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第6話 いたずらフェニックス

 ガシャン!


 ガラスが割れる音が響いた。

 大切な魔法薬の瓶は、保持魔法をかける前だったため、全部こなごなに割れてしまった。


「オーリィ!」


 先生がとっさに私を支えてくれたので、割れたガラスと魔法薬が混じった中に突っ込まずに済んだ。


「大丈夫かね?」


 あんなにめられた魔法薬が、全て灰色の床に吸い込まれ、輝きが無くなっていく。

 貴重な材料を使わせていただいたのに……。


「先生、すみません」

「いや、気にしなくていい。怪我がなくて何より」


 先生は、見学者たちの方を見た。


「ハプニングはあったが、この薬は君たちへのお土産にしよう。ジャン。配って」

「はい」


 羽根ペン使いのジャンが、丁寧に配っていく。

 エマニュエルは受け取らなかったが、他に拒むものはいなかった。


「あのザマ、見た?」


 赤毛の子が私を笑っている。

 一緒になって私を指さしているイライザも。

 一瞬だけど同情した私が、バカみたい。




 散々な午前の講座が済んでお昼になった。

 暴徒もお腹が空いたらしく、魔法薬の瓶を手に帰って行ったのでまずは一安心。


 私は一人でお弁当のサンドイッチを食べる。

 誰も来ない物置きの古いソファで。 

 使わない椅子や机、魔族を彫ったらしい謎の置物、そんなものでいっぱいな小部屋だ。

 ホコリを被っているあれは、航海に使う四分儀? 星の高さを測って緯度を求める道具……それくらいは私も知っている。


「ふう」


 アビゲイルが配色と味に気を付けて作ってくれたものだけれど、物置は暗くてよく見えないし、さっきの実習でひどい目にあったショックで、まるで紙粘土を食べているようだ。


 ぐすん。

 泣いた後で鼻の奥がまだ痛いし、イライザの笑い声が耳から離れない。


 早退しようかと思った。


 でも、早く帰ればメイドのアビゲイルが心配してあれこれ聞いてくるだろうし、前線にいるお父様に伝わって心配させてしまう。余計な負担をかけたくない。


「我慢するのよ、オーロール」


 あと一月。

 卒業式まで。


 私は自分に言い聞かせた。

 いじめっ子のイライザとは卒業すれば縁が切れる。


 ただ、魔法史のエリゼ先生に弟子にしてもらえるかどうか。

 聞いた話では先生は弟子を取ったことがないらしい。

 でも、日頃の勉強を頑張って、そこそこの成績をあげれば認めてもらえるはず。

 お父様にも進学の許可はいただいたし。


「ふうー」


 食べ終えたサンドイッチの包み紙をそのままにして、私は古いソファの背によりかかる。


「リュックとの魔法薬作り、楽しかったな」


 二人で何かするのは何年ぶりだろう。


 イライザからかばってくれたし、炉の準備の手際も良かったし。重い鍋は率先して洗ってくれたし、これだけ気配りができて十人並み以上の容姿スペックだからモテるのも当然だわ。


