その頃、須弥山から戻った観音菩薩は玄奘が虎の姿になったことを浄玻璃の鏡で知ったところだった。
浄玻璃の鏡には黄色い龍と戦う玉龍と沙悟浄の姿が映っている。
まだ幼体ではあるが、さすが千年生きているだけあり、沙悟浄の助けも相まって玉龍の方が優勢だ。
「次から次へとよくもまあ……っ!」
浄玻璃の鏡を抱えた観音菩薩は心因性の頭痛にこめかみを抑えた。
「敵は誰ですか……?ええと、この色は星の官吏ですね。まったく、破門だけでも頭が痛いと言うのに!」
恵岸行者は破門された孫悟空の代わりに玄奘を助けるため、人間界におりている。
向こうの風景は明らかに異界だから、干渉に時間がかかっているのかもしれない。
釈迦如来は計画外のことが起きてその衝撃で寝込んでしまっている。
「まったくもう、まったくもう……!」
観音菩薩はぶつぶつと文句を呟きながら外出のための身支度をし、雲に乗った。
その頃、奎木狼の職場である北辰宮では日課である朝の点呼が行われていた。
天の中心、北極星の化身とも呼ばれる
妙見菩薩は煌びやかな宝冠を被り、ゆったりとした天の川のような乳白色の
ふくよかで中性的な妙見菩薩の姿は、性別を超えた容姿をしている。
妙見菩薩はおっとりとした様子で椅子に腰掛け、部下である星々を見下ろしている。
その一段下にいる、老翁の姿で白い衣に身を包む北斗七星が青龍、朱雀、玄武、白虎と星々が所属する四神の宮の順に二十八宿題の名を呼んでいく。
そしてその反対側に立つ、赤い衣に身を包んだ少年の姿の南斗六星が返事を聞いて出席簿にレ点を入れていく。
「……玄武宮、
「はい!」
「よしよし、玄武宮は皆おるようだな。次いで白虎宮に移る。奎宿!」
続いて奎宿の名が呼ばれる。
だが返事はない。
「奎宿、奎宿!……奎木狼!!」
北斗七星が声を張り上げて名を呼ぶが返事が全くない。
ざわざわと官吏たちがざわめく。
「なんだ、あの真面目な奎宿がもう三日も無断で休むとは……何事だ」
「どうした、北斗?」
北斗七星の呟きに妙見菩薩が身を乗り出す。
「はい。どうやら奎宿がいまだに休憩から戻らぬようで……」
「もう三日の無断欠勤です!」
南斗六星も指を三本立て憤慨したようにいう。
「ああ……彼は今人の世界で親となり暮らしている。真面目に生きてきたんだ、少しくらい
妙見菩薩の言葉に星の官吏たちのざわめきがさらに大きくなる。
中には「やりやがったあいつ!」と嬉しそうに拳を握るものや、囃し立てるように指笛を吹くものまでいる。
「あの仕事一筋で寮と仕事場を行き来することしかしていなかったあいつが、親に!」
「今日は酒宴だ!めでたいぞ!」
ガヤガヤと騒ぎ出した星の官吏たちに呆れながら南斗六星は妙見菩薩に向き直った。
「それにしても、奎宿は連絡の一つくらいよこすべきでは?」
「まあまあ、子も産まれ忙しいのだろう。だいたい人の娘との縁を結ぶことはお前たちも承知のうえだろう?」
ゆったりと扇を仰ぎながら言う妙見菩薩に、北斗七星と南斗六星は顔を見合わせ「それはそうですが……」と納得いかないように口ごもる。