あの運命の日から一ヶ月余りが過ぎた頃、部屋で刺繍をしていたフィオレンティーナのもとにある知らせがもたらされた。
「王妃様、修道院から公務の依頼が来ております」
「修道院からわたくしに? 一体なんの依頼ですか、トマス?」
トマスは一通の書簡をフィオレンティーナに手渡しながら、詳細を説明した。
「毎年この時期になると、王妃様には修道院に併設されている病院を訪問されて、入院患者を見舞われるのが習わしでございました。二年前に
「そうですか……」
フィオレンティーナは考え込んだ。
病院の慰問が、古くから王妃の重要な公務として位置づけられていることは、サミュエルに輿入れする時に受けたお妃教育で説明されて理解していた。今は王妃の座が空席なので、王太子妃になられた暁には当然、引き継いで頂くことになりますと言われていたのも覚えている。
でも、とフィオレンティーナは迷った。今のわたくしの来訪を、皆は喜んでくれるのだろうか。わたくしはもともとレバンテスの民ではないし、それに王妃らしいことなど何一つできない
「王妃様?」
「あ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
トマスに声をかけられてフィオレンティーナは我に返った。だが意外なことに、必要事項を事務的に伝えてさっさと退出するだろうと思っていたトマスがその場にとどまって、心配そうな様子で話しかけてきたことにフィオレンティーナは驚いた。
「何か気がかりなことでもございましたか?」
「いえ……」
少し迷ってから、フィオレンティーナはトマスに問うた。
「その……わたくしで良いのでしょうか」
「……は? ええ、もちろんでございます、貴女様はこの国の王妃でいらっしゃるのですから。まあでも、もしどうしてもお気が進まないということであれば、今回は」
「いえ、行きます。手配をお願い、トマス」
トマスの言葉を最後まで聞かずに、フィオレンティーナは顔を上げて返事をした。
正直、あまり気は進まないが、王妃の当然の責務としてずっと続けられてきたことであれば、個人の感情など二の次だ。それにこの前、他でもないジグムントに王妃としてできることはないかと自分から尋ねておいて、いざ蓋を開けたら公務を選り好みするなど、言語道断。何よりも、すぐ近くに病に苦しむ国民がいる。近しく接して、彼らが何を求めているのか知る機会を得られれば、この先の王妃の務めを考える上で必ず役に立つはず。そう考えると、断るなどという選択肢は存在しなかった。
フィオレンティーナの返答にトマスは一瞬驚いた表情になったが、すぐに落ち着きを取り戻すとお辞儀をして出て行った。その物腰が初めて会ったころに比べるとずっと柔らかくなっていることに、フィオレンティーナはまだ気づかなかった。