目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

episode_4 どこにも味方はいない その2

 針のむしろのような宮廷で常に毅然と振舞うこともフィオレンティーナにとってはなかなかに辛いものではあったが、それ以上に彼女の心に暗い影を落としていたのは夫ジグムントとの関係だった。


 公の席でこそ王妃として王の隣に立ち、時には腕を組んでエスコートされることがあっても、そこに心は一切ない。ジグムントがフィオレンティーナを見る目は全くの他人のようで、それ以外の夫婦らしいこと、時には二人で庭園を散歩したり、午後のひとときに他愛もない会話を楽しんだりといったことなどははなから望むだけ無駄だった。


 別に大したことじゃないわ、今までだってずっと一人だったじゃないの、と、フィオレンティーナは自分に言い聞かせた。五歳のころに人質としてやってきてからずっと、彼女の存在はここレバンテスでもほとんど忘れ去られていて、三年前にサミュエルとの婚儀が正式に決まるまでは、週に二回やって来る家庭教師とマージョリー以外の人間とはほとんど会うこともなかった。


 サミュエルと頻繁に会うようになったのは婚約が整ってからだ。彼はいかにも貴公子然として常に穏やかで優しく、フィオレンティーナを尊重し敬意を払ってくれた。その思いやりはそれまでずっと孤独だったフィオレンティーナにはとても心地よかったので、折に触れてこの方とならそれなりに幸せな家庭が築けるだろうとは思った。だがそのサミュエルを好ましく思う気持ちが恋と呼ばれるものだったのかと問われると、正直フィオレンティーナには分からない。なぜなら前述したとおり、彼女はあまりにも他人と接する機会が少なく、ましてや年の近い異性など目にしたことすら数えるほどしかなかったので、恋というものもたまに王宮の図書室で読む恋愛小説に書かれている空想の産物でしかなかったからだ。


 でも、あの方はまるで違う、とフィオレンティーナは戸惑う。ジグムント様はわたくしを憎んでいる。それは間違いないのに、その理由が分からない。ただ一つだけはっきりしているのは、ジグムントはフィオレンティーナに『償い』を求めているということだけだ。だがそれが何に対する償いなのか、当然のことながらフィオレンティーナには思い当たることは何一つなかった。何しろ彼とまともに言葉を交わしたのは六年前のほんの一瞬だけなのだから。


 ジグムント様がねやであんなに手荒く、時に暴力的ともいえるほどの激しさでわたくしを抱くのも、償いのうちに入るのだろうかとフィオレンティーナの心は沈む。初夜の翌日こそ何事もなく過ぎたものの、ミカエルとサミュエルの処刑の日の夜から、またフィオレンティーナには辛い夜が続いていた。


 毎夜、ジグムントは王妃の間にやって来て、そのたびにフィオレンティーナは心も身体も蹂躙される。その間、一瞬たりとも目を閉じることは許されない。今ジグムントが自分の身体のどこに何をしているのかを全てつぶさに見せられて、フィオレンティーナの五感は嫌が応にも高ぶる。そしてそれはいつも永遠に続くかと思われるほど長く何度も繰り返されて、時には空が白みかける頃にようやくフィオレンティーナは息も絶え絶えになって解放されることもあった。


 もちろんその激しい閨でのあれこれも辛かったが、フィオレンティーナはジグムントが自分に向ける冷たい目線が何よりも辛かった。あの漆黒の瞳の冷ややかな眼差しに触れるたびに、幼い頃から否応なしに抱かされてきた、自分は無価値で無能な人間なのだという思いがますます強まる。ロリニュスの王宮でも、人質として暮らしたここレバンテスでも、彼女は存在すら忘れ去られていた。だからこそ三年前に王太子妃になることが決まった時に自分に誓ったのだ。決して思い上がらず、研鑽を忘れず、己を律し、やがて王となる夫と手を携えて国民の幸せのために尽くそうと。そうすればいつかきっと、皆がわたくしを受け入れてくれるはず、と。


 その思いは今でも変わっていない。何か、わたくしにできることはないだろうか。そうだわ、わたくしが王妃にふさわしい人間であると示すことができれば、宮廷の皆も、ジグムント様もわたくしに辛くあたらなくなるのではないかしら。でも、どうやって……? まつりごとはすべてジグムント様が握られていて、わたくしはこの国で何が起こっているのか、何一つ分からない。仮にも一国の王妃なのに……。このままでいいの、フィオレンティーナ? わたくしにも、できることがあるはずよ。


 王族の結婚など、打算と損得勘定がすべてであることはジグムントも理解しているはず。その上で自分をめとったのには、何かしらの利用価値がある人間だと判断されたからだろう。ならば……と、フィオレンティーナはその夜、いつものように王妃の間にやってきたジグムントに、勇気を振り絞って問いかけた。


 王妃として、何かできることはないか、と。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?