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episode_3 断末魔の咆哮 その4

 翌日は灰色の雲が低く垂れこめる曇天だった。朝早くから王宮の前の広場には一様に不安げな、それでいてどこか今から始まる極上の見世物への高まる期待を滲ませた、なんとも形容し難い表情の民衆が集まり、その異様な熱気はむせ返るほどであった。


 広場に面した宮殿のバルコニーには天幕が張られ、二客の椅子が置かれている。そしてそこからちょうど見下ろせる広場の真ん中あたりには、木製の階段がついた簡素な舞台が設えてあった。大きさは大人が四人ほど乗れるぐらいで、中央には低い台が二つ置かれ、その前には藁が敷き詰めてあった。それが何を意味するのか、集まった群衆は皆理解していた。……そう、ここは処刑台、今日ここでつい数日前まで王であった男とその息子が反逆罪で首をねられるのだ。


 正午になると宮殿に近い舞台の前側に長いベンチが並べられ、貴族達が集まり始めた。誰もが青ざめ、お互いに目を合わせないようにややうつむき加減で黙りこくっている。その姿は異様な盛り上がりを見せる民衆達とはなんとも対照的だった。


 やがて宮殿から長い槍を手にした衛兵の一団が現れて、群衆を押しのけ、広場に通じる道を開けさせた。それとほぼ時を同じくして、宮殿の裏手から一台の荷馬車が痩せたみすぼらしい馬に引かれて姿を現した。荷馬車の上には木で作られたおりが乗せられ、二人の男が後ろ手に縛られて乗せられていた。その姿を認めた瞬間、民衆の間に一斉に怒号が飛び交い、あたりは騒然となった。


「ろくでなし王め! お前のせいで父ちゃんは死んだんだぞ! お前が税金ばかり搾り取っていったせいだ!」

「あたしの息子を返しとくれ! ばかみたいに戦争ばかりして、若者がどれだけ死んだと思ってるんだい、この人でなし!」

「おい、色狂い王太子! よくも俺の幼馴染をおもちゃにしてくれたな! お前に乱暴されて、彼女は気が狂っちまった、さっさと死んで詫びろ!」


 一度せきを切ってしまった民衆の憎悪はとどまるところを知らず、中には衛兵の制止を振り切って荷馬車によじ登ろうとしたり、腐った林檎を投げつける者もいるほどだった。その怒りの声は宮殿のバルコニーに面した控えの間にいたフィオレンティーナにも確かに聞こえていた。彼女はその怒号が意味することがにわかには理解できず、おずおずと横にいるジグムントに尋ねた。


「あの……ジグムントさ……いえ、陛下」

「何だ?」

「民衆が言っていることは、本当なのでしょうか。わたくしにはにわかには信じられないのですが……まさか、そんな酷いことがこの国で起きていたなんて」


 ジグムントは前を見据えたまま答えた。


「すべて真実だ。この国は今、疲弊しきっている。それもこれもあの二人の圧政が招いたことだ。……いや、実際のところはあの二人は取り巻きに踊らされていただけで、問題の根源は貴族社会の腐敗にあるのだが」

「……」


 それならばなぜ先王様とサミュエル様だけに罪を負わせるのか、と口には出さなかったが、フィオレンティーナの眉間にかすかに皺がよった。その表情の変化もジグムントは見逃さなかった。


「貴族は見逃すのにあの親子は処刑するのが納得いかんようだな」

「いえ、ただ……」


  胸の内をぴしゃりと言い当てられて、フィオレンティーナはどきりとした。


(やはり、恐ろしい方……)


 だがジグムントは至極当然といった様子で続けた。


「まあ、そう思うのも無理はない。だがあいにく、今この国の立て直しは貴族の協力なしには成し遂げられぬ。だからあの二人に全ての責を負わせて、貴族達に恩を売るのだ。……お前に言わせると、それは見せしめということになるようだがな」

「そ、そういう意味では」


 その時、国王夫妻のお出ましを告げるファンファーレが鳴り響き、それを合図にジグムントは会話を切り上げて、バルコニーへ歩みを進めた。後についたフィオレンティーナが姿を現すと、群衆、とりわけ貴族達の席からざわめきが広がった。このドレスに驚いているのだと、フィオレンティーナはすぐに分かった。


「処刑の場に出るのに、あんな血のような色のドレスをまとうとは……一体何をお考えなのか……」

「何ということ、夫婦の誓いを交わすはずだったサミュエル様が目の前で処刑されようとしているのに、ご自分は着飾って……これだからやはり……」


 もちろん誰が何を言っているのかまでは特定できなかったが、貴族達がこの新しい国王夫妻に抱く困惑と嫌悪の感情のほとんどがフィオレンティーナひとりに向けられてしまっていることは容易に感じ取れた。無理もない、だって……とフィオレンティーナは俯いた。レバンテスとロリニュス両国の微妙な関係、人質としての自分の存在、そして圧倒的な力で人々を足元にひれ伏させた王弟。貴族達が求める生贄の子羊スケープゴートとしてどちらが適任であるかなど、自明の理であった。


「顔を上げろ」


 落ち着き払った低い声に、フィオレンティーナははっと我に返った。おずおずと視線を横に向けると、ジグムントが見つめていた。その黒い瞳が放つ光はいつもと変わらず冷たいままだったが、なぜかフィオレンティーナは守られているような気がして、背筋を伸ばすとゆっくりと顔を上げた。ジグムントが右手を上げて広場のざわめきを収めると、よく響く声で始まりの時を告げた。


「聞くが良い、我がレバンテスの民よ」


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