 幼馴染ってだけで私が出しゃばれる訳が無い。

 リュックだって、彼の騎士道精神がイライザの横暴を許さないだけで、私に何らかの好意があるとは……思わないほうが良いだろう。

 後で失望するのが怖い。


「リュックくらい勇気があれば、イライザに言い返せるわよね」


 剣が魔導具というのも彼らしい。


「魔導具……私のはホウキのフェニックス……午後はホウキ競走の練習……」


 ぱあっと心に光が差した。

 フェニックスに乗れれば、イライザが意地悪したってなんとかなる。


「教室に置きっぱなしにして来ちゃった……」


 お弁当だけ持って教室を飛び出した私を、フェニックスは追って来なかった。

 なにかあって一人になりたい心境を察してくれたのだろう。


 フェニックス……母方の祖先から受け継がれてきた大事な魔道具。


「謝らなきゃ、ね」


 気持ちよく飛んでもらわなきゃ。


 私は、ホコリ臭い物置の中で深呼吸すると、サンドイッチの包み紙をきちんと畳んでから、ガタピシと物置きの戸を開け、教室に帰った。


「フェニックス、ただいま」


 ガタガタとフェニックスは机の下で揺れた。


「うん。もう大丈夫。心配させてごめんね」


 フェニックスをなでていると、


「覚えてらっしゃい、化け物ホウキ!」


 と、女子の声がした。イライザの取り巻きの一人、赤毛の女生徒だ。実習のとき足をかけたのはきっとこの子。


「……折ろうなんてするから、逆襲されただけだろ」


 今度は男子の声。気のせいか笑いを含んでいる。


「だけど私の制服のスカートを、その、いてめくるなんて……」

「俺たちはラッキーだったけど!」


 どっと男子が笑った。赤毛の子が折ってしまおうとフェニックスをつかんだら、逆にスカートを掃かれて、大恥をかいたらしい。


「他人の魔導具に触ったんだ。大人の魔法使いのルールだと、手を切り落とされることだってあるんだぞ。法律の時間、寝てたのかよ」


 これは大変。


「あの、……フェニックスがごめんなさい」


 私は女子に謝った。

 魔道具の管理不行き届きは私の責任。

 それで恥ずかしい思いをした生徒がいるんだから、私が悪い。


「オーリィ、謝らなくて良いぞ。フェニックスは理由もなく悪戯したりしない」


 男子の声。


「……でも」


 私の代わりにフェニックスが仕返ししたのなら、とんでもないこと。

 スカートをめくるなんて。

「魔法使いである前に紳士淑女たれ」が校訓でもあるし。


「午後のレース、覚えてらっしゃい!」


 赤毛の子は、思い切り私をにらんで教室を出て行った。


 首領のイライザがいなければこれくらいで済むのね。

 今、言いつけに走っているに違いない。


 ズンと心が重くなる。


 ため息をついて席に座った。

 午後のホウキ乗りにはまだ時間がある。

 サンドイッチの包み紙をいったん広げ、折りたたんで小物入れを作り、保持魔法をかけた。


「これ、いいかい?」


 赤毛の娘を笑っていたジャンが手を伸ばした。


「……ど、どうぞ」


 彼は自分の魔導具である羽根ペンで、ヒョイと小物入れを持ち上げた。

 得意なのはこのペンで宙に描く呪文。

 一度手合わせした時に、身体がその呪文に巻き付かれて苦戦したことがある。

 逆作用を持つ呪文をとっさに描いて抜け出したけれど、敵方になれば侮れない相手だ。


「オーリィがイライザにいじめられる訳がわかんないんだよな」

「そうそう。俺たち平民出身の生徒にも礼儀正しいし」

「魔力は学年一位だし」

「……顔だって美人だよな」


 言わないで、お願い。

 それが全部イライザには気に入らなくて、裏返しになって私にあたってくるの。


「ただなぁ……気が弱いから、黙っていじめられてるのは……」

「うん、もうちょっとしっかりしろよ、とは思う」


 ドキ……。


「でもさ、あれで気が強かったらおっかないぜ」


 そんなことありません。

 私はもともと女は何ごとも控え目にするような伯爵家の生まれで、他人様の上に立とうなんて考えてもいないわ。


 羽根ペンが机の上の小物入れを叩いた。


「再び命じる。もとの紙に戻れ!」


 変化なし。


「……戻らないや……強いな。オーリィ、戻して」


 私は会釈して両手で受け取り、左手に乗せ直して右手の人差し指で小物入れの縁に触った。

 すうっと折り紙の小物入れは元の平らな紙に戻った。


「わあ! しかも無詠唱むえいしょうだ!」


 驚きの声が上がる。いえ、見せびらかすつもりなんかなくて……。


「やっぱりオーリィはすごいや。その魔力でイライザを見返してやれよ」

「とんでもない……」

「これ、もういい?」


 私がうなずくと、彼はおもちゃにしていた紙を丸めて何気なくゴミ箱に投げた。


 トンッ……。


 丸めた紙があたったもの──いや人──を見て、男子の顔色が変わった。


「だれ? 私にゴミをぶつけるなんて勇気のある子は?」


 ピインと空気が凍った。


「イライザ!」

「誰のゴミよ?」


 イライザは足元の丸まった紙をさっと拾い上げ、


「もとの持ち主は誰?」


 と、唱えて投げ上げた。


 彼女の得意とする風魔法の効果で、それはすうっと私の胸元まで飛んで止まった。


「オーロール……これはどういうこと?」


 返事ができない。

 胸が締め付けられるようで、鼓動が忙しくなる。


 顔を伏せた私の周りを、イライザはゆっくり歩いて回った。


「……すみません」


 言葉が絞り出される。喧嘩はしたくない。


「そっちの魔導具もなめたことをしてくれたじゃない……いいわ。少し時間をあげる。午後のホウキ競走まで。ふふっ」


 男子たちがそれぞれの魔導具をつかみ、先を争って校庭に出る。

 男子だって、イライザの標的にされたくはないのだ。


「遅刻しないように忠告に来てあげれば……ねえ」


 イライザの言葉は魔界の川を流れているというピッチのようにねちっこい。顔は笑っているけれど、心では何を考えているのかしら。闇だわ。


「いつも自分の魔導具で飛んでいるから、今日も良い成績だなんて思っていない?」

「っ……いいえ」

「今日はそうならないから」


 イライザはくるりと後ろを向き、教室から出て行った。


「フェニックス……どうしよう」


 私はへたりと大理石の床に座り込んだ。







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