少年がその手に持つ宝棒には、元始天尊を拘束している輪と同じ形をした一つの輪がかかっている。
彼の名は文殊菩薩。
かつて文殊広法天尊として崑崙十二仙の一柱をになっていた実力者で、今は釈迦如来の元にいる。
「文殊、どうしてここに!なぜ元始天尊を攻撃する!!」
「太上老君様、これは元始天尊様ではありません。普賢!」
「はいよ!
文殊菩薩の呼びかけに飛び出してきたのは、草色の衣を纏った、鳥の子色の髪の毛をした長髪の少年、普賢菩薩だ。
普賢菩薩もまた、文殊菩薩と同じくかつては崑崙十二仙の一柱を担った仙人で、いまは釈迦如来の元で過ごしている。
身軽そうな彼の両手には雌雄一対の呉鉤剣が握られている。
普賢菩薩は威勢のいい掛け声と共に呉鉤剣を振るった。
「くっ!」
元始天尊は手を拘束されたまま、地を転がり普賢菩薩の攻撃を避けた。
「須菩提、うごけるかい?」
「うん、ゲホッ、大丈夫……ゲホッ」
普賢菩薩はその隙に素早く須菩提祖師に駆け寄ると彼を助け起こし、文殊菩薩のもとへと下がる。
「文殊、普賢、どう言うことだ、説明せよ!」
状況が読めないのか、太上老君は困惑して二人に尋ねる。
「あれは元始天尊様ではありません。あれの正体は……」
文殊菩薩は元始天尊に拘束を破られないよう宝棒を彼に向け力を込めながら言う。
「邪魔をするとは……おのれ……!」
怒りが収まらない様子の元始天尊の周りに瘴気が溢れ初め、ようやく太上老君にもあの瘴気の正体がわかったようだ。
「まさか、瘴気だと?こんなところにまで……馬鹿な……っ」
「そのまさかなんですよね……崑崙の清浄の間にまで入り込むとは、本当に嫌になります」
「む、慈航道人ではないか。お前まで!」
ため息をついて現れたのは観音菩薩だ。
観音菩薩はかつて崑崙山では慈航道人として呼ばれていた。
「懐かしい名ですね。私の姉ももう間も無くこちらへくることでしょう」
観音菩薩は太上老君に微笑み、瘴気へとかつてないほどの厳しい顔を向けた。
「釈迦の元へ行ったお前たちがここへくるほど、これは厄介なものなのだな」
「ええ、この瘴気の正体は……
観音菩薩が瘴気の名を言った途端、その黒いモヤは元始天尊をの見込み姿をあらわにした。
元始天尊の白い肌は黒く染まり、その体には真っ黒な大蛇が一匹、絡みついている。
透き通った白目を彩る黒い瞳は濁った黄色と赤い瞳になった。
口には牙が生えて、その隙間からチロチロと紫色の舌が出入りしている。
あまりにも不気味な姿に、さすがの太上老君も怖気付き後退った。
「大丈夫ですよ。あれはホンモノではありません。アレはいわば分身。ホンモノは、釈迦如来様がご対応なされておりますから」
「あ、ああ……っ」
涼しい顔で言う観音菩薩とは違い、太上老君は返事をするのがやっとだ。
「太上老君様、須菩提の回復を手伝ってほしい」
「い、今行こう!」
文殊菩薩によばれ、ハッとして太上老君は震えながら須菩提祖師のところへかけて行った。
なるべく魔羅を見ないようにしているが、背筋を駆け上がるゾワゾワとした言いようもない
「かつての我が師、元始天尊に取り憑くなど、赦せません。さっさと終わらせましょう。文殊、普賢、いきますよ!」
「はい!」
「承知しました!太上老君、あとは頼みます」
「う、うむ……!」
飛び出して行った文殊菩薩と普賢菩薩に返事をして、太上老君は懐から金丹飴を取り出した。
「しっかりせよ須菩提!」
須菩提祖師は打撲、切り傷で満身創痍だ。
文殊菩薩が傷口に布を巻いて手当てをした箇所には血が滲んでいる。
意識も朦朧としているのか、目の焦点は合わず浅い呼吸を繰り返している。
(情けないことだ。玉皇に偉そうなことを言っておきながら……ワシは……ワシは震えるばかりで友を救えなんだ……)
元始天尊の変わり果てた姿を直視することもできず、こうして背を向けるのがやっとだ。
じわりと滲んできた視界をぬぐい、須菩提祖師の口に震える手で金丹飴を入れる。
視界に入れなくとも圧倒される
「ゆっくり舐めろ。大丈夫、大丈夫……」
太上老君は大丈夫と自分に言い聞かせるように呟く。
そして不甲斐なさと無力さに唇を引き結び、須菩提祖師の額を撫で続けたのだった。