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episode_5 嵐の中の小舟 その1

「ランドルフ子爵夫人、ベニーチェ男爵夫人、女官の職を辞したいとはどういうことですか!?」


 マージョリーの怒りに燃える声が王妃の間に響き渡った。


「どういうこと、って、言葉の通りよ。今朝わたくし達、トマス様にお願いして参りましたの。王妃様付きの女官を辞めさせて頂きたいと」

「そうよ。そもそも侍女のあなたの承諾を得る必要などないわ。思い上がるのも大概になさい」

「り、理由をお聞かせください! もしや私が何か粗相を……」


 食い下がるマージョリーに、ランドルフ子爵夫人がやれやれといった顔で答えた。


「しつこいわね……仕方ない、教えて差し上げるわ。わたくしもベニーチェ男爵夫人も、尊敬に値しない主君に仕えることはできませんの」

「尊敬に値しない主君とは、まさかフィオレンティーナ様のことですか?……なんと、王妃様に向かってなんという不敬な……」

「あら、だってそうでしょう? 無礼を承知で申し上げますが、フィオレンティーナ様はとても一国の王妃に相応しいお方とは思えません。いつもただ黙りこくって国王陛下の横に立っておられるだけで、貴族やその奥方と親しく言葉をお交わしになって、この国のことも、民が王妃様に何を求めているのかもお知りになろうとする気配が全然おありにならないじゃないの。……皆、申しておりますのよ。まるで蝋人形のようだと。美しいだけで、中身は空っぽだと」

「ランドルフ伯爵夫人の仰るとおりですわ。卑しい身分のあなたには理解できないかもしれないけれど、わたくし達にも夫と守るべき名誉があるの。そのような主君に仕えていては、家名に傷がつきます」

「何ですって!? だ、誰がそうさせているとお思いですか!? 王妃様を排斥されているのは宮廷の皆様のほうでしょう? それもこれも、サミュエル様が口走った出まかせを一方的に盲信して……フィオレンティーナ様が毎日どれほど……」


「お止めなさい、マージョリー」


 勝ち誇ったような二人の女官に向かって今にもつかみかからんばかりの勢いで反論するマージョリーの後ろから、フィオレンティーナの静かな声がした。その声にはっと振り向いた三人はきまり悪そうに俯いた。


「ランドルフ子爵夫人、ベニーチェ男爵夫人、お話はよくわかりました。トマスはなんと申しておりましたか?」


 その普段通りの静かで柔らかな口調に不意を突かれて二人の女官はうっ、と鼻白んだが、それでも平然と顎を上げて挑発的な口調で答えた。


「トマス様からは王妃様のご意思次第とのお答えを頂いております」

「そうですか……わかりました。望み通りに取り計らうよう、トマスに伝えておきます。お勤めご苦労様でした。不甲斐ない主君で不快な思いをさせましたね、謝罪します」

「王妃様!!」


 無礼な物言いに激高するかと思いきや、少し悲しげに微笑んで軽く頭を下げるフィオレンティーナに、これ幸いと目を合わせようともせず、子爵夫人と男爵夫人はぞんざいなお辞儀をしてそそくさと部屋を出ていった。


「フィオレンティーナ様、こんな、こんな無礼、お許しになってはなりません!」

「いいのよ、マージョリー。あの二人が言ったことは正しいわ。わたくしがお飾りの王妃なのは紛れもない事実。……いいえ、お飾りどころか『』よ。そんな主君に仕えていては、色々と都合が悪いのでしょう」


 そこでフィオレンティーナはいったん言葉を切ると、部屋の隅にいたターナー伯爵夫人に視線を移して尋ねた。


「あなたももし同じことを考えていらっしゃるのなら、わたくしに遠慮などせず……」

「いいえ、わたくしはこれからも王妃様にお仕え申し上げます。女官の職を辞したいなどと考えたことはございません。どうか、ご心配なされませんよう」

「そうですか。……ありがとう、ターナー伯爵夫人」


 ターナー伯爵夫人の普段通りの落ち着いた声に、フィオレンティーナとマージョリーはひとまずほっと顔を見合わせた。


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