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第270話 妙見菩薩、決意する

 玄奘の天竺への旅は神仏に共有されている。


 彼の旅の重要度は妙見菩薩もよく理解しているつもりだった。


「八十一難のひとつといえど、これは度を越していると思います!」


「それはもちろんだ。すぐに支度をしよう」


 観音菩薩の主張に妙見菩薩が反対する理由はない。


 むしろ部下のやらかしにたいして全霊で取り組まなくてはならない立場だ。


「観音菩薩様、ようこそいらっしゃいました。星の雫を固めた菓子など……」


 そこへちょうど北斗七星と南斗六星もやってきた。


 2人の持つ盆の上には色とりどりの甘そうな菓子が盛られている。


 だが観音菩薩と妙見菩薩のただならぬ空気に、茶菓子を進めている場合ではないと瞬時に悟り、二人は無言で卓の上に盆を置いた。


「これから奎宿を迎えにいく。支度を」


「えっ、一体何事ですか?先程は……」


 普段穏やかな妙見菩薩が硬い表情で言うので、北斗七星と南斗六星は訝しげに顔を見合わせた。


「こちらをご覧ください」


 観音菩薩の示した小型の浄玻璃の鏡を見て た二人は悲鳴をあげそうになり、慌てて手のひらで口を塞いだ。


 彼らもまた、黄色の龍が奎宿だと瞬時に悟ったのだろう。


「どうやら奎宿はやらかしてしまったようだな」


 ヒソヒソと南斗六星が北斗七星に耳打ちをした。


 北斗七星は大きなため息をついて、来たばかりだというのに妙見菩薩の支度のため、南斗六星とともに一礼をして退出した。


「あとはお任せしてよろしいですね、妙見。私は須弥山へ戻ります。釈迦如来様にも報告せねばなりませんからね」


 釈迦如来は心労のあまり寝込んでしまっているが、それは妙見菩薩にあえて言う必要もないだろう。


 観音菩薩はそう考えたのだが、彼が住まいである普陀山ではなく須弥山に帰ると言ったことで、妙見菩薩は事情を察してくれたようだ。


 たった数分のことなのに、妙見菩薩はひどい疲労感に襲われた。


 だが休んでいる時間はない。


 人間の世界の時間はこうしている間にも目まぐるしく過ぎていくのだから。


 妙見菩薩は険しい顔をあげた。


 玄奘を牛魔王に渡すわけにはいかない。


「あとはこちらに任せて欲しい。釈迦如来様にも申し訳のないことを……後ほどお詫びに伺わねばならないな」


「全て解決してからにしてくださると、こちらとしてはありがたいですね」


「そうだな。……それからこう言ってはなんだが、ある意味ちょうど良かったのかもしれない。我々はあのことも玄奘に伝えねばならなかったからな」


 妙見菩薩の言葉に、観音菩薩は深刻な表情で頷いた。


「ついにあのことを告げるのですか」


「僧職にありながら、玄奘が虎になったこともきっと、今が告げる機会だということなのだろう」


 小型の浄玻璃の鏡を片付けながら何かを考えているような観音菩薩に、妙見菩薩は頷いた。


「今しかあるまい。これ以上悪いようにはしないから、どちらにせよこちらに任せてもらおう」


「わかりました。よろしくお願いします」


 観音菩薩は、覚悟を決めた様子の妙見菩薩を励ますように肩を叩いた。


「ああそうだ、せっかくなのでこちらいただいていきますね」


 そう言って北斗七星たちが持ってきた星の雫をいくつか摘んで袂にしまい、観音菩薩も客間を後にした。


 部屋に一人残った妙見菩薩は椅子に腰掛けた。


「奎宿……何故だ……お前ほどの生真面目な男が、何故……」


 部屋に残った妙見菩薩は身を屈め、顔を覆ってつぶやいた。

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