翌朝フィオレンティーナがようやく重い
「ん……う……」
あれから総司教と宮廷府長官が退出した後も、サミュエルの見ている前でジグムントに何度も何度も犯され、恥辱の限りを尽くされて、フィオレンティーナの心と身体は限界を超えていた。一瞬、昨夜のことは全て悪い夢だったのではないかと思ったが、重だるい手足を何とか動かして起き上がった時に下腹部に走った鈍い痛みと、脚の間に感じる強烈な違和感に、やはりあれは現実だったのだと思い知らされて、フィオレンティーナの両目に涙が溢れた。
「う……う……っ……ふ……ぅ……」
子供のように寝台の上で膝を立てて両手で抱え、顔を埋める。きつく歯を食いしばってもどうしても堪え切れない嗚咽が漏れた。なぜなの、なぜジグムント様はあんなにもわたくしを辱めたの、わたくしはあの方の妻ではないの……? 愛し合って結ばれた夫婦ではないにしても、せめて最低限の敬意は見せて頂けると思っていたのに、なぜなの、わたくしが何をしたの……。
ありとあらゆる感情が一度に押し寄せてきて、今のフィオレンティーナには一人で涙を流すことしかできなかった。そうしてしばらく時間が過ぎた頃、遠慮がちに扉がノックされてマージョリーの声が聞こえたので、慌ててフィオレンティーナは顔を上げて手の甲で涙を拭った。
「姫様、お目覚めですか……?」
「え、ええ、大丈夫よマージョリー。入ってちょうだい」
そっと扉が開いて、マージョリーが顔を覗かせた。彼女はフィオレンティーナの顔を見ると一瞬ぎょっとしたが、そのまま静かに部屋に入って来ると、黙って寝台の端に腰かけてフィオレンティーナを胸に抱き寄せ、優しく頭を撫でてくれた。昨夜ここで何があったかはマージョリーも知っているだろうに、何も言わない彼女の優しさが今のフィオレンティーナには何よりもありがたかった。やがてフィオレンティーナは顔を上げるとマージョリーから離れて座り直した。
「お可哀想に、姫様……よく辛抱なさいましたね」
「心配かけたわね、マージョリー。そう言えばこれはあなたが着せてくれたのよね?」
フィオレンティーナはあることに気づいていた。昨夜あれだけジグムントに攻め立てられて、身体中汗と涙とそれから……ジグムントの子種にまみれたはずなのに、今朝目覚めた時には全身が清められて、きちんと夜着が着せられていた。それだけではない、ほとんど擦りむけたようになっている胸の頂きと太腿の付け根からその奥にかけては、丁寧に香油が塗られた形跡もあった。だがマージョリーは困惑したような表情で首を横に振った。
「それが……たぶんこれはすべて国王陛下が……」
「何ですって? ジグムント様が?」
フィオレンティーナは驚きを隠せなかった。昨夜あれだけ自分を手荒に扱い、凌辱の限りを尽くしたジグムントが、なぜ?
「どういうことなの、マージョリー? わたくし、何があったか覚えてないのよ。説明してちょうだい」
「昨夜、国王陛下は私達に、お許しがあるまで決して寝室に入ってはならぬと仰せになりました。それから明け方近くまで一晩中、その……姫様の悲鳴と泣き声が聞こえてきていたのが、そのうち静かになって……。私はその時、冗談抜きで姫様はお亡くなりになってしまったのではないかと、気が気ではありませんでした。でもしばらくして国王陛下がそっと私をお呼びになった時にはもう全てが終わって、姫様は眠っていらっしゃいました。お着換えだけでなく、寝台のシーツまですっかり新しいものに取り換えられていたのですよ。国王陛下はこんな下々の人間がするようなことまでおできになるのかと驚きました。ですからきっと、陛下が手当てをなさったのだと思いますわ。それに……」
「それに?」
「陛下は私にこう仰いました。明日は無理に起こさず、目覚めるまで眠らせてやるように、と。あと、はっきりとは聞き取れなかったのですが、お部屋を出て行かれる時に振り返って姫様をご覧になって、一言、『許せ……』と呟かれたような気がするのです。ですから私ももう何がなんだかよく分からなくて。その……陛下がどういうお方なのか」
フィオレンティーナは考え込んだ。マージョリーだけじゃない、フィオレンティーナ自身も、ジグムントという男がどういう人物なのか、まるで分からないのだ。
確かに昨夜の閨での非道な振る舞いは鬼畜と言ってもいいほど峻烈なもので、フィオレンティーナの身体も心もこれ以上ないほど深く傷ついた。正直、あの男とはもう二度と閨を共にはしたくない。でも……同時に昨日、聖堂に現れた時の自信に満ちた姿や、祭壇の前で自分を見つめた黒い瞳の輝きを思い出すと、閨にいたジグムントとは全く別人なのかと思ってしまう部分もあるのだ。それにあの方は、部下の兵士達から大層慕われておいでだったわ。そして何よりも、あの体に刻まれた無数の傷痕。あれはジグムントが常に最前線で兵士と共に戦ってきたことの証だろう。であれば、あの方は決して臆病者でも卑怯者でもないはず……。
「フィオレンティーナ様?」
マージョリーに心配そうに声をかけられて、黙り込んでしまっていたフィオレンティーナは我に返った。
「そうね、わたくしにも分からないわ。何かご事情があるのでしょうけれど……でも今はとにかく少し休ませて。考えるのはそれからにしたいわ」
フィオレンティーナが疲れた声でそう言うと、マージョリーは即座に侍女の顔を取り戻し、立ち上がるとてきぱきとした口調で言った。
「そうですわね、昨日からあんまりいろんなことがあり過ぎましたわ。であればまずは朝食を召し上がって下さいまし、姫様。すぐご用意いたしますね」
「ええ、お願い」
部屋から出て行くマージョリーを見送って、フィオレンティーナは寝台から降りた。足に力が入らないし、頭がフワフワする。不意に昨夜の出来事が脳裏に鮮明に蘇ってきて、フィオレンティーナは恐怖に身体を震わせた。そう言えば、サミュエル様はいつまでここにいらしたのだろう。ジグムントの言葉が思い出された。先王様とサミュエル様の罪、そしてわたくしの祖国ロリニュスが犯した罪とは、一体なんなのかしら。フィオレンティーナは、幼い頃の故郷ロリニュスの王宮での母親との生活を思い出していた。あの冷遇された、辛く苦しい日々。お母様に向けられる父王様の憎しみに満ちたまなざし。もしかしたら祖国ロリニュスが犯した罪というのは、それに関係があることなのかもしれない。だとしたら、わたくしは真実を知らなければならないわ……。
フィオレンティーナの思索は、朝食を運んで来たマージョリーの声で遮られた。その日は拍子抜けするほど何事も起きず、フィオレンティーナは部屋で十分に休養を取ることができた。途中で一度様子を見に来たトマスにジグムントは何をしているのかと尋ねてみたが、色々とやることがおありになってお忙しいのですとしか答えてもらえなかったので、それ以上どうしようもなかった。
だがその穏やかな一日は、新たな波乱の日々を呼び起こす、嵐の前の静けさに過ぎなかった。