走ってきたのか、女性は荒い息を弾ませて、乱れた髪を押さえながら呼吸を整えている。
「わっ、オシショーさまにそっくり?!」
玉龍が驚いて声を上げた。
そうなのだ。
その女性はまるで鏡を見ているかのように玄奘に瓜二つで、玄奘自身も驚きに声が出ないほどだった。
玄奘は先ほど訪れた江州長官の屋敷で声をかけられたことを思い出す。
そして女性が何者か、玄奘はすぐに理解した。
彼女は玄奘の母親、殷温嬌だ。
けれどもなかなか言葉が出てこない。
どう声をかけたらいいか分からなかったからだ。
お母さま、母上、お母さん。
物心ついた時から、たった一人の人に向けて声に出せなかった大切な言葉、呼び声。
「は、はは……うえ……さま?」
呟くような玄奘の声に、女性が涙ぐみながら頷き唇をわななかせた。
「江流……!」
女性は両手を広げ、振り絞るようにして玄奘の名前を読んだ。
夫の
「母上様!」
玄奘は叫ぶと殷温嬌に向かってかけだした。
そして広げられた腕の中に飛び込む。
齢十八だが、歳など関係ない。
ようやく会えた母親なのだ。
殷温嬌はその腕の中に入った息子の温もりに目を閉じた。
「そばにいられなくて、ごめんなさい……」
殷温嬌が掠れた声で謝罪する。
本当は共に暮らし成長を見守りたかった。
けれども、玄奘の存在がバレてしまうとあの嘘つきの乱暴者に何をされるか分からない。
それに、あの男を父親だとは思わせたくなかったのだ。
今触れている温もりも、重みも、やっと知ることのできた我が子のもの。
殷温嬌は玄奘の肩を撫で、背中をトントンとあやすように触れながら涙を流した。
「お師匠様……」
「よかったね。オシショーサマがお母さんに会えて」
「ああ」
孫悟空は鼻水をすすり、玉龍の言葉に沙悟浄は深く頷いた。
特に沙悟浄は、今までの玄奘の過去せでは親子の縁が極端に薄い生を繰り返してきたと思っていたので、今生こそはと考えていた。
なので玄奘の母親の、玄奘への確かな愛情を感じた沙悟浄はホッと胸を撫で下ろしていた。
「手巾が足りないよ……まったく!」
猪八戒は鼻をかみながら笑って言う。
孫悟空たちや僧兵たちも、玄奘と殷温嬌の再会にもらい泣きをして、だれもが目をこすり鼻を啜っている。
「もしかして銅鑼を鳴らしまくっていたのは、オシショーサマのお母さんを呼ぶためだったの?」
涙をこすりながら周りを見渡し、玉龍が首を傾げると、輪念が銅鑼のバチをクルクルと回して頷いた。
「そうだ。銅鑼を鳴らすのは滅多にないから、これをいつか玄奘が帰ってきたときの合図にしようと、法明和尚がお決めになったのだ」
「江流……いえ、玄奘」
殷温嬌は玄奘の顔を見て、その頬に優しく触れた。
「立派に育ってくれましたね、江流。こうして生きて再びあなたに会えて、この母にはもう思い残すことはありません。これであなたのお父さんの元に……
「母上様?!お待ちください!」
殷温嬌の予想外の言葉に玄奘は慌てた。