「都合の悪いことは忘れよ」
「そういうネタを言ってるんだよ、悪魔超人!!」
こいつ、意図的に古いネタを言ってたのかよ。
たしかにどれも有名なネタではあるけど古すぎる自覚を持ってほしい。
「能見の場合、漫画・アニメ系はオールマイティに拾ってくれるから楽だな」
「拾いたくて拾ってるんじゃないんだけど?」
「ツッコミの才能は磨かないと駄目だからな」
「芸人目指してないから!?」
陽菜といい翔といい阿久津といい、なんでそこまでしてツッコミの才能を目覚めさせようとするんだ。
「あらすじを聞くよりはどういうポイントが面白いかを聞く方がいいだろうな」
「なるほど」
「まあ藤田は怒ってないと思うぞ?」
「お前に藤田さんの何が分かるんだよ!?」
「はたから見てる方が分かることもあるってことさ」
阿久津があまりに自信満々に言うのでちょっと動揺する。
はたから見たら怒ってないというならあれはなんだったんだよ。
「頑張れよ」
そして俺が動揺している内に、説明もせずどこかに行ってしまった。
どうしよう? 怒ってないってないなら気にしなくていい?
でもどこかに行ったのは事実なんだし謝るだけでも謝ったほうがいいよね?
しかし藤田さんが戻ってきたのは時間ギリギリで会話をする余裕はなかった。
・・・
その後も和泉さんや橘さんが話しかけていたので会話出来ないままだった。
なんでこんな時に……。
ただ二人とも一緒に帰ることはないのでまだチャンスはある。
藤田さんは帰るのが早いけど急いで追いかければ少しぐらい……。
「今日も失礼、透子、帰ろうぜ」
藤田さんが丁度立ち上がった所で坂本が教室に入ってきて、すぐに藤田さんの所に向かっていった。
そうだ、完全に忘れていたけど坂本がいるんだから帰りに話すことなんて出来ないんだ。
後悔してる間に二人は教室から出ていってしまった。
また失敗してしまった……。
昨日来たんだから今日も来て当たり前なのに全然考えてなかった。
もっと早く行動していれば謝るぐらいは出来たのに……。
家に帰っても後悔ばかりが浮かんで魔法が一切手につかない。
それは世界書を持ってから初めての経験だった。